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http://d.hatena.ne.jp/yulu/20060922 から転載。
2006-09-22
国旗国歌強制――「国家」崩壊の象徴
東京都の行動には???と思う。
だって、思想や宗教で締め付けないと国が持たないのは、国家としては末期症状のなのよ!
というのは国旗国歌強制をめぐる裁判判決のニュースを知っての感想です。
http://www.excite.co.jp/News/society/20060921162100/20060921E40.101.html
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とりあえず問題は、国旗国歌が存在すべきかすべきでない(←下線部は投稿者が挿入)かいう問題ではなくて、強制されるかどうかというのが問題だ。
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いろいろなご意見がありますが、それぞれが「公共性」を主張しているがその公共性の中身がよう分からんからどうも話がかみ合わない。いいけど。ここに乗せるのは超個人的超わがまなな「私の見解」です。
>子どもたちが授業を受けない権利を主張しはじめたらどうでしょう。
ええじゃないか? で、学校なんて潰れてしまえ。
そうしたらみんなテンデンに自分のやるべき事を考えるんではないですか。
ものを考えさせない学校システムこそ、近代人をダメにした諸悪の根元じゃ〜。
>一般社会人と公務員である教師とは立場が違う。公務員は、国の通達に従うのが当然。
「国民は(特に公務員は)お上のゆうこと聞いていればええんじゃー(笑)」の変形版かな。
私は一般社会人だが、日の丸君が代強制されたりしないので。私立高校なら話し合って日の丸君が代強制しないように、と交渉の余地もありましょうが、都立高校だとその余地もないわけで。問題の現場は学校にある(学校にしかない、or 学校という場に象徴的に現れている)わけで。当事者じゃないものが裁判するより説得力がある。
ってか、教師が自費で裁判することより、公務員の税金の無駄遣い・天下り等々を問題にせよ。大義名分すらもないんだから。
>授業を自習にして裁判に行くなんて。
これは裁判を知らないための誤解かも。
教員には授業は基本的に休んでほしくないが、ともかく教員にだって休暇を取ることはできるし、私も非常勤講師をしていたときに、大学院の最終口頭試問のために仕方なく休みをとったことがある。あと、裁判は代理人(弁護士)を立てるので最悪弁護士が行けば大丈夫。本人尋問は1回ぐらいだし、本人尋問は400人もいれば代表者のみのはずで、訴訟原告全員が法廷に行く必要はまったくないだろう。ということで多くの教師は授業にをつぶさなくて済むはずだ。
>国旗を見て、君が代を歌うってのはその国の人間では当たり前でしょ?
これを言われるとたまらないな。女は料理が出来るのが当たり前でしょ、とかね。アホー。結婚が決まると料理本を片手に訓練するからじゃー。君が代が歌うのは訓練させられるからじゃー。
>サッカーで自国を応援するではないか。オリンピックでは、選手や観客は国旗や国歌に感動するではないか。
こういう人はトリノでスルツカヤが転んで「やったー」って喜ぶのかな。私はスルツカヤが転んで私はマジ悲しかった、正直スルツカヤに優勝して欲しかったが、それが何か? 非国民ですか? プルシェンコ優勝も嬉しかったけど、私はロシア国旗に感動しているわけ?
つまらない試合で優勝するより、全力をつくしたいい試合で2位になった方が嬉しい
荒川さんがすばらしい演技で優勝したことはもちろん嬉しい。しかし、それは演技がすばらしかったからだ。他の選手が全部のジャンプをこけてアンミキがまさかの優勝をして日の丸が揚がったら嬉しいか、嬉しいわけがない。
国旗など掲揚されなくても別にいいからいい試合をしてほしい。選手のいい試合を見たいというのではなく、国のため自国のプライドのために選手を応援するような環境が、スルツカヤを転ばせたのではないか、とも思っている。誤解を恐れずたとえて言うならば、日本のスポーツが中国や北朝鮮みたいになったらどうよ。負けたら殺される、みたいな。
http://www.asahi.com/paper/column20060922.html
左翼も右翼も同じムジナ
最後に、「通達」という法的手段で「国家」への愛を形で表すことを、ヒステリックに強制するというのは、実は「国」がゆるやかに崩れ落ちかけている象徴でもあると思う。おそらく国旗国歌を論じる皆が勘違いしているのは、右翼=愛国(ナショナリスト)、左翼=嫌国(インターナショナリスト)という図式である。実はこれは間違っている。戦後日本の左翼は熱烈な愛国主義者(ナショナリスト)なのである。反体制運動家は愛国者、というのは世界の多くの国にも当てはまる。右翼・左翼の(一見)対立はどちらがより愛国者か、ということを競っているだけだった(過去形)。お互いは鏡であり、対立軸が存在してこそ成り立つものである。
けれど、今、国家への敬愛は別の道から崩れている。商品主義である。
ほら、多くのお茶の間の一般ピープルにとって、皇室ですらワイドショーネタ以上のものではないではないか。
つまり、今やワイドショーでしか国民をつなぎ止めることができない国家主義者は、ほとんどジリ貧といえる。
今時のナショナリズムはファッションや消費だ。石原慎太郎が銃を持って身体張って戦うなら信じるよ。(家族には悪いけど、「生きて虜囚の辱めを受けず」とかかましといて大勢の庶民の命を散らせながら、自分は生きて虜囚の辱めを受けた東条さんはA級戦犯になって当然だろう)。
愛国心を言う人たちは、まさか食事をしながらケータイをしてたり、ご飯を食べたらソッコー部屋でネットしてたりしないだろうな。愛国心を言う前に、地域、地域を言う前に自分の家族だろ。
・・・ちょっと話がそれたが、要するに国だの皇室だのは「ファッション・ナショナリズム」の食い物にされているにすぎない。真に「国家」を崩壊させつつあるのは、ワイドショーであり、週刊誌であり、「サヨク」という言葉遊びであり、ブログでお気楽極楽なことを書き散らしている、あなたや私なのよん。
右翼や左翼の持っていた「愛国心」をこれ以上保てないとふんだ右翼系ナショナリストは、「愛国心」をあきらめ、「国旗国歌」という「かたち」を強制するほうを選んだのだろう。通達・教育基本法・学習指導要領etc...という「かたち」によって「愛」をつなぎ止めようとする作為がうまくいくとは私には思えない。「姓」によって「愛」をつなぎ止めようとする夫婦に似ている。「かたち」はあるが「愛」はない。心が大事とかいいながら「かたち」を強要するのって二律背反じゃない? かたちさえあれば心はどうでもいいのかな。だとしたら貧しいな。
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