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"06年7月:ポスト小泉の政治課題
政局の関心はすっかりポスト小泉の総裁レースに集中している。その中でも、安倍晋三官房長官が一人先行しているとの見方が圧倒的である。しかし、かりに安倍政権がすんなり誕生しても、前途は茨の道である。内政、外交ともに小泉政権が先送りした難題が待ちかまえている。
第一は、東アジアの国際的緊張への対処である。本稿執筆時点では、北朝鮮によるミサイル発射の全体像やその意図は分からない。もちろん、このミサイル発射は国際社会への挑発であり、日本としても厳しく抗議すべきである。しかし、北朝鮮の脅威を除去することは、アメリカはもとより中国、韓国との連携、協力なしには不可能である。日本にとって不可欠な協力相手であるはずの韓国は、日本の排他的経済水域内での海洋調査を実施し、日韓関係も緊張している。中国との関係改善の道筋も見えていない。アジアにおいては冷戦構造の残滓と歴史問題が絡まり合い、複雑な緊張関係が存在している。困ったことに、北朝鮮は自らの体制を維持するためにも冷戦構造を持続したいようである。
だから、こうした国際環境の悪化は、日本だけが責任を負うような話ではない。しかし、同時に小泉首相の靖国参拝へのこだわりが、日本と隣国との間の関係を険悪にしたことは明らかであり、国際世論もこの問題では日本を支持してはいない。
一連の国際的緊張は、強硬派の安倍氏にとって追い風となるであろう。しかし、近視眼的なナショナリズムをあおることによって権力を獲得することで満足してもらっては困る。次期首相には、日本の安全保障と歴史問題を結びつけて解決するという視座が求められる。自由と民主主義という価値観を共有するかどうかで国を識別する議論がある。日本人はもちろん自らを共有する側に置く。しかし、価値観論議に歴史問題が結びつけば、日本はこれらの価値観を共有しない変な国と見られる危険が常に存在する。なぜなら、第二次大戦後の自由と民主主義はアメリカを中心とする連合国によるファシズムの打倒という物語に依拠しているからである。それゆえに、靖国参拝にアメリカの一部の政治家は反発したのであり、中国や韓国は日本の敗北を植民地主義や軍国主義からの解放として意味づけようとするのである。
歴史問題について日本には欧米と異なった主張があるのは当然である。しかし、指導者たる者、世界標準の歴史観を共有しなければ国際的にも発言力を持てないことを認識すべきである。第二次世界大戦の意味づけについて決着をつければ、日本はアジアにおいて自由と民主主義の先駆者という道義的な優位性を持つことができる。アメリカに全面的に追従していては、アジアにおいて日本にとって好ましい国際環境を作り出すことはできない。日本自身が能動的に国際秩序の創出に参画したいならば、歴史問題の決着とそれに基づいて道義的な優位性を握る必要がある。
安倍氏が本当に賢明な政治家であれば、ちょうどニクソン米大統領が中国を電撃訪問したように、保守派ゆえの緊張緩和へのイニシアティブという力業を発揮できるかもしれない。最も強硬派だと思われた政治家が緊張緩和の動きを起こせば、保守派も穏健派もまとまれるという意味である。その点で、今年の八月一五日は特に重要な試金石となる。安倍氏がこのときの靖国問題にどう対応するかは、ポスト小泉の政治を占う重要な材料となるであろう。
もう一つの難題は、いうまでもなく内政課題である。七月二日の滋賀県知事選挙で、新人の嘉田由紀子氏が現職の国松善次氏を破ったことは、中央政界にも大きな衝撃を与えた。無党派層の流動的な投票行動は、地方選挙でも健在である。この選挙では新幹線の新駅建設の是非が争点となった。滋賀県民は財政状況が厳しい中で大規模公共事業にノーを言った形である。その意味で、小さな政府路線が依然として支持されているように見えるが、話はそう単純ではない。嘉田氏は、環境保護運動のリーダーとして著名であり、公共事業から環境や福祉を重視する政策を訴えていた。今の段階で即断することはできないが、単に小さな政府を求めるよりも、厳しい財政状況の中で政策の優先順位を再検討せよというのが民意ではあるまいか。
このところ新聞には、社会保障の削減がもたらした様々な傷跡に関する記事が連日のように載っている。特に、医療費自己負担の引き上げ、高齢者世帯の増税など、具体的な痛みを伴う政策変化が人々の関心を集めている。また、一部の大都市以外の地方では、地方交付税の削減によって地域における最低限度の行政サービスさえ確保することが難しくなっている。小泉首相は楽しげに退陣していくが、彼の残した「改革」なるものが国民にもたらす災厄はこれからが本番である。
