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靖国神社、それは国家の関係からみて軍事施設であった
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投稿者 木村愛二 日時 2006 年 8 月 12 日 22:56:13: CjMHiEP28ibKM
 

http://chikyuza.net/modules/news1/article.php?storyid=35
靖国神社、それは国家の関係からみて軍事施設であった<大川昭一>

<おおかわ・しょういち:現代宗教研究会>
 この9月に退任する小泉首相が、終戦記念日の8月15日に靖国神社に参拝するかどうか、各マスコミの注目を集めているが、このところ靖国神社をめぐる議論が、首相参拝の是非の問題から、「A級戦犯分祀」問題に焦点が移ったかのようである。しかし、そうした表層をめぐる問題ばかりにとらわれていては、靖国神社をめぐる問題の本質は見えてこない。
 1930年代の「靖国神社国家管理法案」をめぐる国会での論戦の後につづき、1975年8月15日、時の総理大臣三木首相が「私的」に参拝。1985年8月15日の中曽根首相による「公式参拝」と、終戦記念日における靖国神社への首相の参拝が毎年注目されていた。中曽根首相が、中国や韓国からの強烈な反発により翌年から参拝を中止した。以来、この問題は沈静化したかのように見えたが、2001年4月の自民党総裁選挙で小泉純一郎氏が「終戦記念日」における靖国神社参拝を公約にしてからこの5年間、靖国神社への首相の参拝が再び注目されるようになったのである。
 中国や韓国の反発は、靖国神社に「A級戦犯」が合祀されているからで、その反発を回避し、首相が大手を振って参拝できるようにするために、その「A級戦犯」を分祀してはという話が自民党内に起こったことは、各マスコミが報ずるところである。しかし、果たして、「A級戦犯」を分祀すれば問題が解決するのであろうか。この問題を単純に外交問題と捉えたならばそういう案も出てこようが、ことは総単純なものではない。
 首相の特定宗教施設の関与は憲法に定められる「政教分離」の原則に触れるもので、違憲行動であると各地で訴訟が提起され、高裁段階ではあるが、いくつかの違憲判決も出されている。ここでは「公式参拝」の違憲問題は別の機会に譲り、靖国神社性格に着目してみたい。
 結論から先に述べると、戦前の靖国神社は軍事施設であったという視点が、昨今の靖国神社をめぐる論議で欠落している点を指摘しておきたい。各種議論がなされる中で、忘れられているのであろうか、あるいはその点をあえて無視をしているのであろうか。もちろん、現在の靖国神社は、民間の一宗教法人として存在している。したがって、公式参拝などと、憲法20条でいう「国およびその機関」である内閣総理大臣が「公式参拝」という宗教活動をしたならば、この20条の規定、「政教分離」原則に違反していることは明白である。
 
 しかし戦前、靖国神社は国家施設として存在していた。しかも、国家神道体制下にあって内務省の管轄する他の神社とは違って、陸軍省、海軍省の管轄にあったのである。国政と神社神道が一体化した国家神道体制のもとでは、戦闘死したものを追悼するのに神社の形態をとるというのが、当時の国家体制としては当然のことであった。しかし、この神社は、神を祀るという神社本来の性格以前に、戦死者を祀り鎮魂するとともに顕彰するという軍事的な要請が優先されていたのであった。
 
靖国神社は1869年に創建された東京招魂社が、1877年6月4日に改称されたものである。東京招魂社は明治維新における官軍の戦没者の「御霊」を鎮めることを目的に創建された。靖国神社との改称と同時に「別格官幣社」に列格された。政府は、大政奉還、王政復古とともに、祭政一致の政策をとり神祇官を再興させ、神道を国教化してく過程でのことである。
一般の神社が内務省の管轄で、靖国神社は内務、陸・海軍省の管轄であったが、1887年からは陸海軍省の管轄となった。靖国神社は一般の神社とは違って、戦争のたびに祭神が増えていくため、全ての祭神を合わせて一座とした。具体的には戦没祭神の名簿「霊璽簿」を社殿に安置している。
戦前の靖国神社は、国の施設であり、軍隊の施設であったのである。1945年8月のポツダム宣言受諾後、連合軍が日本本土に進駐してきた。連合軍総司令部(GHQ)がめざしたのが、祭政一致体制の打破であった。「神道指令」(1945.12.1)により国家と神社神道の分離がなされた。このプロセスで靖国神社が民間宗教法人となったと解される向きがほとんどであろうが、靖国神社の場合は他の神社と同様に扱われたわけではない。軍事色の強い靖国神社は、1945年12月1日の陸海軍省の廃止に伴い設置された、第1、第2復員省に管轄が移される。GHQの視野の中には、軍事施設の靖国神社の廃止も当然のこととしてあった。
宗教色を持った軍事施設これが1985年8月15日以前の靖国神社の姿であった。靖国神社の去就が他の神社にも大きな影響を与えることになると危惧したのが、当時連合軍のアドバイザーを務めていた岸本英夫東京大学助教授であった。靖国神社は敗戦間もない11月19、20日に「臨時大祭」を行っている。陸・海軍省が廃止されれば合祀が続けられなくなると危惧。両省の廃止前に全戦没者のための招魂祭をしておこうというものであった。20日の大祭にはGHQの民間情報教育局長のダイク准将が臨席することとなり、岸本氏が前夜祭の終わったばかりの靖国神社に訪ねた。本社殿には明るく電灯がつき、陸海軍将校の祭典委員が2、30人ほど集まっていた。物資の乏しい時代であったが盛んにビールを飲み、気勢を上げていたという。
祭典医院は参謀将校が多かったらしく、サーベルは押収されて丸腰ではあったが、みな金モールをつけた軍装であったと言う。こうも軍事色が強ければ、当時としては靖国神社の存亡に関わると、岸本氏は将校らに平服での参列を依頼し、一般神社での祭礼の装いを整えたという。
 岸本氏らの日本側関係者は、靖国神社の軍事せいよりも、宗教性に着目して靖国神社の存続を図った。靖国神社の神職サイドも、神社の宗教性を前面に押し出し、1945年12月287日公布の宗教法人令にしたがい、1946年9月7日神社みずからが胆率宗教法人としての登記を完了している。ちなみにこの宗教人令は1951年4月の宗教法人法の施行とともに廃止され、靖国神社も1952年8月1日に同法に基づき宗教法人の設立公告を行っている。
簡単に振り返ってみたが、戦後の靖国神社は、特に1952年以降は法律上、国家機関と全く無関係な宗教施設として存在してきた。その運営も神社の独自性に任されてきたのである。こうした神社に対し、内閣総理大臣がその関係性を強調して公式参拝をしたり、国との関係を回復させようとの主張をすることがどういうことを意味しているのか考えてみたことがあるのだろうか。靖国神社と国家との関係を強化する、それはまさしく軍事施設としての靖国神社の復活に他ならない。いってみれば自民党の新憲法草案の自衛軍設置を先取りした、戦前の軍事機構の再構築を意味することに気がついているのだろうか。あるいは充分に承知しながら着々と実績を積み重ねていこうというのだろうか。
アジア諸国との関係からすれば「A級戦犯」合祀の問題よりもはるかに重大な問題が存在していることいえよう。ましてや、麻生外務大臣が言うような、宗教法人靖国神社の自主解散、国家施設への編入など、宗教法人に対する政府の介入という側面と、軍事施設神社の再構築の具体的な手続き論の提案ということになることを承知の上での発言なのだろうか。
<記事出典コード> サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/

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