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今、なぜ靖国問題なのか。(前進8/14号)
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投稿者 happyblue 日時 2006 年 8 月 14 日 17:46:45: BaRfZQX6fAfSk
 

@今、なぜ靖国問題なのか。帝国主義と戦争の危機
 9条改憲と戦争に反対する戦略的闘いに今こそ立とう(前進8/14)

 東山 整一

 今、なぜ靖国神社問題なのか。それは日本帝国主義にとって、日本労働者人民にとって、戦争の危機がかつてなく生々しい現実として目前に迫りつつあるからだ。「戦死」にどう向き合うのかという形で、半世紀をこえてあいまいにしてきた敗戦帝国主義としての日帝の国是・国家イデオロギーが、待ったなしに、根底から問いただされるに至ったからである。小泉は首相就任以来5年続けて靖国参拝を続けている。もちろんこれは小泉の「心」の問題などではない。01年9・11以降の世界情勢を背景とするアフガニスタン・イラク侵略戦争への自衛隊参戦、そして有事関連諸法制の制定から米軍再編の名で進行する米帝新世界戦争戦略への自衛隊の限りない融合と一体のものとしてある。だが重要なのは、ここにこそ実は日帝の軍事政策の最大の破綻(はたん)点もまたあるということだ。敗戦帝国主義から侵略帝国主義への命がけの飛躍は、ここにおいて没落帝国主義としての最も深刻かつ無残、解決不能な墓穴へと転化しつつある。こうして日帝ブルジョア支配階級の内部には、靖国をめぐる亀裂が走り、分裂が深まり、動揺と右往左往が拡大している。61年目の8・15を前に、7月20日付日本経済新聞のスクープ=「昭和天皇、A級戦犯合祀に不快感」うんぬんの記事は、この靖国と天皇制と日本帝国主義をめぐる危機を恥ずかしげもなく自己暴露したものだ。同時にそれはすべての日本の労働者人民に、今こそ改憲と戦争に反対する戦略的闘いに総力で立ち上がるべきことを教えている。
(写真 国際連帯のもとに闘われた昨年の8・15靖国弾劾闘争)

●靖国めぐる混迷から日帝は逃れられない

 日経新聞という日帝ブルジョアジーの意向を最も忠実に代弁してきた機関紙による報道は、昨年6月の読売新聞社説、「国立追悼施設建設を急げ」の主張と並んで、日帝ブルジョアジーの内部において、小泉というブルジョアジーの政治的番頭が毎年続ける靖国参拝をめぐってきわめて深刻な混迷が深まっていることを示している。

 もちろんこれは、日本共産党あたりが恥ずかしげもなく片思いしているような財界の平和勢力化を意味するものではない。世界経済は、WTO交渉の決裂、保護主義の台頭、中東危機と並行して進む原油高等々の要因によって破局的危機をさらに深めている。日帝ブルジョアジーはここでの生き残りを米帝経済への一層の依存とそれとの一定の緊張をはらんだいわゆる「東アジア共同体」構想への道に求めている。日本の対中貿易が対米貿易を超えたのは04年である。今や「世界の工場」として急成長を続ける(その内的矛盾を爆発的に膨張させながら)中国、さらにはASEANからインドに至る何十億アジア民衆の搾取と収奪の上に今日の日本資本主義は成り立っている(消費量の9割を占めるペルシャ湾石油の確保を絶対的生命線にしてだが)。

 こうして日本ブルジョアジーは自己の存立のかかった死活的要求として、日米軍事枢軸の形成を、日米安保の「世界の中の日米同盟」への飛躍を、そして何よりも9条改憲による集団的自衛権の全面解禁を声高に叫んできたのである。一言でいえば、敗戦帝国主義としての殻を最後的に打ち破り、一人前の帝国主義としての世界大的な規模を持った軍事政策を奪還することの必要性を絶叫し続けてきたのである。

 だがここで最も困難なのが「国のために生命をささげる若者」の育成である。課題は二つある。ひとつは教育だ。だから「日の丸・君が代」強制であり、「つくる会」教科書であり、教育基本法改悪による「愛国心」注入である。いまひとつが宗教、ないしは「戦死者」を国がいかに扱うかの問題である。だがあのアジア・太平洋戦争における自己の壊滅的敗北(それは明治維新以来の近代日本の総破産であった)を何ひとつ総括せず、ただ「冷戦」下の米帝世界政策に寄りかかることで一切を頬(ほお)かむりし、狡猾(こうかつ)にやり過ごしてきた日本帝国主義は、前者では「平成の教育勅語」を持ち出すことしかできず、後者でも靖国神社以外に回答を持ち合わせていないのだ。

