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http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20060817ddm005070040000c.htmlより転載。
2006年8月17日
社説:視点 小泉時代考 勝ち・負け拡大で国家の品格揺らぐ=論説委員・近藤憲明
「格差のない社会は逆にヘンではないか。格差があっても必ずしも悪いことではない」(06年3月参院予算委で小泉純一郎首相)
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この言い方は小泉首相のオハコだ。「雨が降ったら、天気は悪い」と似た論法で、当たり前のことをことさら強調する。そもそも反論・反証できないようなレトリックなのだ。
首相に言われなくたって、競争あるところには格差は生じる。格差もイロイロだ。所得、資産、教育、国と地方、世代間、官と民、企業間……。貧富の格差を示す指標は、小泉時代以前と比べて拡大していないという指摘もあるが、生活者の実感としては格差はますます広がっている。
はっきり言えることがある。小泉時代の5年間は「勝ち組」と「負け組」に分けたがる社会風潮が強まった。下流社会という耳障りな言葉も流行した。それゆえ、格差社会を助長したというより、格差社会「感」をまん延させたと言うほうが正しいかもしれない。
戦後日本は、みんなが中流になれる社会を目指した。年金、医療、生活保護などいわゆるセーフティーネットを整備して、格差を縮める社会を築こうとしてきた。
小泉時代の特徴の一つは、自己責任論で理論武装し、市場原理主義と規制緩和に身をゆだね、結果として招来する社会の二極分化に目をつむってきたことだ。
ホリエモンや村上ファンドのような勝ち組はますます金がもうかり、ニートやフリーターはいよいよ貧困とあきらめの道を歩まねばならなくなった。それを国策として認知してきたと言えまいか。
ボヤくつもりはない。人間のみならずイルカだって運動好きと苦手がいることを最近知った。社会が人間で構成されている以上、今後も格差を完全になくすことはできない。しかし、格差が拡大するのを防いだり、当たり前に努力している人が報われ、格差など気にせず、誇りを抱いて暮らしていける社会文化を築くことなら人間の知恵で出来そうな気がする。
ポスト小泉を目指す人たちもいびつな現実を実感しているからなのだろう。格差是正に焦点を絞った物言いが始まっている。
やれ、階層の固定化を防ぐ。機会の平等を確保する。負け組になった人にも再チャレンジする場を与える。いずれも社会が活力を持って機能していくうえで言うまでもないことばかりだ。
だが、もっと大切なことがありそうだ。勉強が嫌いな子、金もうけに縁遠い人、運動の苦手な人、出世から見放された人、その他大勢の「普通の人々」がそれぞれの価値観を認められる社会の実現である。普通の人々が日々の暮らしに誇りを持てる精神文化がこの国にも根付いてほしい。国家の品格を左右するのは一握りの勝ち組ではなく普通の人々なのだ。
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≪関連投稿≫
参拝などにだまされては駄目だ もっと重大な問題がこれだけある
http://www.asyura2.com/0601/senkyo25/msg/495.html
投稿者 黄昏時のパルチザン兵士 日時 2006 年 8 月 18 日 17:22:07: WCbjO5fYf.pMQ
(略)
東大教授の刈谷剛彦氏(教育社会学)によれば、日本の「格差社会」を英訳すれば「inequality(不平等)」になるという。「格差」は客観的事実を表すが、「不平等」は行政の失敗が招いた結果だ。欧米先進国では「失敗」と「格差」はパッケ―ジ。日本のような格差社会は。悪政が元凶と考えるのが普通なのだ。
(略)
安倍は総裁選用の対策として「再チャレンジ支援策」なるものを打ち出しているが、これがまたインチキである。前出の紺谷典子氏が言う。
「再チャレンジを支援するということは、それほど負け組が多いということですが、安倍さんは幹事長、官房長官として小泉政権の中枢にいた人です。『支援する』と言うなら、まず負け組を生み出した責任をハッキリすべきだし、小泉路線のどこが誤ってたのかを明らかにする必要があるのです。それを抜きに『小泉改革の継承』を言っているのですから、話になりませんね」
(以下略)
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