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靖国に祀られない戦没者 (その4) 樺太(サハリン、千島)
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投稿者 Kotetu 日時 2006 年 8 月 22 日 18:55:32: yWKbgBUfNLcrc
 


▼▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽(引用開始)▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▼

             (略)
<北海道新聞>

太平丸沈没*強制連行朝鮮人に多数の犠牲*52年前の悲劇 波間から輪郭*相次ぐ証言、全容解明へ
1996.11.18 北海道新聞朝刊全道 27頁 朝社 (全1424字)
*「アトラソワ島はっきり見えた」現場特定も
 「一九四四年(昭和十九年)、約千人の朝鮮人を乗せて小樽を出た輸送船太平丸が千島列島のパラムシル島

(幌筵島)沖合で撃沈され、多数の朝鮮人が海にのみ込まれた」−。先月下旬、元日本軍属の韓国人、全金◆

(チョン・クムドル)さん(75)=韓国京畿道在住=がこう証言したのをきっかけに、当時の日本軍兵士ら

が次々と口を開き、十七日までに四人の証言者が名乗り出た。朝鮮人の死者は数百人に及ぶとみられ、強制連

行者の最大級の受難の全容が次第に明らかになりつつある。全さんは今月下旬にも小樽を訪問し、当時の記憶

をたどる予定だ。

 日本人、朝鮮人労働者らを乗せた大洋海運所有の陸軍徴用船「太平丸」(六、二八四トン)が米潜水艦「サ

ンフィッシュ」の魚雷二発を受けたのは、四四年七月九日午前十時前後。あと四時間ほどで北千島パラムシル

島に入港する矢先だった。

 新たに、当時、第九一師団輜重(しちょう)隊上等兵として乗船していた奥野一男さん(79)=札幌市=

が、「同船は米俵を主に物資をうずたかく積み、間に人を押し込むような形で航行していた。だから、崩れて

来た物資に埋まり、多数が逃げ遅れた」と証言した。

 正確な朝鮮人の乗船者数、死亡者数は明らかになっていないが、これまでの証言から、少なくとも四百人以

上、多ければ九百人ほどに上るとみられる。奥野さんは「日本人を含めて二千人以上が乗り、半数以上が死ん

だと思う」。甲板にいて助かった朝鮮人は数十人程度だったらしい。

 同船の悲劇は、戦時船舶史を研究する駒宮真七郎さん(79)=埼玉県=の手で明らかにされていたが、朝

鮮人の犠牲者は全く表面に出ていなかった。駒宮さんは「千八百十二人中、九百五十六人が亡くなったと防衛

庁などの記録にあり、実際の乗船者がもっと多かった可能性もある。が、朝鮮人にかかわる記載は一切見つか

らなかった」と言う。

 なぜ、これほど多数の朝鮮人が乗船していたのか−。戦況が悪化し、四三年にアリューシャン列島から撤退

した日本軍は、千島列島を防衛線として守備隊の強化と港湾建設を進めたが、「四三年にはパラムシル島柏原

湾の港湾工事だけで約千人が動員され、そのほぼ半数が朝鮮人だった。翌四四年も同工事などに人が必要とさ

れた」(証言者の一人)とされる。

 終戦直後、朝鮮人をめぐる悲劇は、サハリンで日本人憲兵らが朝鮮人を虐殺したとされる「上敷香事件」や

、少なくとも四千人の朝鮮人労働者を乗せて帰国途中の輸送船が原因不明の爆発で沈没し、朝鮮人五百人以上

が死亡した「浮島丸事件」がある。

 しかし、戦中については具体的な記録や証言は残っておらず、やみからやみへ葬られてきたようだ。
 「将来、沈没地点で同胞を慰霊したい」と話す全さんは、事件の手掛かりを求めて今月下旬にも小樽を訪問

する。「沈没個所は千島列島アトラソワ島(阿頼度島)の東沖で、同島がはっきり見えた」など、沈没地点の

特定につながる証言もこれまで寄せられており、全さんは残された命の長さと戦いながら、次第に輪郭を現し

てきた事件の全容解明を待ち続けている。
 
  証言者     乗船者数       死者数
          ( )内は朝鮮人  
全金◆(75)   不明(950)   朝鮮人大半
今村栄三(82)  不明(650以上) 朝鮮人大半
工藤守夫(76)  2200(450) 1300人=日本人含む    
奥野一男(79)  2000      半数以上
戦   史     1812       956
                   (敬称略) ◇
(注)◆は「石」の下に「乙」

脳裏に浮かぶ悲劇の始まり*太平丸事件*全さん小樽訪問
1996.11.25 北海道新聞夕刊全道 13頁 夕社 (全768字)
 【小樽】「ここから死の旅が始まった。事実を隠し続けている日本政府が憎い」−。
 輸送船の撃沈で多数の強制連行朝鮮人が犠牲になったことが半世紀ぶりに明るみに出た「太平丸事件」の生

き証人、全金◆(チョン・クムドル)さん(75)=韓国京畿道在住=が二十五日、同船の出港地・小樽を訪

ね、当時の記憶をたどった。

 全さんは朝鮮半島の郷里から一九四四年に引き立てられ、日本軍属として同船で北千島に向かう前、小樽で

一カ月余り軍事教練や労働に従事させられたという。寒風の中、小樽港の第二ふ頭に立った全さんは、つえで

小柄な体を支えながら、「この辺りに横付けされていた太平丸に、タラップから直接乗り込んだ。出港は夜中

。灯台は見えなかった」と五十二年前の乗船時の記憶を呼び戻した。

 「小樽では、地ならしの労働に連れ出されたこともあった。同胞たちがここで酷使されていたことを思うと

、何とも言い難い。そして、千人近い同胞が海にのまれた」。全さんの目が潤み、赤くなった。この日は「収

容先は手宮学校」という全さんの記憶をたどって小樽市立手宮小学校も訪ねたが、「こんなふうではなかった

」と、様子が違っていることに戸惑いを見せた。

 全さんは、江原道の強制連行賠償訴訟の原告の一人で、東京地裁での判決のため二十一日に来日。原告敗訴

で失意の来道となった。同行の太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会所属の金景錫さん(70)も「この小樽に、強

制連行の歴史を知っている人が何人いるでしょうか。日本政府は真相を究明すべきだ」と訴えた。
 全さんは、二十五日午後六時半から北海道難病センター=札幌市中央区南四西一〇=で開かれる話を聞く会

(会費千円)に出席した後、二十六日に離日する。 ◇
(注)◆は「石」の下に「乙」

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http://www.gun-gun.jp/sub/kiroku/010923.htm
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