こうした国民の不満や悲鳴に答えることは、次期首相の最大の課題である。安倍氏は格差問題についても放置できないという点は理解しているようで、再チャレンジをキーワードに構造改革路線の微修正を図っているようである。しかし、再チャレンジとは人々の心がけの問題ではなく、教育、医療、介護など人々の生活を支える政策的基盤の問題である。構造改革路線に対する根本的な見直しなしには、説得力のある再チャレンジ支援政策はできないのである。
最後に一言民主党の課題にもふれておきたい。これから九月の総裁選挙まで、メディアの目は自民党に集中する。それは仕方のないことである。こういう時は、しばらく静かに政権構想を熟考するのがよい。小沢代表登場から四ヶ月になるが、まだ小沢ビジョンの全体像が見えない。夏休みには、民主党の全議員を引き連れて山ごもりでもして、政権構想の柱を徹底的に議論してはどうか。議論をふまえて政策を共有するという姿を見せることができれば、政局秋の陣は白熱した戦いになるに違いない。(週刊東洋経済7月15日号)
by Jyam : 11:47 | コメント (0) | トラックバック(0)
06年7月:信頼できる政府を作る
小泉政治の終わりは、福祉国家の終わりと重なり合っている。このところ新聞には、高齢者医療費の引き上げ、住民税や国民健康保険料の引き上げなど国民に対する福祉の後退を伝える記事があふれている。自ら脳梗塞で倒れた経験を持つ医学者の多田富雄氏は、長期のリハビリテーションに対する保険適用の打ち切りという厚生労働省の新政策が、ますます寝たきりの病人を増やすことになると抗議している(『文藝春秋』7月号)。まさに、国ぐるみの棄民政策が始まったという印象である。同時に、村上ファンドのインサイダー取引疑惑は、福井俊彦日銀総裁の蓄財や宮内義彦氏率いるオリックスの暗躍をあぶりだした。小泉政権による構造改革なるものが、一握りのエリートに金儲けの機会を提供し、普通の国民に対しては生活の基盤を破壊するものであるという本質が、小泉退陣間際になってようやく明らかになったということである。
小泉政治によって踏みつけられてきた国民が、ようやく痛みを感じ始め、政治に対する疑問を持つようになったことは、とりあえず歓迎すべき変化ではある。しかし、そうした反発や疑念を小さな政府路線からの転換、福祉国家の再建につないでいくためには、いくつものハードルを越えなければならない。
棄民政策の根本には、財務省による財政再建至上主義がある。帳面上の財政赤字削減のためには、国民生活や地域社会がどうなってもよいというのが財務省の路線である。このまま地域が疲弊し、国民の生活苦が深刻になれば、さらに税金を納める能力もなくなり、悪循環に陥ると思えるのだが、今の財務省には「手術は成功したが患者は死んだ」というたとえが当てはまるようである。
こうした政策を転換することは急務である。しかし、痛税感から政治への不満が高まっていく場合、議論が実りある方向に向かうとは限らない。「無い袖は振れない」という財務官僚と福祉の後退に怒る国民との間で押し問答が続き、具体的にどのような政策を採るべきかについて、議論が深まらない可能性もある。
現在の政治状況において増税を唱えても、国民の支持を得ることは難しいであろう。歳出を徹底的に削減してから増税をすべきという政府・与党の主張が、良識的な市民にはもっともらしく聞こえるかもしれない。しかし、今の調子で社会保障や地方財政への支出を削減し続ければ、国民に取り返しのつかない打撃を与えることを私は憂慮する。そもそも日本の租税・社会保険料負担率は、約35%で、アメリカと並んで先進国の中でも最低水準である。西欧、北欧の福祉国家よりも20−30ポイント低い。官僚の乱脈を攻撃することは当然の国民心理であるが、この種の話は財政の量的問題を解決するわけではない。たとえば天下りや特殊法人の乱脈をなくすためには、キャリア官僚の早期退職をやめさせ、定年まで雇うことが有効な解決策となるが、そうなると人件費の削減に逆行する。
国民生活を支えるために公的部門はどのような役割を担うべきか、そのために国民はどの程度の負担をすべきか、根本的な議論が必要になっている。小泉改革に対する全面的な対決のために、負担をめぐる論議を避けて通ることはできない。(週刊金曜日7月6日号)"
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