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8月20日付
露の漁船銃撃 漁民に銃口向けるな
北海道根室市のカニかご漁船が、北方領土歯舞諸島の貝殻島付近でロシア国境警備隊に銃撃を受け、拿捕(だほ)された。乗組員4人のうち1人は死亡。ロシアは「威嚇射撃だった」と主張するが、漁船は無防備である。漁民に銃口を向けるべきでない。
ロシア側の報道では、警備艇が指定海域外で操業を行っていた。停止を命じたが、逃走したため、警告発砲した。漁船を臨検したら毛ガニ20−30キロやタコ10キロを発見したとしている。
一方的な報道なので真偽は分からないが、たとえ違法操業にしても無防備な漁民に銃口を向けるべきではない。麻生太郎外務大臣が、ロシアの駐日臨時代理大使を呼んで「日本の領海内で起きた事件であり、容認できない」と抗議したのは当然である。
代理大使は「停止せず逃げようとしたり、警備局のボートに体当たりしようとした」と説明した。しかし、坂下登船長は電話で親族に「ゴムボートが突然接近して射撃された。逃げてはいない」と話している。
日本政府はロシアに「乗組員と船の即時解放」「関係者の処罰」などを求めている。ロシアはどのように停止を求めたのか、発砲は過剰反応ではなかったか、など納得のいく説明をする義務がある。
銃撃事件が起こった北方領土の貝殻島海域は、根室半島の納沙布岬から東へわずか3・7キロしか離れていない。周辺は好漁場として知られている。戦後は旧ソ連が領海と主張し、日本漁船を排除していた。
歴史的には1855年、日露通好条約を結んで以来、ウルップ島から北の千島列島はロシア領、択捉、国後、色丹、歯舞の四島は日本領土と確定した。1875年に樺太千島交換条約で、千島列島をロシアから譲り受ける代わりに樺太全島を放棄した。さらに1905年のポーツマス条約で南樺太が日本領となった。ここでいう千島列島とはウルップ島以北である。
第二次世界大戦後の1951年、サンフランシスコ条約でウルップ島から北の千島列島と南樺太を放棄した。しかし、ソ連は択捉、国後、色丹、歯舞の4島まで千島列島として領有権を主張し、現在に至っている。
戦後、北方領土から引き上げた根室漁民は「自分たちの海」の意識が強く、この海域で漁をしては旧ソ連に拿捕される悲劇が毎年続いた。1963年に北海道の水産団体と旧ソ連との民間漁業協定が結ばれ、貝殻島周辺の一部ではあるが安全操業できるようになった。
しかし、北方領土海域ではここ半世紀、厳しい取り締まりが続き、旧ソ連・ロシア側警備艇による銃撃は約40件に上る。銃撃事件で死者が出たのは50年ぶりである。今回の事件は、北方領土問題が片付いていないことをまざまざと見せつけた。領土問題の交渉はポスト小泉政権の重要課題となるだろう。
この海域はロシア側も、外貨獲得の漁業資源の宝庫として重要視している。根室漁港には連日のように、ロシア漁船が獲ったカニが水揚げされている。ロシアは自国漁民の保護のために、日本漁船の監視を強化しているとの見方もある。
今回の銃撃事件を受けて、水産庁は北海道漁業組合連合会などに、漁船の越境操業防止を徹底するよう指導した。しかし、北海道の漁民にも生活がある。安全操業できるように、日露政府が協議をし、2度と悲劇が起こらないようルールをつくらねばならない。(園田 寛)
佐賀新聞
http://www.saga-s.co.jp/ronsetu.html
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