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特報
2006.08.25
加藤元幹事長実家放火
党内忘却モード
自民党の加藤紘一元幹事長(67)の実家兼事務所が放火されてから約10日。「夏休み」や「捜査中」を理由に党内の反応は鈍く、すでに忘却モードに入っているかのようだ。だが、この事件は政党政治の根幹にかかわってはいないのか。不気味な静けさの背景には、事件と来月の総裁選が微妙に絡む空気がある。果たして政党政治が崩壊した1930年代と現在を重ねることは「大げさ」なのだろうか。
「総裁選が終わってから本格的な活動をしていく。しかし、8・15(終戦記念日)の問題もあったので、常に静かにしているようでは自民党の幅が狭いと思われてもいけないので、この時点で発起人会を開いた」
加藤氏は二十四日午後、来月の総裁選で圧倒的な優位に立つ安倍晋三官房長官の外交姿勢に批判的な議員が集まった「アジア外交のビジョン研究会」発起人会で会長に選出された後、こうあいさつした。
「静けさ」の対象は首相の靖国参拝に限らない。加藤氏自身の実家への放火容疑事件をめぐっても、党内は極めて静かな状況だ。
この日、ビジョン研究会に先立ち、自民党では党内七派閥が一斉に在京議員を集めて定例会合を開いた。夏休み明けでしばらくぶりの開催だったが、どの派閥でも加藤邸放火事件が話題に上ることはなかった。
山形県警は火災現場で割腹自殺を図った男(65)が放火したとみて、一週間前には男が所属する都内の右翼団体事務所を現住建造物放火容疑で家宅捜索した。
しかし、政府・自民党内では、十五日の発生当初から反応は鈍かった。
目立った発言を振り返ると、「何らかの思想的な背景があってということであれば、極めて言語道断」(谷垣禎一財務相)「暴力で言論を封ずる風潮の顕在化で、重大な問題だ」(山崎拓前副総裁)「仮に悪意を持った行為であるとすれば、まったく容認できない」(逢沢一郎幹事長代理)といった程度だ。
首相官邸では小泉純一郎首相、安倍官房長官とも十五日午後から夏休みに入り、公式な反応は一切なし。政府として声明や談話も出していない。
休暇中でも、政府が重大な事件だと判断すれば、首相らが公式に反応を示す。例えば、九三年五月、カンボジアで日本人警官が武装勢力に殺害された際には、宮沢喜一首相(当時)は静養先から急きょ東京に戻り、非難談話を出した。
今回の反応の鈍さについて、久間章生総務会長は「狙われたのが(加藤氏)本人なのか事務所なのか、警察が事件の背景を捜査している段階だ。そこが分からないと」と話す。だが、「狙われた」ことは事実であり、結局のところ、政府・自民党は今回の事件を重大な事態だとは認識していない、ということになる。
■『世の中の雰囲気心配』
当の加藤氏は二十四日、『こちら特報部』の取材に対し、「放火した人には怒りを感じるが、私の母親が外出するのを見てからガソリンをまいたようで、その分だけ『許す』という気分もある。むしろ、こういう人間がああいう行動に出てしまう世の中の雰囲気の方が問題だし、気になる」と話し、あらためて政治活動への意欲を強調した。
■『自由に発言否定の動き』
自民党の古株の党職員は「自民党は右から左までいて、何でも言える党だ。(今回の事件は)これを否定しようという動きだ」と懸念を示す。しかしながら、「人的被害はなかったし、加藤さんもこれまで以上に発言すると言っている。『加藤ここにあり』と示す好機なのでは」と事件を過去に押し流そうとする。
ただ、過去に押し流したいという大勢の空気を別の党関係者はこう説明する。
「状況からみて放火であることは明白。言論に対する暴力が許されていいはずがないのに、その正論が一部からしか出てこない。結局はこの問題で発言すると、小泉首相、ひいては後継者の安倍氏への批判につながってしまうから、ダンマリを決め込んでいる」
ある党幹部も同様に「総裁選を控え、靖国問題がクローズアップされているだけに、みんな発言しないのだろう」と指摘。そのうえでこう不満を漏らす。
「今回の事件は思想的な背景を持った言論に対する暴力の疑いが強い。本来ならば、『民主主義に対する挑戦だ』と最大級の非難をすべきだ。実際、そういう声が党の底流には強くある。にもかかわらず、閣僚や党内各派のリーダーといった立場のある人たちが一斉に非難しない。国民から見れば不思議だろう」
こうした状況を政治アナリストの伊藤惇夫さんも「本来、党声明くらいは出していい事件だ。それが出ないのは、党内の関心が総裁選後のポスト配分に移ってしまっているからではないのか」と分析する。
要は放火事件を非難すれば、小泉首相の靖国参拝に対する批判だと受け取られかねず、それは「小泉路線」を継承する安倍氏に敵対姿勢を示すことにつながるという不安が“筋道”より勝っているというわけだ。
もちろん党内にも深刻に受け止める向きはある。組織本部長の谷津義男衆院議員は「行動で言論を封じようとするとても危険な兆候だ。こんなことを許せば戦前の大政翼賛会になる」と危機感をにじませる。
「三年ほど前から意見が政治的に先鋭化する傾向を感じていた。激しくやらないとダメという社会風潮が出てきたのかもしれない」
谷津氏の念頭にあるのは三〇年代初頭の政党政治崩壊と、その後の軍国主義の台頭という歴史的事実だ。
三〇年十一月、浜口雄幸首相(当時)が右翼活動家に東京駅で銃撃され、翌年に死亡。続く三二年二月から三月にかけ、井上準之助前蔵相(同)、三井財閥の総帥だった団琢磨氏が相次いで射殺された右翼結社の血盟団による事件が起きる。同年五月には、軍青年将校による犬養毅首相(同)暗殺という五・一五事件が発生している。
今回の加藤氏の実家への放火事件で、こうした戦前の激動を想起し、“いつか来た道”の再来を懸念することはあまりに非現実的な空想なのだろうか。
終戦記念日当日、靖国神社周辺で名指しで『売国奴を許すな』と横断幕を広げられた東京大学の高橋哲哉教授(哲学)は「自分も(暴力への)脅威は日常的に感じているが、暴力で言論を黙らせることは絶対に許されない。自民党の沈黙が何を意味するのかは分からないが、かつて暴力への沈黙が軍国主義、ファシズムを生んだのは事実。これからも可能な限り冷静な論陣を張る」と語る。
前出の伊藤氏も「現在の空気と戦前の状況とが重なる部分は相当あると思う」と警鐘を鳴らす。
■知らぬうちに鈍感になる
「国のありよう、責任の所在をきちんと検証しない点は戦前、戦後とも変わっていない。言論への暴力への対応を怠ると、知らないうちに鈍感となり、気がついたら…(もう遅い)という状況になりかねない」
<デスクメモ> ナチス迫害を体験した政治哲学者、故ハンナ・アーレント氏はかつてこう語った。「人々にとっては、時代を分ける分割ラインを踏み越すときにそれと気づくことなどほとんどないのです。ラインにつまずいた後で初めて、この分割ラインは過去に後戻りできない壁になるのです」。言葉の重みをかみしめる。(牧)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060825/mng_____tokuho__000.shtml
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