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観音崎公園
神奈川県横須賀市鴨居町4丁目
【写真】戦没船員の碑
建立記
昭和十二年七月に端を発したさきの戦争において わが国の海運水産界は六万余人に及ぶ
尊い船員の生命と二千五百隻 八百四十万総噸を越える船舶を失うというまことに大きな犠牲
を払いました
それから二十五年 わが国の海運水産界は再び隆盛をとりもどし昔日にまさる繁栄を見るに
至りましたが 私どもはこれら多くの戦没された船員の労苦を偲びその霊を慰めるとともに世
界の海に二度とこのような悲劇をくり返さないように致さねばなりません
こうした私どもの願いは昭和四十四年七月財団法人戦没船員の碑建立会の発足となり 多
数の人びとの協力を得てここに記念碑を建てて 戦没船員の名簿を収めることになりました。
見渡す限りの大海原 変わることのないこの大自然を前にして この地を訪れる人びとと共に
心をあわせてこの記念碑が永遠の平和の光となりますよう深い祈りを捧げるものであります
【写真】碑文石
碑文
安らかにねむれわが友よ 波静かなれとこしえに
【写真】御製碑と御歌碑
天皇陛下御製
戦没船員の碑
戦日に逝きし船人を 悼む碑の彼方に見ゆる 海平らけし
皇后陛下御歌
観音崎戦没船員の碑除幕式 激しき雨の中にとり行はれぬ
かく濡れて遺族らと祈る 更にさらにひたぬれて 君ら逝き給ひしか
戦没した船と海員の資料館
兵庫県神戸市中央区海岸通り3−1−6
全日本海員組合/関西地方支部2Fホール
TEL 078−331−7541
開館時間 平日の午前九時から午後五時まで(入場無料)
献辞/全日本海員組合長 中西昭士郎
あれから半世紀余の歳月が流れた。容赦のない雷撃と空爆に追われ傷つき焼かれ、機雷
の海深く沈められた彼女たちのうめきと悲しみ、身もだえが今も伝わってくる。
中国との全面戦争から十九四五年八月の軍国日本の敗北まで、多くの船員と民間船舶が
戦時動員され、南方海域で日本沿岸・周辺海域で犠牲となった。「海に墓標を」は、絶対に
記憶を風化させてはならない。と叫ぶ船と人の無言の訴えである。
海外諸国との友好と協調によって生きる海洋国日本にとって、平和な海は絶対の生存条件
であり、われわれ船員は再び海を戦場にしてはならないと決意する。これは二十一世紀日本
の国民のいのちと暮らしを守る安全保障政策にとってのかなめである。
このたび、「戦没船を記録する会」と全日本海員組合の共同により、鎮魂と不戦の地階のあ
かしとして戦没船の記録「海に墓標を」を建立し、今を生きるものから後世へ、確かに伝える。
献辞/戦没船を記録する会会長 川島 裕
つつしんで六万余の海霊に捧げます。
あなた方は、過ぐる大戦において、輸送船に乗組み、寒風肌をさす北海から炎熱鉄をも溶
かす赤道直下の南洋までの広大な海洋を舞台として、兵員、武器・弾薬その他の軍需物資
の決死の輸送に、その身を挺して活躍されましたが、苛烈な武器なき戦いを強いられ、その
尊い生命を蒼海深く沈め、ふたたび還ることはありませんでした。
そのこうべには冠もなく、その胸を飾る勲章もありません。
けれども、あなたがたのいさおしは、海の平和を守る礎として、燐として万世に光り輝くでしょう。
墓標なき海深く眠る御霊よ、私たちは、あなたがたの魂魄を鎮めようと、全日本海員組合の
絶大な協力を得て、ここにあなたがたが生命をかけて守ろうとした船の在りし日の麗姿を展示
し、海の恒久平和を願うよすがといたします。御霊よ、どうか、わたしたちの心からなる
祈りに耳を傾けてください。
「安らかに眠れわが友よ、波静かなれ永久に」
靖国神社
東京都千代田区九段
【写真】奉納画「ヒ八六船団帰らず」
説明文
この油絵は、大東亜戦争における海上輸送船の実情を伝えるため、財団法人日本殉職
船員顕彰会と、海防艦顕彰会により、奉納されました。佐藤幹児画伯の作で、204号の
大作です。
昭和20年 1月12日、印度支那半島東岸に於て、「ヒ八六船団」(タンカー四隻、貨物船
六隻)、護衛艦(第百一戦隊・・「香椎」、海防艦五隻)は、南方の石油、重要物資を満載し、
帰国途次、米国の主力機動部隊艦載機の反復攻撃を受け、終日に及ぶ防戦も空しく、
海防艦三隻を残し、全滅しました。
この後も、決死的な南方輸送が行われましたが、殆ど成功せず、南方との重要輸送路を
断たれた我が国は、石油、資源が枯渇し、国力を失いました。
【写真】「護国海防艦」碑
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/senin.htm
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