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昭和天皇がA級戦犯合祀に「不快感」をもっておられたことを示す富田元宮内庁長官のメモをめぐっていまだに大騒ぎが続いている。「あれ(A級戦犯の合祀)以来参拝していない。それが私の心だ」という昭和天皇の言葉の持つ意味は、間違いなく重い。
しかし、より重要なことは、天皇発言メモをめぐるその後の論争の過程でこの国のタブ―が破られようとしていることである。それはもちろん天皇の戦争責任のことである。東条英機は天皇に忠誠を尽くし、天皇の戦争責任を回避するためにA級戦犯として絞首刑に服した。天皇がそれを知らないはずがない。その天皇がA級戦犯合祀に不快感を示すことがあっていいのかと公然と語られるようになった。7月31日の朝日新聞「風考計」でも若宮啓文論説主幹はこう書いている。
<「戦争の全責任を負う」と一度はマッカ―サ―元帥に申し出た天皇だ。そうならなかったのは、東条英機元首相らが一切の責任を負ったからではないのか。それなのに、A級戦犯の合祀は許せないだとか、参拝をやめたなどと、人情としていえるものか>
天皇陛下の人となりを語るときに確かにこれは我々に複雑な思いを抱かせる。しかしもっと深刻なことは、戦後の日本は天皇陛下とマッカ―サ―の合作によってつくられたのではないかという、昭和史のパンドラの箱を、このメモが開けてしまったことである。戦後の対米従属の原点がここにある。
「平和に対する罪」という事後法で東条らをA級戦犯と決めつけた東京裁判は、勝者の裁判として日本国民の多くがその不当さを語る。しかしその国民の多くが気ずかないことがある。あの東京裁判が、昭和天皇を利用して日本を統治しようとしたマッカ―サ―と、その本心を見抜いた天皇と当時の為政者が、それを逆手にとって天皇免責を勝ち取り、天皇制を維持する取引をしていたとすれば・・・・・・・・・・。
東京裁判は、勝者の裁判であったから問題なのではない。天皇を守ろうとした当時の為政者が日本国民を欺いていたところに真の問題があるのかもしれない。そうだとしたら「東京裁判は不当である」と騒ぐ国民はいい皮の面だ。A級戦犯の絞首刑を決定したキ―ナン検事は、離日直前に皇居に招待されて天皇陛下から感謝の食事を供せられていたという厳然とした史実もある。
小泉参拝に異を唱える形で流出した天皇メモは、昭和史のタブ―に光を当ててくれた。日本国民が真実を知る時こそ日本国民が自らの国を手にする時である。
天木直人 ニッポン外交の迷走
日刊ゲンダイ 2006年8月15日
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