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(回答先: 東京の右翼団体の男か 加藤議員の実家全焼 [共同通信] 投稿者 white 日時 2006 年 8 月 16 日 12:38:56)
小泉の靖国参拝とブルジョア的反対者への極右テロ。
日本はここまで来たということだ。
改憲を阻止しなければ、日本は再び侵略戦争を始める。
@五・一五事件(ウィキペディア)
・犯行背景
時代は1929年の世界恐慌に端を発した大不況、企業倒産が相次ぎ、社会不安が増している最中であった。1931年には石原莞爾率いる関東軍の一部が暴走して満州事変を引き起こしたが、政府はこれに引きずられる形であった。犬養政権は金輸出禁止などの不況対策を行うことを公約に1932年2月の総選挙で大勝をおさめた。一方、犬養は満州事変を黙認し、陸軍との関係も悪くなかった。しかし、1930年ロンドン海軍軍縮条約を締結した前総理若槻礼次郎に対し不満を持っていた海軍将校は以前から若槻襲撃の機会を狙っていた。ところが、民政党は大敗、若槻内閣は退陣を余儀なくされた。これで事なきを得たかに思われたがそうではなかった。計画の中心人物であった藤井斉が「後を頼む」と遺言を残して中国で戦死してしまった。この遺言を知った仲間が事件を起こすことになるのである。つまり、本来ならば犬養は殺されるはずではなかったが間違って殺されることになったのだ。
また、犬養は護憲派の重鎮で軍縮を支持しており、これも海軍の青年将校の気に入らなかったと思われる。不況以前、大正デモクラシーといった民主主義機運の盛り上がりによって、知識階級やマルクス主義など革新派はあからさまに軍縮支持・軍隊批判をしており、それが一般市民にも波及して、軍服で電車に乗ると罵声を浴びるなど、当時の軍人は肩身の狭い思いをしていたことも事実のひとつである。
本事件は、二・二六事件と並んで軍人によるクーデタ・テロ事件として扱われるが、軍人の犯人は軍服を着用しているものの、二・二六事件と違って武器は民間から調達され、また将校達も事情を知らない部下を動員しているわけではないので、その性格は大きく異なる。同じ軍人が起こした事件でも、実際に体制転換・権力奪取を狙って軍事力を違法に使用したクーデターとしての色彩が強いのが二・二六事件であり、殺人テロの色彩が強いのが本事件である。
本事件は、昭和天皇の勅令により、失敗に終わったとするのが、定説である。しかし、これによりこの後、斎藤実、岡田啓介という軍人内閣が成立し加藤高明内閣以来続いた政党内閣の慣例(憲政の常道)を破る端緒となった。しかし実態は両内閣共に立憲民政党寄りの内閣であり、なお代議士の入閣も多かった。民政党内閣に不満を持った将校らが立憲政友会の総裁を暗殺した後、民政党寄りの内閣が誕生するというのは皮肉であった。
なお、事件当時チャップリンが来日していて、チャップリンも標的となったが、直前になって標的から外された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E3%83%BB%E4%B8%80%E4%BA%94%E4%BA%8B%E4%BB%B6
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