 だが靖国神社とは、その付属軍事博物館=遊就館のおぞましい展示内容を挙げるまでもなく、明治以来連綿と続く「大日本帝国」の朝鮮・中国・アジア侵略戦争と対米戦争を全面的に居直り、賛美するものである。いわゆるA級戦犯合祀は、このような靖国神社のあり方の逸脱としてではなく、その本質の顕現としてあるのだ。だがここへの毎年の首相参拝は、それが日本における新たな軍国主義台頭の最も鋭い、あくどい一環であるがゆえに、特に南北朝鮮、台湾、中国等の民衆の激しい怒りを呼び起こしてきたのである。

 これに対して日帝ブルジョアジーは、一方では明治以来の番犬帝国主義としてのアジア蔑視(べっし)的悪臭を振りまきながら対中国・対韓国の排外主義をあおりにあおってきた。そこでは北朝鮮・金正日政権の反人民性や軍事冒険主義がとことん餌食(えじき)にされた。だが他方で彼らは、小泉の靖国参拝が生み出す、とりわけ中国との間の「政冷経熱」をこえた「政冷経涼」的関係をもはや受け入れられなくなった。それは東アジア経済における日本帝国主義の陥没・失陥の危機を突きつけてきた。こうして日帝ブルジョアジーは、自らつくり出した危機にのたうち回りつつ、靖国の政治的・国際的焦点化をなんとか回避しようとあがき始めた。だがそこにはどんな回答も解決も用意されていない。日帝が日帝である限り、日帝が戦争への道を突き進もうとする限り、日本のブルジョアジーは、靖国問題という呪(のろ)われた軛(くびき)から解き放たれることはけっしてないのだ。

●戦争責任の追及恐れ戦犯合祀に「不快感」

 報道によれば、靖国神社は78年に当時の宮司松平某の独断でA級戦犯を合祀、これに不快感をもった天皇裕仁が以降参拝しなくなったとされている。だがその後の報道でも明らかにされているように、戦後における靖国合祀も、戦前の陸海軍省(靖国神社の管轄者)の業務を継承する厚生省(国)が地方自治体に協力させて、全面的に主導してきた。当時の宮司が合祀さえしなければ、今日の靖国問題はなかった(マスコミ報道はこのトーンに終始している)などというほど、ことは簡単ではない。

 A級戦犯とは、今からちょうど60年前の46年5月に始まる東京裁判において「平和に対する罪」で有罪判決を受けた戦争犯罪人を指している。東京裁判は、「非軍事化」と「民主化」を指針とするGHQの対日占領政策における、公職追放(約20万人におよぶ戦中期指導者の追放、いわゆるホワイトパージ)と並ぶ、最も重要な権力行為、権力発動としてあった。

 だがマッカーサーの対日占領政策は、もちろん日本軍国主義を再び米帝に牙をむくことができなくなるまで解体すると同時に、それ以上に日本の敗戦が日本の革命に転化することを防止するという目的意識性に貫かれたものであった。こうして東京裁判は、28年から45年までの天皇の軍隊の戦争犯罪の共謀の罪で何人かの軍人などを訴追しながら、その共謀に首尾一貫してかかわってきた唯一の人、大元帥・裕仁はあらかじめ免訴するという茶番、日米合作の政治裁判として開かれる。

 48年11月の判決は、東条英機以下7名に死刑、これを含む25名に有罪の結論を出した(2名は判決前に獄死)。そして52年4月発効のサンフランシスコ講和条約11条で(当時はまだ終身刑などのA級戦犯が獄中にいたが)、日本国は東京裁判を「受諾」し、そこで確定した刑を執行することを約束した。つまり、戦後日本は独立を回復するにあたって、(天皇の免罪と引き換えに)A級戦犯の処罰の「受諾」を国際公約として表明したのだ。

