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田中氏が落選しました。
官僚出身者がまた知事ですね。なぜでしょう。
手法とか、県会議員との対立などが、敗因のようですが どうして手法とか、ばかりが取り上げられるのでしょう。実績をもっと見てあげればいいのに。
マスコミと正面から対峙し、全国知事ではじめて記者クラブを廃止し、箱もの行政を止め、より公平な入札制度を実施した。まあ既得権を守ろうとする旧主派から嫌われて当然か。
マスコミからも嫌われていたし。
でも、そんな中、脱ダム宣言をし、循環型社会をつくろうとした田中前知事を支持していました。完璧な人はいない。彼も強引だったり、時には失敗もしただろう。
しかし、全体としてみれば、とても素晴らしい知事だったのではないだろうか。
長野県民は、暫くはマスコミに騙されていくだろうが、いづれ、後悔するのではないか。
ここ阿修羅では、マスコミ批判が激しい割に、体を張って、マスコミと戦い悪の根源のひとつとされている記者クラブを廃止した田中氏を評価する人は少ないですね。
なぜでしょう。
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2289363/detail?rd
[長野県知事選]田中氏の訴え届かず 「安心」の村井氏選ぶ
官僚主導の政治を変える旗手として迎えられた個性派知事が、舞台を降りる。6日投開票された長野県知事選。議会や既得権者を敵に回し、「改革を後戻りさせない」と叫んだ現職、田中康夫さん(50)が、新人で元防災担当相の村井仁さん(69)に敗れた。田中さんは集まった支持者に「ダムを造らない、借金を残さない循環型の未来を提示できた」とあいさつ。最後まで6年間の実績を強調し、敗れたことに一言も触れなかった。
高校時代を過ごした松本市のホールに設置した「報告会場」。田中さんは自ら築いた県政と選挙戦を淡々と振り返った。「足腰の強い政治ができた」「心残りがあるとすれば、福祉を切り捨てたこの5年間の国の政策を問う選挙にしたかったこと」「組織ではなく、ゆるやかな連帯の選挙ができたのは、日本にも、世界にも類例がない」……。田中さんが目指した理想をなぞったような約10分間の「敗戦の弁」。
報道陣から「その理想が県民に受け入れられなかったということか」と敗因を問われると、「目に見えるハコ物ではなく、私が取り組んだ福祉や教育への評価は難しい」とだけ答えた。
縦じまの派手なスーツの胸で、トレードマークのカモシカ人形「ヤッシー」が揺れる。やや疲れ気味に見えるが、表情も普段と変わらない。だが、会場に準備した250の席には空きが目立ち、興奮も歓声もない。
初歩的なミスや混乱が相次いだ選挙戦だった。2日、須坂市内で開かれた個人演説会。聴衆と握手していた田中さんが顔色を変えた。何人かが選挙ポスターを手にしていたからだ。「ほしいと言われたので配りました」。責任者の説明に田中さんは声を荒げた。「屋外に張られたら選挙違反になっちゃうよ」
00年の連合長野、02年の共産党のような組織の支援は序盤はなく、運動を支えてきた中核的な支援者も離れ、現場を取り仕切る人間が不足していた。
「新たな選挙事務所は構えない。2台目の遊説カーもいらない」。告示前、支援する県議の1人は田中さんの言葉に耳を疑った。「県政改革に続き、選挙運動も改革しようとしているように見えた」という。結局、ボランティアが事務所や車を用意した。
「最終的な確定票に基づいてあした会見を開き、(選挙結果についての)意見を述べます」。支持者へのあいさつをそう締めくくり、追いすがる報道陣を振り切って会場を出た田中さん。最後まで「らしさ」を貫いた。【川崎桂吾】
◇「責任重い」…村井さん、笑顔なく
長野市内のホテルに詰めかけた村井さんの支持者は、当選確実の報にわっと歓声を上げた。登壇した村井さんは「各地を回り、田中県政下の混乱と疲弊を見ると、責任の重さを痛感した」とかみしめるように語った。使命感からか、その表情に笑顔はなかった。
今回、反田中派の候補者選びは難航した。村井さんの立候補表明は6月末。出遅れを取り戻すきっかけは、先月の豪雨災害だった。防災担当相の経験をアピールし「田中県政は必要な公共事業を削減し、対策を怠った」と批判、支持を広げた。
固い組織も選挙を支えた。自民党や公明党に加え、大半の県議や有力市長が支援。業界団体の支援も得た。【藤原章博】
2006年08月07日00時32分
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