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http://www.shl.jp/newscom/index.asp?y=2006&m=5&d=22
・司法警察権がなければ「事実の究明」は不可能
被害者を装うアルバイトの学生が涙ながらに上司の不適切行動を訴えるとする。誰も見たものがいない。その上司は「天地神明に誓ってそういう行動はとっていない」と言い張る。言った言わない、したしない、の水掛け論が延々と続く。被害者を装うアルバイトの学生の演技が上手であれば、上司の立場はどうしても悪くならざるをえない。ひそひそ話が職場の至るところでなされ、仕事が手につかなくなる。職場の風紀維持において落ち度があったという理由で(加害者とされた)上司は立場を失う。
・第二、第三の「春木事件」が起こる
石川達三が書いた『七人の敵が居た』は青山学院大学法学部の春木猛教授をモデルにしているといわれる。春木猛教授は、自分の大学の女子学生から猥褻・暴行容疑で東京地裁に起訴された。今でいうセクハラ事件であるが石川の(小説での)見方は加害者と被害者が逆転する美人局事件。30年以上の前の事件だ。冤罪の主張がとおらなかった春木元教授は、(実刑が確定し八王子の医療刑務所で服役中)失意のうちにこの世を去った。こうした事件が大小とわず新法を契機に頻発しない保障はない。
http://home.att.ne.jp/omega/yuasa/column/20040729.html
「春木事件」といっても、今では知る人も少なくなった。私が大学生であったときですら、友人で春木事件のことを知っている人はほとんどいなかったのであるから、現在の青学生でこの事件のことを多少なりとも知る人はほとんどいないだろうと思われる。
1973年、青山学院大学法学部の春木猛教授が女子学生に対する猥褻・暴行容疑で東京地裁に起訴された。これが世間を騒がした春木事件の発端である。当節は大学教授のセクハラ事件もめずらしくないが、当時としては大事件であった。春木教授は控訴したが結局実刑判決が確定し、その後八王子医療刑務所で病死したそうである。春木事件については石川達三のモデル小説「七人の敵が居た」のほうが詳しいから、ここではこれ以上は記さない。
春木教授は国際政治学が担当で、英語も講じていたそうである。春木教授は 学内ではなかなかの有力教授であったと聞く。
東京大学の出身者を中心に設立された立教大学法学部とは異なり、青学の法学部は主として一橋大学の出身者を中心として設立されていたが、草創期の教授陣には少し変わった経歴の持ち主もいらっしゃったようだ。
たとえば英米法担当として長谷川元吉教授が在任しておられた時期があったようである。長谷川元吉は、1946年2月13日、GHQが新憲法草案を政府当局者にされた際に通訳をつとめた人である。このときの日本側の出席者は憲法問題調査委員会委員長松本国務大臣、吉田外務大臣、終戦連絡事務局の白州次郎次長の3名で、通訳が長谷川であった。どういう経緯で長谷川が教壇に立つことになったのだろうか。
私が春木事件のことを知ったのは、春木事件をモデルにしたと思われるテレビドラマを見たからである。主人公の春木教授には三国連太郎が扮していた。ドラマに描かれた問題の研究室は、古色蒼然たる建物の中に位置し、廊下から扉を開けても立ち並ぶ本棚にさえぎられて室内は薄暗く、研究室の主の姿も定かではない。窓際にはこれも古めかしいガスストーブが淡い明かりを室内に投じている・・・。
私もテレビ・ドラマからこの事件を知った事があるが、僅かな記憶しかない。
奥の深い事件のようであるが、調べる人が少ないのか、情報に都合の悪いところがあるのか判らないが、情報量が極端に少ない。
ただ、学者生命を絶とうとする意思が濃厚に働いているようだ。
マスコミ・週刊誌が総動員に近い形で彼を叩いている。
しかし、返って彼の名声は上がったと私は考えている。
「褒め殺し」ならぬ「叩き生かし」になっているのだ。
だいたい、最初の事件がおかしい。女性を前にして、ズボンのポケットに手を突っ込んで自慰行為をしたとは…?
男は誰でもズボンのポケットに手を突っ込んで探し物をするのです。
女性はスカートのポケットに物を入れることは少ないでしょう。スタイルが悪くなるからです。
男の人でいつまでもポケットに手を突っ込んで探し物をしている人を見かけます。公衆の前で記憶の悪い事を晒しているようでみっともないと思いますが、そのような人は多数見かけます。
植草さんは学者で集中力が思考に傾いていて、世間的な体裁に疎い人なんじゃあないですかねえ。
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