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いまさら大前健一?という反応が大多数でしょうが、この部分では本質を言い当てているようです。
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http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/a/42/index.html
第40回
A級戦犯問題を「論理思考」で考察する (1〜7)
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/a/42/05.html
5.国民に知らされていない自民党と中国の密約
自民党次期総裁として有力な安倍晋三氏は、小泉さん以上の靖国参拝論者で、過去にも参拝経験があり、今年4月にも参拝していたことが明るみに出ている。そうなるとしばらくはアジア外交が波乱含み、ということになる。
かつて中国や韓国は天皇や歴代の首相などが靖国に参拝することに関しては別に問題視していなかった。合祀以降、何らかのきっかけでこの問題が浮上した。となれば、過去、我が国が特に中国と交わした約束は何だったのか。それが問題になるだろう。
1972年、時の首相・田中角栄氏が訪中し、日本と中国は国交を再開した。そのときに自民党と中国の間でいったいどういう約束が交わされたのだろう。そのことを日本国民のうちどれだけの人が知っているのか。実は「戦争の加害者はA級戦犯だ。中国の民衆も日本の国民も同じ犠牲者なのである」として、A級戦犯だけを犯人に仕立て上げ、残りの日本人には責任がないことにして日中平和条約が締結され、賠償権も放棄された、といわれている(実際問題として日本は国民政府と既にこの問題は解決済みであったために、あとから政権を確立した大陸政府とはこのような解決策しかなかったと思われる)。この日中相互理解がその後田中派の利権となった中国へのODAの根拠ともなっている。靖国合祀後に登場したコチコチの参拝論者であった中曽根首相でさえも、胡耀邦・趙紫陽ら改革派を支援するために首相としての参拝をやめている。
つまり中国の理解は、戦争責任はA級戦犯、日中両国民は犠牲者。したがってこれが、日中が将来仲良くしていくための大前提、というものだ。この政権トップの「相互理解(あるいは密約?)」は日本、および中国の一般国民にはよく理解されていない。そういう理解でODAを開始しておきながら、中国人が評価してくれないのも問題だし、日本人も「靖国に誰が行こうがこちらの勝手、内政干渉もはなはだしい」と言って譲らないのも問題。戦後の補償問題を特定政治家たちの利権に置き換えるような小ざかしいことをした張本人たちがここで登場しなくては永久にこの問題は解決しない。
運の悪いことに、中国の胡錦濤国家主席は胡耀邦の直弟子で、その経緯をよく知っているといわれている。また靖国問題を解決して天皇の中国訪問を実現するために何回か訪日している。だからこそ、A級戦犯を奉っている靖国神社に首相が参拝することに関してはかたくなに反発するのだ、という中国要人もいる。今の胡錦濤の理解なら、もし首相が参拝するのであれば、A級戦犯だけでなく、日本国民全員があの戦争の加害者ということになるからだ。中国の立場で考えれば、日本の国民は中国民衆と同じ被害者だという認識で納得しているのに、「話が違うじゃないか」ということになるのは当然のことだ。
そんなときに、昭和天皇が自分自身も被害者で、A級戦犯をお参りするのは嫌だというメモが出てきたわけだ。日本の政治家にとっては頭の痛いことだろう。
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/a/42/06.html
6.複雑化した問題を「論理思考」で整理する
この際、歴代の自民党の代表の方々が、日中平和条約を結んだとき、ODA開始の前提など中国との約束で、明らかにされていないものをつまびらかにしてしまってはどうだろうか。上記の中国との経緯に関しては、ばらばらな文献、中国の研究者の話、一部政治家たちのコメントなどから組み立てたものだ。
それらの密約や合意を、日本国民は知らされていない。特に改革開放以前の中国との関係は共産党や自民党の一部の人々が仕切っており、学者やマスコミの網にもかからないことが多かった。だから、80年代半ばから急に中国が靖国神社参拝を批判し始めたのに対して、多くの日本国民が「中国にそんなことを言われたくはない」「中国に言われて参拝をやめるなんて屈辱だ」と反発してしまうのだ。だが、なぜ中国が参拝を批判するのかをよく考えてみてほしい。中国にとってA級戦犯がどういう意味を持っているのかを。
今回、昭和天皇の発言メモが見つかったことを契機に、自民党が中国と交わしてきた密約も解明してほしい。A級戦犯を加害者にし、国民を被害者として扱ったいきさつも含めて、新しい資料が出てこないと、これらの種々の問題を解決するのは難しいだろう。
そうしたなかで、8月15日を前にしてわたしにできることは何か。それは戦後60年という長い年月の間に風化し、錯そうし、複雑化したことに関して「論理思考(ロジカルシンキング)」の方法を用いて問題を整理し、新しい方向を模索することだ。感情や思想を抜きにして、事実だけを元に論理を組み立てて行くやり方である。企業社会では当たり前のように使われている手法だが、政治や外交ではあまり使われない。マスコミも問題を複雑にするのは得意だが解決策の提案は苦手である。まずは第一歩から始めてみよう。
1.明治憲法下で統帥権をもつ昭和天皇の戦争責任は明白である
2.戦後その責任が問われることはなく、占領統治に有利な新しい役割が与えられた
3.戦争の全責任は占領下の東京裁判においてA級認定された者に帰属する、とされた
4.戦後しばらくは天皇も政治家も靖国に参拝していた
5.1978年にA級戦犯が合祀されてからは天皇は靖国参拝をやめた
6.A級戦犯に大戦の責任を取らせ、両国民は犠牲者、という理解で日中友好が推進された
7.A級戦犯を合祀する靖国に首相が参拝するなら戦争の責任議論をぶり返す、と中国
8.戦争犠牲者の冥福を祈るのは自由だ、外国の干渉は受けない、が小泉首相の言い分
9.多くの国民は裕仁天皇の第二番目の役割に満足、感謝、尊敬。そして1989年崩御
10.富田メモ、および90年の回顧録で、裕仁天皇は自分でも二番目の役割のみ認識
このような経緯を見ると三つの大きな“隠されたアジェンダ”が本件を分かりにくくしていることが明白になる。
1.昭和天皇が東京裁判で免訴されたことを忘れ、いつの間にか自分も戦争の犠牲者だ、と考えA級戦犯から距離を置こうとしたこと
2.田中派と中国の為政者たちが戦後処理に関して自分たちに都合のよい解釈をし、A級戦犯に全責任を押し付けてODAなどの利権をほしいままにしたが、国民にはその前提を開示していない
3.田中派利権つぶしに奔走した小泉首相が道路、郵政、中国、などの利権の雷管を踏みまくっている間に靖国問題でやぶへびとなり、予想外のジレンマに陥った(行っても騒動、行かなくても騒動)
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