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特報
2006.08.04
『富田メモ』 根本を問う
首相靖国参拝の是非材料に
十五日の終戦記念日、九月の自民党総裁選が近づく中、元宮内庁長官、故富田朝彦氏の「メモ」発見の余波が続いている。首相の靖国公式参拝をめぐり、反対派はこのメモで勢いづき、賛成派からは「陰謀」の声すら上がる。結論はともあれ、忘れてならないのは「主権在民」の原則だ。メモも貴重な判断材料には違いないが、公式参拝の是非の土台は国民議論。それが軽視されねばよいのだが−。
発端は日本経済新聞の七月二十日付朝刊のスクープだった。発見された富田氏のメモに、昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に「不快感」を示す発言をされていたという記述があったという内容だ。
このメモの報道以降、A級戦犯分祀を主張したり、首相の靖国参拝反対を訴える人々は勢いを得た。その一方、参拝賛成派からは「陰謀だ」との声も漏れた。
また、日中関係の正常化を望む財界関係者が多い中、日経新聞がスクープしたことで「財界の策略」といった詮索(せんさく)も流れた。そのうえ、報道された日が安倍晋三官房長官の「美しい国へ」(文芸春秋)の発売日だったため、総裁選絡みとの憶測も重なった。
公式参拝の主役である小泉純一郎首相は「それぞれの人の思いですから。心の問題ですから」と富田メモの影響を否定。日本遺族会会長の古賀誠元自民党幹事長は「新たな追悼施設をつくるとの議論が進もうとしているのは耐えられない」と述べ、A級戦犯の分祀が必要との考えを強調した。
靖国神社広報課は、富田メモの影響について「一切コメントはできません」。分祀論については「分祀できないという姿勢は変わらない」と話した。
こうした政治的動向はともあれ、富田メモで靖国参拝の是非を断じてしまいかねない雰囲気に「短絡的ではないか」という疑問を抱く関係者も少なくない。
■「合祀歓迎」でも大きく報じる?
首相の靖国参拝を推進し憲法改正を訴える「日本会議」の江崎道朗専任研究員は、今回のメモについて「昭和天皇の公式なご発言ではなく、プライベートなご発言。その場でメモは取れないので、富田長官(当時)が自らの記憶で、主観に基づいて記したものにすぎない」とその資料的価値にも疑問符を付ける。
さらに「私たちは皇室を尊敬しているが、(天皇を)専制君主のように考えているわけではない」と前置きしたうえで、世論の“思考停止状態”に疑問を投げかける。「仮に、昭和天皇がA級戦犯合祀を歓迎していたというメモが出てきたら、マスコミは大きく報じないのでは? (メモを根拠とした参拝推進論を)天皇の政治利用だと批判するのではないでしょうか」
A級戦犯で靖国に合祀された板垣征四郎陸軍大将の二男で、日本遺族会顧問の板垣正・元参院議員はメモについて「到底信じられない」と話す。「(首相が公式参拝する可能性の高い)八月十五日の直前にいきなり出てきた。背景に不純なものを感じる。(内容は)私たち遺族が、これまで信じてきた陛下のお気持ちともかけ離れている」
加えて、報道後の世論をみて「靖国に反対し、平和主義を自称する人たちが鬼の首でも取ったかのようにしている姿は浅ましい」といら立ちを隠さなかった。
一方、首相の靖国参拝に反対している人々の間にも今回のメモを慎重に受け止める声は少なくない。
筑波大学の千本(ちもと)秀樹教授(現代日本史)は「富田メモ報道」以降の有識者の発言について「明らかにA級戦犯分祀派による天皇の政治利用の側面が強い」と警戒する。富田メモ報道以降、参拝反対派から「それみたことか」といった言説が流れている現状についても「部分しか見ていない」と疑義を示す。
■「天皇参拝への道筋づくりに」
千本氏は、分祀の実現により「首相の参拝以上に、天皇の靖国参拝を復活させたいのでは。天皇の参拝により、靖国をもっと国家の中にきちんと位置づけたいのだろう」とみる。
「靖国参拝違憲訴訟の会」東京事務局長の辻子(ずし)実氏も、千本氏と同様の見方をしている。
辻子氏はこの間の古賀氏らの発言について「靖国神社国家護持法案のような内容で、非常に危険だ。古賀氏らは、首相が参拝しても天皇が参拝しなければ意味がないと考えているのではないか。(A級戦犯を分祀してでも)天皇参拝の道筋を付けることが大事なのだろう」と懸念する。
自らも戦争遺族である千本氏は「古賀氏ら分祀派や小泉首相は、靖国を『追悼施設』と述べているが、靖国自身は『慰霊と顕彰』と言っている。つまり、靖国は天皇のために死んだ人をほめたたえる施設だ。『靖国で会おう』は兵士たちを死に追いやる言葉だった。国は(戦死者を)追悼する主体になり得ない。追悼は遺族と親しい人々がすることであり、国は徹底的に過ちを反省する主体となるべきだ」と持論を述べた。
「右の人も左の人も天皇の言葉を自分たちに都合のいいようにとらえて発信し、おかしなことになっている」と語るのは、文芸評論家の富岡幸一郎氏だ。
「天皇の政治関与に批判的だった報道機関が、天皇も言うのだから首相参拝は考えるべきだと言ってみたり、逆に保守の側が人格からして天皇の言葉と思えないと言ってみたり」
富岡氏は戦後、日本はA級戦犯に全戦争責任を押しつけてきたとみる。「天皇も国民も主体的に戦争をとらえてこなかったことに根本問題がある」という。
「A級戦犯の判決が出た時に、天皇は真剣に退位を考えたと聞いている。しかし、情勢がそれを許さなかった。その流れからするとメモの内容は、どういう意味で言われたのか分かりにくい。天皇の公的な立場と私的な気持ちを混ぜて議論されてしまっている」
■「心の問題」発言お粗末さを露呈
東京大学の小森陽一教授(日本近代文学)は、報道のタイミングについて「(首相参拝の)けん制の意味があったとみられても仕方がない」と話す。
ただ、「このメモで過剰に騒ぐべきではない」と注文を付ける。「天皇の発言がどうであれ、首相の靖国参拝は政教分離にも反するし、個人の意図とは別として、結果的に侵略戦争を美化するということを示してしまう。国民は首相参拝を認めるべきではない」
小泉首相の「(参拝は)心の問題」という発言については「首相が参拝を個人の心の問題とするなんて、首相が何者かという原則も分かっていないお粗末さを示すもの」と批判する。
「世論の中でも、首相参拝が外交問題を取るか、個人の意地を貫くかというようにキャラクターの問題として扱う傾向がある。靖国問題はそんな軽い問題ではない。本質論を徹底して、たたかわせるべきだ」
<富田メモ> 富田朝彦・元宮内庁長官(故人)が記録したメモは次の通り。
私は 或(あ)る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ
<デスクメモ> 先月「あるベトナム難民一家の苦悩」という記事を掲載したが、読者から「非国民」という感想をいただいた。理由は「アジア人が嫌い」だから肩を持つなという。極端な例とはいえ、こうした問答無用の反応が増えている。そんな時代の風が怖い。市民の議論が社会を守る。その原則はどんな結論より尊い。 (牧)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060804/mng_____tokuho__000.shtml
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