 だがこれは表向きだけ、日帝得意の二枚舌だった。独立回復とともに日帝は待っていましたとばかり、52年から55年にかけて衆参両院で4回にわたり戦争犯罪人の釈放・赦免の決議をほぼ全会一致で採択し、50年代前半からA級戦犯を次々と出獄させ、重光葵や賀屋興宣などの戦犯が直後から政界に復帰したことはよく知られている。ここで最も注目すべきは岸信介である。岸は一度はA級戦犯に指定され、逮捕されながら、裁判の長期化、「冷戦」の激化、占領政策の転換の中で、東条処刑の翌日(48年12月)には不起訴のまま釈放され、周知のように57年には首相になり、60年安保改定の立役者になった。そしてこれらA級戦犯の戦後的軌跡は、(公職追放の解除とともに)反ソ・反共の日米安保政策のもとでの米帝の強力な後押しを受けて生まれたのである。

 岸のように東条内閣の商工大臣として日米戦争の先頭に立った人物が、戦後は日米同盟強化の旗振り役を演ずるところに、日本帝国主義における戦前と戦後の断絶と継承の関係が象徴されている。そしてこのことは、実はA級戦犯うんぬんの次元に限ったことではなく、天皇制そのものについても言える。かつては統治権の総覧者であり、軍事大権から教育大権、非常大権までを一手に集中してきた絶対的天皇制が戦後象徴天皇制に変わることによって、それが大きく政治の表舞台から後景化したことは事実である。だがそのことを指摘するだけでは不十分である。一番肝心なことは、戦後の象徴天皇制は第2次世界大戦に勝利した米帝国主義の戦後世界支配体制の決定的一環として延命し、再生してきたということである。

 戦後天皇制はけっしてマッカーサー占領政策の方便としてたまたま延命したのではない。最近の研究では早くも42年半ばごろ(真珠湾攻撃の半年後)から、米帝中枢において、〈日本の敗戦が日本の革命に転化することを防ぐ〉という至上命題のために、天皇制を利用することが議論され始めている。これに対して天皇裕仁はおのれの戦争責任の帳消しとそれを通じての日本革命の防止のため、日本側において最も重要な役割を果たす反革命的主体として立ち現れる。47年9月の沖縄売り渡しの天皇メッセージから、50〜52年日米安保制定前夜の天皇外交がそれを示している。ここに明らかなことは戦後象徴天皇制と戦後日帝の基本政策としての日米安保政策は深く通底しているということである。

 A級に続いてBC級戦犯も58年までには全員赦免・釈放され、70年にはBC級の刑死者約千名が靖国に合祀される(BC級戦犯とは捕虜虐待など通例の戦争犯罪を犯したもの)。78年のA級戦犯の「昭和殉難者」としての合祀もこの流れの帰結と言える。そして今、小泉の参拝が毎年続いている。だがこのような「逆コース」以来の歴史はけっして平坦に進んできたのではない。ひとつは国内の階級的抵抗、特に60年安保闘争と70年安保・沖縄闘争である。前者は反安保の闘いであると同時に反岸の闘いであった。国外では「冷戦」で遅れるが特に中国からの反撃の結果として、82年教科書問題の爆発(「近隣条項」導入はこの時)、85年の中曽根参拝の挫折(ざせつ)等があげられる。

 78年合祀と裕仁の反応に戻れば、そもそも自分こそA級戦犯の筆頭として処刑されるべき戦争犯罪に手を染めてきた人物が、その「忠良なる臣下」の合祀に「不快感」を示すなどということはただ破廉恥・醜悪の極みと言うほかない。だが同時に裕仁はけっして「暗愚の帝王」だったのではなく、極めて反革命的嗅覚(きゅうかく)の鋭い政治家だった。その「不快感」の底には、A級戦犯合祀が靖国の危機だけではなく、戦後象徴天皇制のすでに見てきたようなあり方の危機を招きかねないことへの恐怖が横たわっていたに違いないのだ。

 78年段階もすでにベトナム失陥後で米帝の戦後世界支配体制は大きく揺らいでいたが、今日では91年ソ連崩壊をはさんで、とりわけ中東危機の激烈な進展(イラン革命→湾岸戦争→9・11)を導火線に、それは音を立てて崩壊しつつある。そして戦後象徴天皇制もまたその存立の大前提、すなわち米帝による戦後世界支配の安定とそのもとでの日帝の安定的繁栄の崩壊とともに政治的激浪にのみこまれ、一方では天皇制本来の凶暴性をあらゆる場で衝動的に突出させ、他方ではそれが呼び起こす階級的反撃と国際的孤立におびえつつ、没落帝国主義・日帝の最大の政治的・軍事的弱点を形成しているのだ。

