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http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060812/mng_____tokuho__000.shtml
この夏、靖国神社をめぐる論議は新たな段階に入っている。麻生太郎外相は今月、靖国の非宗教法人化と国家管理を柱にした私案を発表。首相らの参拝の是非のみならず「靖国とは何か」という本質論が浮上している。その靖国神社の一角に「鎮霊社」というなじみの薄い社(やしろ)がある。本殿と鎮霊社の違いは何か。なぜ、四十一年前に設けられたのか。目立たぬ社から、靖国全体を逆照射すると−。
■どこにあるか知らないねぇ
「チンレイシャ? どこにあるかも知らないねぇ。社務所で聞いてみてよ」
靖国神社の参道脇でみやげ物屋を営む初老の夫婦は、鎮霊社についての記者の問いにびっくりしたような表情で目を見合わせた。
参道を真っすぐに進み、本殿前の拝殿の手前で左に曲がると、こんもりとした木々の中に入る。この一角に鎮霊社はあった。
参道からは外れているため訪れる人もいない。十平方メートル程度のごく小さな祠(ほこら)だ。屋根は本殿と同じ薄緑色だが、赤さびがかなりついている。鎮霊社の前に立て札があり、こんな由来が書かれていた。
「明治維新以来の戦争・事変に起因して死没し、靖国神社に合祀(ごうし)されぬ人々の霊を慰めるため、昭和四十年七月に建立し、万邦諸国の戦没者も共に鎮斎する。例祭日七月十三日」
靖国神社は「本来、国のために一命を捧(ささ)げた人たちの霊を慰めようと」(同神社作成のパンフレットから)、一八六九(明治二)年に「東京招魂社」の名前で建てられた。
靖国神社は必ずしも軍人・軍属だけを祀(まつ)っているのではなく、沖縄戦で死亡した「ひめゆり部隊」の女学生や学徒動員中に軍需工場で爆死した学徒たちも祭神として合祀されている。
その一方で、戊辰戦争時に官軍に敗れ、自決した会津藩白虎(びゃっこ)隊の少年兵や、維新の元勲でありながら、西南戦争で明治政府に反旗を翻した西郷隆盛は除外されている。また東京大空襲や原爆に遭った戦災者も同じだ。
「将来、国を守る基礎をつくるため、国に殉じた人を祀るのが靖国の基本。遺族のために存在しているのでもない」と同神社に近い関係者は指摘する。
その靖国神社ができてから、約百年後に本殿とは別に鎮霊社は建てられた。ここには白虎隊や西郷だけでなく、イラク戦争の死者など「万邦諸国の戦没者」も祀られているとされる。しかし、それらの人々の名簿はない。
建立の経緯などについて靖国神社広報課に取材を申し込んだが、「業務繁多で十八日以降でないと回答できない」と言われた。
代わりに前出の関係者は「賊軍も外国人も同様に祀るのは、人は死ねばみな仏になるという仏教にも影響を受けている」と話す。
ただ、これは多分に建前のそしりを免れない。出雲大社や太宰府天満宮は怨霊(おんりょう)を鎮めるために建立されたとされる。この関係者は「鎮霊社もこれと同じ。怨霊を恐れ、抑えようとするのは神道の考えの根本だ」と説く。
■本殿の祭神と扱い歴然の差
とはいえ、本殿に「祀られている祭神」とは歴然とした差がつけられている。現在は高さ三メートル弱の鉄の柵で囲われており、近くまで行けない。国籍や人種を超えた戦禍犠牲者の霊を祀るはずの鎮霊社は、なぜか一般公開すらされていない。
〇一年に月刊誌で鎮霊社を論じた日大講師で現代史家の秦郁彦氏は、鎮霊社が建立された背景に一九四六年から七八年にかけ宮司を務め、A級戦犯の合祀には否定的だった故筑波藤麿氏の存在を指摘する。
