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□あの人は今こうしている 故・横井庄一夫人の横井美保子 [ゲンダイ]
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2335381/detail
あの人は今こうしている 故・横井庄一夫人の横井美保子
ぴんからトリオの「女の道」や小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」が大ヒットし、札幌冬季五輪が開催され、赤軍派のあさま山荘事件に日本中が衝撃を受けた72年、グアム島の密林で28年間もの逃亡生活を送っていた横井庄一元伍長が「恥ずかしながら……」と頭を下げて帰国。平和ボケの日本人にショックを与えた。帰国後は耐乏生活評論家として活躍した横井さんは97年9月に82歳で亡くなったが、美保子夫人は今どうしているのか。
「自宅を記念館にして残して欲しい、というのは亡くなった主人の遺志でした。当初は七回忌が終わった時点で開館する予定でしたが、いろいろあって今年の6月24日まで延びてしまった。でも、どうにかここまでたどりつき、ホッとしています」
名古屋市中川区にある横井庄一記念館で会った美保子夫人はこういって微笑した。横井さんが帰国した72年11月に結婚。25年間一緒に暮らした自宅を改造したものだ。
「記念館には主人がグアム島で土を掘って造った隠れ家を原寸大(縦約2メートル、横約4メートル)で再現し、室内にあったカマドや主人手作りの竹製のカゴ、ヤシの実を利用した食器、魚を取る漁具などを展示しています。器用だった主人は、植物の茎から得た繊維を織るための機織り機まで自力で作ったんですよ」
それだけに記念館は小規模ながら、臨場感タップリ。また、そうした創意工夫の精神が28年間ものサバイバルを可能にしたことがわかる。
「あと、主人には人一倍、忍耐力があったんです。帰国後、精神修行にと始めた陶芸でも、作っては壊し壊しては作りの繰り返しで、気に入った作品ができるまで決してあきらめませんでした。釉薬(うわぐすり)も、市販のものは色が安っぽいと、自分で灰から調合したくらいですからね」
「無心庵」と名付けた自宅裏の工房で制作されたそれらの陶芸作品も、記念館に並ぶ。
横井さんは72年1月24日に発見され、2月2日に「恥ずかしながら帰ってまいりました」の今でも記憶に残る言葉とともに28年ぶりに故国の土を踏んだ。
「帰国早々、主人は栄養失調で病院の個室に入れられました。そのとき、殺到するマスコミ対策として、警察の関係者の方がガードして下さいましてね。でも、主人はそれを自分を見張っている監視員だと思い、回復して大部屋に移されたとき、初めて心から安心し、生還を実感したそうです」
日本中が横井さんの帰国を驚きとその計り知れない忍耐力に対して称賛の気持ちを持って迎えても、本人はまだまだ疑心暗鬼だったのだろう。
「記念館には身内が戦死された戦災ご遺族がよく見えます。みなさん、主人のグアム島での暮らしぶりに接して、自分たちの父や兄、あるいは夫の苦労がしのばれ、来てよかった、とおっしゃって下さる。それを聞いて主人も草葉の陰で喜んでいると思います」
なお、記念館は日曜日のみ開館。
【2006年8月15日掲載】
2006年08月18日10時00分
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