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今、学校で、行事の際に、国旗を掲揚すること、そして、その際、生徒や教師が起立することが、強制されようとしている。
学校という場には、普通、日本人しかいない(在日外国人についてはここではおく)。
そういう場で、日の丸を掲揚し、それに対し起立して敬意を表するということに、一体何の意味があるのだろうか。どのような効果があるのだろうか。
一つ考えられるのは、
国旗への敬意を子供の頃から養っておくことで、戦争に突入するという時に国旗を悠然とたなびかせ、何か神聖なもののために戦うような気にならせる効果が得られるということである。
つまり、自国が行う戦争を神聖化・正当化することと、戦意高揚に役立つということである。
二つ目に、国への帰属意識を高める効果が考えられる。
どんな旗でも帰属意識を高める効果を持つと思う。
例えば、運動会の時に、赤組と白組に分かれる。
生徒たちがそれぞれ白旗とか赤旗とかを持つということはなくても、白い鉢巻、赤い鉢巻をしたりする。そういう行為によって、自分は白組だとか、赤組だといった意識が生じる。
白組と赤組で競い合うともなれば、否応なしにそういう意識が高まる。ほとんどの人は(私もだが)自分がかわいい。だから、自分の属する組に勝ってほしいと思う。競争意識が芽生える。
これがただの運動会での色分けならいい。
しかし、国旗となると話は違ってくる。
国旗はその国を象徴するものであるから、自国への帰属意識が高まる。
戦争突入時や戦時のように他国の存在を意識する時には、その国への競争意識が高まる。自国の国旗への尊敬のあまり、国粋主義に陥り、他国を蔑視したり、憎むことにもつながるだろう。やはり戦意高揚に役立つということである。
三つ目に考えられるのは、排他的意識を植え付ける効果だ。
ある集団が存在する場合、その集団の外には必ず集団に属しない者がいる。
一番大きな人の集団は地球人かもしれないが、地球人という集団を考える時、そこには必ず地球人以外の宇宙人の存在が意識される。
つまり、集団は集団外の存在を前提とした概念である。
日の丸を掲げている集団と掲げていない者がいるとする。
日の丸を掲げている集団からすれば、掲げていない者は自分の集団に属さない者であり、異端者である。
日の丸を掲げている集団が日の丸の前に起立するとすると、起立しない者は集団に属さない異端者である。
日の丸は日本国の象徴であるとされる。
したがって、日の丸を掲げず、日の丸の前で起立しない者は、日本国民ではない、非国民だ、という論理が生まれる。
あらゆる集団は、集団である限り、排他的である。
日の丸集団も、集団に属さない者に対し排他的なのである。
したがって、日の丸という日本国の象徴に敬意を表しない日本人は、日本国の集団に属さない者として異端視され、非国民呼ばわりされる。
日本人以外の民族ともなれば、日の丸集団から見れば異性人のようなものだろう。
レッテル貼りも起こるだろう。日の丸への敬意の有無が、一種の踏絵となる。
戦争に反対する者に、神聖な国旗を侮辱している不敬な者であり、非国民であるというレッテルを貼る。
国旗掲揚の時に起立しない者については、平時である今でさえ、不敬だとか、そんなに日本が嫌いなら日本から出て行け、という意見が出てくるくらいだから、戦争という殺気立った状況下ではどうなるか、想像がつくというものである。
以上をまとめると、要は、日の丸を掲揚し、それに対し起立して敬意を表するという行為は、戦争に反対できにくい国民作り、戦争に抵抗の少ない国民作りにつながるということである。戦争のできる「普通の国」を作ることへの道の一つなのである。
これのどこが教育だろうか。
日の丸に対し起立しない教師のどこが、教師として「なっていない」のだろうか。
国旗への敬意を強制したことが思想・良心の自由への侵害に値するのは当然であり、今回の地裁の違憲判決は当然の判決だ。
しかし、強制したことがいけなかった、というだけで終わっては、国旗そのものの持つ、集団性、排他性といった危険な性質を見逃すことになるのではないか。
繰り返すが、決して、教師の躾がなっていない、という問題ではないのである。
日本の国民であることは、日本人が自分の心の中で認識していれば済むことであって、国旗を掲げてみたり、それに対して敬意を表してみたりしなければ認識できないことではない。
愛国心にしてもそうである。ことさら外に向かって発露しなければならないものではない。
愛などはもともと自然と湧き出てくる感情を指すのであって、強制されるものではないし、人から評価されるべきものでもない。
日本という国が愛せるような国であれば、自然と愛する。そういうものであろう。
何かのシンボルを掲げること、何かのシンボルに敬意を払うこと、その他何らかの形で表現することをもって日本国民の印とするのなら、それは踏絵だ。
そのような形で国旗を使うのなら、国旗などない方がマシだ。
国旗の掲揚と起立にことさらこだわる東京都や政府や読売などのマスゴミには、日本国民を日本国家カルト集団に仕立て上げ、日本を戦争のできる「普通の国」にしたいとの思惑があるとみて間違いない。
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