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2006年07月27日06時05分
http://www.asahi.com/national/update/0726/OSK200607260220.html?ref=rss
東京裁判でA級戦犯として起訴、処刑された広田弘毅元首相が靖国神社に合祀(ごうし)されていることについて、孫の元会社役員、弘太郎氏(67)が朝日新聞の取材に応じ、「広田家として合祀に合意した覚えはないと考えている」と、元首相の靖国合祀に反対の立場であることを明らかにした。靖国神社は、遺族の合意を得ずに合祀をしている。処刑された東条英機元首相らA級戦犯の遺族の中で、異議を唱えた遺族は極めて異例だ。
靖国神社へのA級戦犯の合祀をめぐっては今月、昭和天皇が不快感を示したとされる88年当時の宮内庁長官のメモが明らかになっている。
弘太郎氏は広田元首相の長男、弘雄氏(故人)の長男。6人いた元首相の子は、全員他界している。
A級戦犯が合祀された78年当時について、弘太郎氏は「合意した覚えはない。今も靖国神社に祖父が祀(まつ)られているとは考えていない」と話した。靖国に絡むこれらの思いは「広田家を代表する考え」としている。
広田元首相は処刑された7人のA級戦犯のうち唯一の文官。外相当時に起きた37年12月からの南京大虐殺で、残虐行為を止めるよう閣議で主張しなかった「不作為の責任」などが問われた。一方で軍部の圧力を受けつつ終始戦争に反対していたとの評価もあり、オランダのレーリンク判事は「軍事的な侵略を提唱した日本国内の有力な一派に賛同しなかった」などとして、元首相の無罪を主張する意見書を出している。
広田家の菩提(ぼだい)寺は故郷の福岡にあるが、遺族は元首相の遺髪を分けて鎌倉の寺に納め、参拝している。55年4月、旧厚生省は横浜で火葬されたA級戦犯7人の遺灰を各遺族に引き渡そうとしたが、広田家だけは受け取らなかった。弘太郎氏によると、戦犯遺族でつくる「白菊遺族会」にも参加しなかった。
弘太郎氏は「靖国神社に行くことはあるが、国のために亡くなった戦没者を思い手を合わせている。祖父は軍人でもなければ、戦没者でもない。靖国神社と広田家とは関係ないものと考えている」と話した。
靖国神社広報課は「広田弘毅命に限らず、当神社では御祭神合祀の際には、戦前戦後を通して、ご遺族に対して御連絡は致しますが、事前の合意はいただいておりません」としている。
広田元首相の伝記小説「落日燃ゆ」の著者、城山三郎さんは「広田さんのご遺族の思いを聞いて、やっぱりそうか、との思いが深い。ご遺族の言葉に付け足す言葉はない。広田さんだったらどう思うか、どうしただろうか、熟慮したうえでの考えだと思う」と話している。
◇
〈キーワード:広田弘毅元首相〉 1878年生まれ。1933年9月に外相、2・26事件直後の36年3月に首相就任。再度外相に就いた直後の37年7月、日中戦争のきっかけとなった盧溝橋事件発生。紛争の泥沼化を防げなかった。敗戦後、東京裁判に起訴され、48年12月、東条英機元首相ら他の6人のA級戦犯とともに巣鴨拘置所で処刑された。
■合祀決定権は神社に
靖国神社の合祀の審査は戦前、神社を所管する陸海軍省が行ったが、戦後は宗教法人となった神社に決定権が移り、旧厚生省や各都道府県に照会した戦死者らの資料に基づき判断した。審査の過程で遺族の合意を得ることはなく、過去には太平洋戦争で戦死した台湾先住民の遺族らが「無断で祀るのは民族の意思に反する」として合祀取り下げを求めたが、神社側は「神として祀った霊を分けることはできない」と断っている。
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