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http://www.asahi.com/paper/editorial.htmlより転載。
2006年08月15日(火曜日)付
静寂を取り戻すために ナショナリズムを考える
8月15日がこんなにかまびすしい日になったのは、いつからだろうか。
あの戦争について考え、戦没者に思いをいたす。平和をかみしめ、二度と戦争を起こしてはならないと誓う。もともとは、そんな静かな日のはずだった。
小泉首相の靖国神社参拝が一つのきっかけになっているのは間違いない。この5年来、15日が迫るにつれて参拝の是非論がメディアで取り上げられ、追悼のあり方や歴史解釈をめぐって論争が繰り広げられる。
私たちは13日朝刊の「親子で戦争を考える」という社説で、戦争責任について論じた。きょうはそれを受けて、いまの喧噪(けんそう)を考えてみたい。日本の将来に重要な意味を持つナショナリズムの問題がかかわっていると考えるからだ。
●内向き志向の危うさ
書店を訪ねてみよう。
戦争責任や靖国神社問題を論じる本が多数並ぶ。「中国人を黙らせる50の方法」「マンガ嫌韓流」といった刺激的な題の本も少なくない。「中国、韓国なにするものぞ」という空気が流れている。
その中国でも、ナショナリズムが花盛りである。めざましい経済発展で人々が自信を深めていることもあるだろう。共産党自身が「中華民族の偉大な復興」をうたい、愛国心を鼓舞してもいる。昨年、激しい反日デモが吹き荒れたのは記憶に新しい。
韓国では、竹島をめぐって反日感情が噴き上げた。
私たちは、ナショナリズムそれ自体が悪だとは思わない。自分の国への愛着や誇り、国をよくしたいという熱意、同胞への友愛……。そうした思いには社会的な連帯を支えるプラスの面がある。
だが、同時に、ナショナリズムには危険な側面もあることを忘れてはなるまい。自ら信じる価値がすべてだと思い込み、他国の人々が持つ価値を認めない。そんな内向きの論理に閉じこもってしまえば、対話は難しいし、排外的な感情に転化しかねない。
中国や韓国とのつながりは、かつては予想もできなかったほど太く、幅広いものになっている。ただ、交流が深まるほど、摩擦の種もまた増えざるを得ない。内向きの感情が目につき始めたいまの景色は要注意である。
なぜ東アジアにそんな空気が漂っているのか。理由はさまざまだろう。ただ、日本との関係で貫くものがあるとすれば、それは歴史認識をめぐる不一致であり、感情のすれ違いだ。
靖国参拝にしても、教科書問題にしても、それが根っこにあって中韓から批判を浴び、日本が反発し、双方が非難を増幅しあう連鎖に陥ってしまう。
●参拝が火をつけた
その意味では、小泉首相の発するメッセージは混乱したものだ。
ちょうど1年前のきょう、首相は戦後60年の節目に談話を発表した。「植民地支配と侵略によりアジアの人々に多大の損害と苦痛を与えた」「痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明する」
東条英機元首相らA級戦犯について、首相は「戦争犯罪人である」と明言し、東京裁判を受諾したという政府の見解を変えるつもりもない。
ここに見える首相の歴史認識は、中国や韓国が求めるものとほとんど食い違いはないと言っていいだろう。
なのに、首相はそうした認識と靖国参拝は矛盾しないと言い張っている。そのうえ参拝の是非を、中国や韓国の要求に屈するかどうかの問題であると単純化してしまった。「他国が干渉すべきではない」と、内向きの姿勢もあらわにして参拝を正当化するのだ。
こうした首相の言動が、人々の間にある中韓への反発感情に火をつけ、さらには敗戦で傷ついた民族のプライドを回復させたいという復古的な感情にも格好のはけ口を与えた。
小泉政治の特色の一つは「分かりやすさ」にある。敵味方を峻別(しゅんべつ)し、二者択一を迫る。国内問題では確かに成果を上げたけれど、外国を相手にして思慮ある手法だとはいえない。外に敵を見つけ、国民の感情をあおるのは危険である。
グローバル化する世界にあって、東アジアは相互依存を急速に深めている。中国は日本の貿易相手国として米国を抜き1位に躍り出た。両国にとって、共存共栄の道を探るしかないのは、冷静に考えれば分かることだ。韓国にしてもしかりである。
●政治家の重い責任
互いに内向きの論理を振りかざして、反発心をあおる時ではないはずだ。非難の応酬で関係が冷え込む悪循環からどう脱却するかは、日中韓3カ国の政治指導者に共通する課題だろう。
日本にとっては、靖国問題をどう乗り越えるかが問われている。この論争の根底にあるのは、過去の戦争をどうとらえるかという歴史観であり、ナショナリズムの問題でもある。
ポスト小泉の政治家に求められるのは、それぞれの歴史観を明確に語り、それを戦没者の追悼や外交のあり方につなげる形で具体的に示すことだ。
それなくして、8・15の追悼にふさわしい静寂を取り戻すことはできない。
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