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遺族会の票欲しさにはじめた靖国参拝、馬鹿の熟慮はしれたものの思慮浅薄の最後っ屁、どうせ文句を言われるなら最も文句を言われる日こそだとよ。権力者にとって、命令されるままにホイホイと命を捨ててくれる兵士は愛しい必需品。そりゃあ知覧でウソの涙だって流すわけだが、やるべき事は他にある、あの滅茶苦茶な戦術の責任者を処罰することだろうよ、当たり前のコンコンチキ。
小平義雄とかいう国内でも強かんをくり返した凶悪犯がいて、同じようなことを中国でやって勲章をもらっちゃている。日本で同じことをやったら犯罪者として捕まったわけ。分かりやすく言えば、小平の勲章に当たるものが靖国神社。
靖国神社が追悼施設ではなく“顕彰施設”なのだというのは、高橋哲哉『靖国問題』に詳しく書かれているが、戦争で子どもを亡くし悲しむ母は、戦死を天皇に褒められて、すべてを忘れて嬉しくなり元気が出なければならないのである。悲しい時にも泣けずに逆に喜べと強制する靖国神社の倒錯は、貴重な兵士の大半をむやみやたに犬死・餓死させた皇軍の本質とも共通するもの。
A級戦犯が祀られていようといまいと靖国神社とは侵略戦争を反省しないカルト宗教。だからA級戦犯を他へ移せばいいというものではない。そういえば「麻生太郎あらため金太郎(注:創氏改名)」が靖国をごちゃごちゃいびって国家護持のような事を言う。それじゃあ戦前の靖国になっちまう。まさしくイカレポンチの戯言である。
危険な軍人恩給は敗戦後GHQによって廃止されたが、まもなく復活して現在に至る。この国が「忠実な殺し屋」に高額な補償をし続ける訳は(注:一般の戦争被害者に対する冷淡さを見よ!)、もう一度「忠実な殺し屋」を必要としているからで、 金銭面だけを見ればこの国は「殺し屋」にとって申し分のない国だ。その上に、精神面の救済として靖国神社が存在する。そこでは「殺し屋」は英霊に昇格し誉め讃えてもらえる。
侵略戦争でもうけてきた代々続く戦争屋の面目躍如、米国にしっぽを振りながら権力者になってあれほどこだわる靖国参拝のもう一つの理由がうかんできやしないか。だからあ〜「二度と戦争を起こしてはならないという気持ちで靖国参拝をする」いうのは当たり前のコンコンチキ大嘘ということになる。だって今現在、小泉日本の軍隊がテロ国家アメリカのイラク侵略の兵站任務で大忙し。白々しいたっらありゃしない、「もう侵略戦争をやりはじめているのだから当然敗戦記念日に強行参拝じゃん」と受け取るべきなのであり、この恥ずべきアホ首相の被害者は中国・韓国をはじめのアジア、その中にはアフガン・イラクも含まれいるのである。
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そこでだ、侵略戦争の被害者は日本の敗戦以降、侵略神社をどうしたのであろうか?
●『戦後史の発見/上』いいだ・もも、武谷祐三(産報)より―─
【朝鮮人民のものすごい「御真影」焼き打ち】
<8・15>の転回点に立って、朝鮮総督府、朝鮮進駐軍は8月16日、「大権は天皇にあり・・・・・・朝鮮軍は厳然と存在する」と声明しました。これに対して、8月15日の夜、平壌神社に放火したのを手はじめに、朝鮮農民はいたるところ、奉安殿を焼き払い、”国花”の桜を伐り倒し天皇偶像の破壊に決起しました。ホ・ウォンテックさんの故郷での実見談では―「8月17日の朝方、面(日本でいう村)の国民学校の奉安殿が農民の手によってぶち毀され、焼き払われ、ついで面の神社も焼き払われた。ところが奉安殿の天皇の写真はすでに日本人巡査によって持ち出されていたので、各家々に強制的に押しつけられていた天皇一家の写真が集められ、奉安殿の前で一緒に焼かれた。この写真はなかなか燃えきらなかった。なぜなら、小便がかけられ肥え溜めにつけられ、つばを吐かれたあとに火がつけられたからである。」 ・・・中略・・・
朝鮮総督府統計によれば、8月16日から8日間に、神社・奉安殿に対する破壊・放火は実に136件。植民地朝鮮の「皇民」は<8・15> の解放を、このようにして開始したのでした。明治以来、日本では“御真影”を火事から守るために「殉職」した教師が数多くあり、“御真影”を守りそこない、「殉職」の機を逸して後から自殺した教師も数多くあったくらいですから、それに対比してみるならば、この朝鮮人民の焼き打ちは植民地における解放闘争のすさまじさをよくしめしています。
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これって当時の天皇教カルト信者にはとても無理なことでしょ?まだあの時分には洗脳が解けていないから。でもね、あれから60年も過ぎて、カルト侵略神社はそのまま存在し、忠米忠犬の馬鹿首相が敗戦記念日に参拝し、低国民の半数が支持しちゃうって、どういうことなの?
小泉支持って要するに庶民まで国家首脳気取りっていうことでしょ?だいたい庶民には戦争を起こせない。国家首脳が侵略戦争をしなければ侵略神社も必要ない。庶民が身近の人の死の悲しみを国家に横取りされることもない。いわんや悲し時にイカレタ教祖のほめられて喜ぶことなどもってのほか。ことは簡単、庶民は悲しい時には泣けばいい。間違ってもイカレタ国家のために命など投げ出さぬように・・・・・。
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