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http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/home2.htm から転載。
8月30日(水)
2009年の五輪開催都市の決定を見届ける気持ちがあるかと問われ、石原都知事はこう答えたそうです。「言い出しっぺだから、その責任はある」と……。
2016年夏季オリンピックの国内候補都市として、福岡ではなく東京に軍配が上がりました。その後の記者会見での席上のことです。
「三期目で東京に招致か」との問いにも「そのつもりでいる」と答えています。都知事に三選され、オリンピック招致を見届けたいというわけです。
2016年のオリンピックの東京招致には、賛否両論あります。このような議論では、一つの重要な事実が忘れられています。その8年前には北京でオリンピックが開かれるという事実です。
夏のオリンピックは、たとえば1984年以降、以下のように開かれてきました。
84年 ロサンゼルス(北米)
88年 ソウル(アジア)
92年 バルセロナ(欧州)
96年 アトランタ(北米)
00年 シドニー(オセアニア)
04年 アテネ(欧州)
そして、今後は、2年後の08年に北京(アジア)、その4年後の12年にロンドン(欧州)で開かれます。開催地の選定では、北米−アジア−欧州−北米−オセアニア−欧州−アジア−欧州と、それなりに大陸間のバランスが考慮されていることが分かります。
とはいえ、欧州と北米が多く選ばれる傾向も否定できません。これは、近代的な都市の多さや開催能力という点で、やむを得ない面もありますが、できる限り、偏りを正す必要があるでしょう。
5大陸が平等に参加するスポーツの祭典であることは、五輪という名称にも五つの輪を組み合わせたマークにも示されており、このような配慮は当然です。オリンピック開催のチャンスは、5つの大陸の諸都市に平等に与えられるべきです。
開催地が特定の大陸に偏らないようにするということが、オリンピックの理念に最も相応しいあり方でしょう。関係者の全ては、このような理念を尊重しなければなりません。
ということからすれば、アテネ(欧州)−北京(アジア)−ロンドン(欧州)と続いた後に、東京(アジア)という形での開催地の決定はあり得ず、また、そうあってはなりません。2016年の夏季五輪に日本が立候補することは、オリンピックの理念に反することであり、許されないというべきでしょう。
2016年の開催地決定にあたっては、欧州とアジア以外から選出されなければならないと主張するのがあるべき姿です。日本から選出されている委員だからといって、東京を主張すれば、オリンピックの理念をどう考えているのかと批判されるにちがいありません。
おそらく、2016年の夏季五輪の開催地としては、1996年以来開催のない北米、夏季冬季ともに開催実績のない南米とアフリカのいずれかからの立候補都市が選ばれる可能性が高いでしょう。特に、南米とアフリカでは未開催ですから、そこからの立候補があれば最有力になることは間違いありません。
私が委員なら、東京ではなく、南米かアフリカで開きたいと考えるでしょう。五大陸の全てで開催されてはじめて、オリンピックは「世界の祭典」になるのですから……。
このようなとき、東京が開催地として立候補することは、オリンピックの理念に反するばかりか、南米やアフリカでの開催の可能性を妨害することになります。東京の立候補は、オリンピックが「世界の祭典」になっていくことを阻害することを意味するわけです。
自国の利益にだけ拘泥せず、世界全体のことを考えてオリンピックの発展を目指すのであるならば、2016年の開催地として、日本の都市はどこも立候補すべきではありません。立候補しても支持は得られず、東京への招致のために必要とされている55億円(うち、都の負担分は5億円)は、全く無駄になります。
オリンピックのために必要な施設の建設や都市の整備など、総額で7兆円が必要だと推定されています。招致決定前に、このような支出がなされれれば、これらも無駄になるでしょう。
都は、これらの資金を捻出するために、毎年1千億円、積み立てていく予定だそうです。それだけの金額があれば、もっと別の有用なものに支出できるでしょう。
2016年のオリンピック開催地として東京が選ばれる可能性はなく、また、そうあってはなりません。それなのに候補地として立候補したのは、石原慎太郎都知事のごり押しがあったからです。
五輪招致をエサに三選を確実にしようというのが、石原都知事の目論見です。都民の税金を使って選挙運動をやろうというような、とんでもない陰謀を許してはなりません。
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