「靖国神社の(最高意思決定機関である)総代会がA級戦犯の合祀を決める七〇年以前に、総代たちと厚生省引揚援護局との間で合祀の根回しがあり、それに気づいた筑波さんがA級戦犯の『収まりどころ』として先手を打つ形で建立したのではないか」
さらに、秦氏は「筑波さんは宮司の任免権を持つ総代会から合祀を求められ、拒めなかったが、同時に合祀する気もなかった。昭和天皇の意を体していたと考えられる」と解説する。
筑波氏の死後、後任の故松平永芳宮司の時代(七八年)、A級戦犯は本殿に合祀された。秦氏は「筑波さんを補佐していた祢宜(ねぎ)に話を聞き、A級戦犯は一時、鎮霊社にいたことを確認した」と話す。つまり、鎮霊社が建立された六五年から七八年まで、A級戦犯は鎮霊社に祀られていたらしい。
秦氏は「鎮霊社は靖国神社が独自の判断でつくったもので、部外者がとやかくいうべきでない。世界中の戦没者を追悼するというのは正論で批判できない」と話しつつ、同神社が鎮霊社への参拝を受け付けていない理由をこう推測する。
■『分祀リンク神社嫌がる』
「(月刊誌で考察を発表した)〇一年当時、自民党内から『A級戦犯は鎮霊社にお帰りいただいたらどうか』という声が出たと聞いている。靖国神社はA級戦犯分祀論との絡みで、鎮霊社が話題になることを嫌がっているのではないか」
一方、筑波大の千本秀樹教授(現代日本史)は「霊を鎮めるという名前には、天皇に敵対して死んだ人たちがたたって出てこないようにする意味が含まれる。鎮霊社の本来の目的は天皇制、国家に逆らって死んだ人をたたりのないように鎮めることだ」と前出の関係者と同じ見方をとる。
鎮霊社が国内にとどまらず世界中の戦没者を祀っている点については「対象を広げているところにごまかしがある。本来は天皇のために死んだ人だけを祀る神社なのに、世界平和を祈っているというポーズをつくっている」と語る。
さらに、靖国が市民の戦争被災者と戦死者を分ける姿勢にも疑問を呈する。
■『一視同仁の思想に矛盾』
「靖国神社は鎮霊社に参拝しなくていいという姿勢だ。なぜ、原爆や空襲の犠牲者が、賊軍と同じ場所に祀られているのかの説明もない。鎮霊社の存在は、天皇はすべての人を平等に愛するという『一視同仁』の思想にすら矛盾する」
■過去の参拝 首相訪問はなし
小泉純一郎首相は、鎮霊社の戦没者も追悼の対象にしているのか。首相は二〇〇一−〇四年は靖国神社の本殿に昇殿し、昨年は拝殿前での参拝にとどめた。過去五回の参拝で鎮霊社を訪れたことはない。
首相は〇二年の参拝所感では、追悼対象を「明治維新以来のわが国の歴史において、心ならずも家族を残し、国のために命を捧げられた方々全体」「国のために尊い犠牲となった方々」と説明。少なくとも鎮霊社に祀られたとされる「世界各国すべての戦死者や戦争で亡くなられた方々」(靖国神社のホームページ)は追悼対象ではないようだ。
ただ、神社本殿の「御霊(みたま)」がそのまま首相の追悼対象とも言い切れない。首相は昨年六月の衆院予算委で「A級戦犯のために参拝しているのではない。多くの戦没者に敬意と感謝の意を表したい気持ちからだ」と述べ、追悼対象を微妙に修正している。
首相官邸報道室は、首相の追悼対象に鎮霊社が含まれるか否かについて「分かりかねる」と答えている。
<デスクメモ>
「中韓から文句をつけられた」ので「A級戦犯合祀が問題」という議論に首をかしげてきた。やはり、問われるべきは靖国神社とは何か、という本質論だ。それがようやく国民議論の的になってきた。ただ、戦後六十一年。関係者の多くが亡くなっている。事実関係の追跡が困難になっている現実が悩ましい。(牧)
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