●形式強制する暴力が天皇制と靖国の本質

 靖国問題に長年取り組んできた大島孝一氏は、ある時、靖国神社の「本音」を聞いたとして次の言葉を紹介している。

 「あなたがたクリスチャンが、神社を参拝なさるのを私たちは歓迎しますよ。心の中で、キリスト様にお祈りなさっても結構です。ただし、形だけでも神社に拝礼だけはしていただきます」

 まさに本音、靖国と国家神道の核心、ひいては天皇制・天皇制イデオロギーの本質が語られている。内心ではなく形式、この形式を守らせるための暴力と強権、これが天皇制のすべてである。戦前の帝国憲法をつくった伊藤博文は、欧米諸国にあるキリスト教に代わるものが日本にもなくてはならないとして、天皇を現人神、上御一人とする一神教に似せた国家神道というエセ宗教をデッチあげた。だが似て非なり、であった。

 ここでは宗教一般についての批判は捨象するが、まずキリスト教には教祖がいて、教典がある(仏教やイスラム教も同じだが)。そこには「教え」があり、内心が問題にされ、「内心の救済」を求める個人の宗教がある。もちろんキリスト教の歴史はさまざまな権力と結びついて民衆を支配してきたイデオロギーの歴史である。最近では帝国主義の植民地侵略・支配の先兵の役割を果たしてきた。だがにもかかわらずそれは、個人、内心にかかわる宗教であるがゆえに、たとえばベトナムには、フランス帝国主義が撤退した後にもキリスト教徒は残った。

 これに対し国家神道はどうか。それは古代神道に起源を持つ、教祖も、教典もない自然宗教を基にしている。「教え」も「内心の救済」も関係ない、形式、儀式こそすべての集団の宗教である。そこでは徹底的に個人が否定されるが、それは古代社会においては共同体からの逸脱は死を意味したことにさかのぼる。これを近代国家イデオロギーの基軸に祭り上げるためには何より暴力と強権がすべてだった。だから天皇制日本は、朝鮮神宮を始め、植民地各地に数々の神社をつくり、現地の人びとを強制参拝させるが、8・15以降どこの旧植民地にも国家神道の信者など一人も残らなかったのだ。

 日本帝国主義は最も遅れて世界史に登場した帝国主義である。近代日本国家の設計図をつくるために、大久保利通、木戸孝允、伊藤らを含む岩倉使節団が欧米に旅立ったのは明治4年だが、それは1871年のパリコミューンの年そのものであった。彼ら明治の元勲たちは、こうして日本の資本主義化、ブルジョア的近代化をスタートさせるはるか以前から、自由とか、人権とか、民主主義とかを許せばやがて社会主義がやってくるという強烈な反革命的恐怖心で針ねずみのように満身を武装して、明治国家の建設に取り掛かるのである。

 もともと近代ブルジョア憲法のタテマエは、個人の尊厳(封建的秩序・しがらみからの個人の解放)を核とした権力の分立と人権の保障からなる。しかし自由民権運動の圧殺・取り込みの上に成立する帝国憲法体制は、家族制度を国家支配の末端に組み入れながら、封建社会的限界(忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず)を「忠孝一本」的思想で突破し、全人民を天皇と国家のもとに暴力的に組み敷いていった。そしてこの秩序を乱すものは「非国民」として社会的に抹殺されていった。

 先に国家神道には教典がないと言ったが、強いて挙げれば帝国憲法の翌年に発せられた教育勅語がそれにあたる。「滅私奉公」、私=個人の否定としての公への翼賛がすべてである。ちなみに「公」を広辞苑で引けば「@天皇、A朝廷」とある。そしてこの勅語の核心は言うまでもなく、さまざまな儒教的徳目に続く「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」にある。そしてこれは軍人勅諭の「義ハ山嶽ヨリモ重ク死ハ鴻毛ヨリモ軽シト覚悟セヨ」から、戦陣訓における「生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ死シテ罪禍ノ汚名ヲ残スコト勿レ」へと一直線に連なる。こうして滅私奉公の思想は、究極的には生の否定としての死(=天皇のための忠死)の顕彰・賛美、すなわち靖国の思想に行き着くのである。

 内心ではなく形式だけなどと攻撃を侮ってはならない。じわじわと締め付け、一歩一歩と後退を強いられ、気がついた時はもう身動きがとれず、最期には「玉砕」と「特攻」と「集団自決」に追い込まれ、そしてその恐怖から、自らをアジア何億民衆に最も憎まれた「日本鬼子(リーベンクイズ)」に改造していった日本の民衆、労働者農民兵士たちの歴史を忘れてはならない。日本帝国主義が再び戦争を始める時、日米同盟のもとであれ何であれ、「自由」や「人権」のために若者を戦場に駆り立てられるはずがない。結局かつてのやり方以外に何もないのだ。教育の場でそれはすでに先行している。

●天皇制を突き崩す質獲得した不起立闘争

 東京都教育委員会の03年10・23通達下で今、東京都の教育現場で進行している事態は何なのか。要するに石原と都教委の直接の目的は、卒・入学式を厳粛な「儀式」として成功させること、これに尽きる。だがこうして現場からの戦後教育の暴力的解体と皇民化教育の復活が始まっているのだ。実際、少なくない教育労働者が、内心ではこのような権力の教育への介入に強い抵抗感を持ち怒りを抱きながら、その後の処分と報復を恐れて、起立と斉唱と伴奏を強いられている現実を軽視することはできない。

 しかしまた他方では、たとえ少数ではあっても、勇気ある教育労働者の決起、不起立の貫徹、40秒間のストライキが各地で、形を取り繕うことだけに汲々(きゅうきゅう)とした、空疎な儀式を粉々に粉砕し、10・23通達の無力性を完膚なきまでに暴き出しているのである。これは天皇制・天皇制イデオロギーをその核心において突き崩す闘いである。戦後60年、われわれが先達たちの闘いを引き継いで、血と汗で切り開いてきた階級闘争の地平は、敵がかつてと同じ手法で(彼らにはそれ以外にないのだが)戦争を準備しようとしても、それを許さないだけの質を獲得していることを、このような闘いがわれわれに教え、勇気づけているのである。

 靖国と教育は日帝の新たな戦争に日本の若者を総動員するためのイデオロギー的両輪である。9条改憲のイデオロギー的支柱である。「日の丸・君が代」強制と「愛国心の法制化」の行き着く先が「戦死者の英霊化」である。靖国神社とは、天皇の名のもとに、国家が戦死者を管理・顕彰し、それをとおして生者を新たな戦場・戦死に駆り立てるための死の祭壇である。人倫の根源を踏みにじる死のイデオロギー装置である。だが靖国神社はその本質からして天皇の参拝がなければ成り立たない宗教施設なのである。ところが今回は、なぜ天皇が参拝してこなかったかのぶざまな内幕までさらけ出してしまったのだ。分祀? 無宗教化? 千鳥ケ淵? すべて問題をさらにこんがらがせるだけだ。日本のブルジョア支配階級はただうろたえ、途方に暮れている。

 日本帝国主義は、1945年8・15によっていったん折れた、つぶされた帝国主義である。そして直ちに起こる戦後革命の嵐を米軍の力に依拠してかろうじてのりきる。その中で生まれたのが現行憲法であり、教育基本法である。戦後革命敗北の副産物である。それから60年余り、日本のブルジョアジーは長年の悲願であった改憲に着手している。日本階級闘争は今日、完全に改憲をめぐる攻防のステージに突入した。ポスト小泉政権のもとで事態は一層明らかになるだろう。

 だが改憲といっても、自民党も民主党も改憲派だから、スムーズにいくだろうなどと思ったら大間違いである。そもそも61年前の8・15そのものをまともに対象化も、総括もしてこなかった日帝ブルジョアジーが、8・15以降の「屈辱の歴史」(ブルジョアジーにとっての)を清算するといっても、具体的論点に踏み込んだとたんに混乱・迷走・分裂の渦に飲み込まれることは目に見えている。靖国問題で今現出しているブルジョアジーの右往左往は、改憲本番をめぐって起こることの前触れに違いない。

 今こそ改憲阻止闘争への渾身(こんしん)の力を込めた決起が求められている。だが改憲闘争といっても、それは今現在あらゆる分野で闘われている闘いと別のところにあるのではない。労働運動を軸に、学生運動、市民運動、農民運動のすべてを包含した全人民的闘い、そして政治闘争と経済闘争の全領域における闘いを、全力で、かつ「改憲阻止・日帝打倒」の質的高さをもって闘い抜き、その中で憲法闘争としての憲法闘争を06年秋をとおして離陸させることが、まさに今待ったなしの課題になっているのである。
http://www.zenshin.org/f_zenshin/f_back_no06/f2258b.htm#a10_1

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