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禍根を残したA級戦犯合祀:上坂冬子氏よ、恥ずかしくないか
http://www.asyura2.com/0601/senkyo24/msg/475.html
投稿者 いかりや爆 日時 2006 年 7 月 25 日 20:41:22: vtKyD/NaAwqGc
 


http://www.geocities.jp/krsnperez/newpage38.html より転載。

          禍根を残したA級戦犯の合祀

「私はあれ以来参拝していない、それが私の心だ」

 昭和天皇が亡くなられる約8ケ月前(1988年4月28日)、当時の宮内庁長官のメモには昭和
天皇の発言として靖国神社A級戦犯合祀について上記のように述べられていることがわかった。
 昭和天皇は極めてまっとうな考えをもっておられた方だと思う。

1987年A級戦犯が合祀された年の8月15日には、
「この年の この日にもまた 靖国の みやしろのことに うれひはふかし」と詠まれている。

 富田メモの信憑性に疑問を投げかける人もいるが、亡くなられる8ケ月前、病状も進みお年も
87歳の誕生日を目前にして、自らの死期も近いことを悟られていたことだろう。天皇と言えども
人間である、死を前にして、心残り、果たせなかったことへの思いはおありだっただろう。この
年の9月19日、陛下は大量吐血し容態は悪化した。

 公務としては、病のために沖縄訪問が果たせなかったことと、靖国参拝問題などが心残りで
あったであろうことは想像に難くない。
 その思いは、平成天皇に引き継がれている。沖縄訪問は、平成天皇が一昨年訪問して慰霊を
果たされた。昨年には、太平洋戦争末期の激戦地サイパンにまで慰霊の旅をなされている。
にもかかわらず、平成天皇は即位以来18年にもなろうというのに、その激戦地で戦死した、兵士
たちが祀られている靖国の参拝を自粛されている。やはり、昭和天皇の意思を引き継いでおられる
と思う外ない。

 天皇の靖国神社参拝を切望した遺族の方が多いのも事実であるし、天皇の戦争責任を問う人も
少なくはない。

 昭和天皇に戦争責任が全くなかったとは思わない。だが敢えて云わしてもらえば、昭和天皇はその
責任をのがれようとした事はない、むしろ自らの責任を取ろうとさえなされた。 敗戦の年の9月27日、
昭和天皇はマッカーサーとの会見で、天皇は「私は、国民が戦争を遂行するにあたって、政治、軍事
両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身を、あなたの代表する
諸国の採決に委ねるため、お訪ねした」。
 このことがマッカーサーを感銘させた。マッカーサーが天皇の戦争責任を問わなかったのは、
占領政策をスム−ズに行うための策略があったことは否定できない。しかし、結果としてその後の
日本の混乱を防ぎ、日本の発展に繋がったことを思えば、大いに良とせざるをえない。

天皇は戦争を終わらせることができたなら、なぜ開戦を防止できなかったかという人もいる。又、
「A級戦犯」は天皇の身代わりとなって処刑された犠牲者であると言う見方さえある、だがそれらは
いずれも短絡的過ぎる。
 天皇の統帥権を徹底的に利用したのは、軍部である。天皇はヒトラーのように自ら権能を振り
まわしたわけではない。
 天皇が具体的に権能を行使したのは、二つだけだろう。
 一つは云うままでもなく、終戦の詔勅である。
もう一つは昭和3年(1928)、弱冠27歳のときの、満州某重大事件(張作霖爆殺)である。
 このとき天皇は、田中義一首相の「首謀者河本大作を処分するつもりである」との言葉を信じた
が、処分は曖昧にされた。天皇は田中に対し、それでは話が違うではないかと異議を申され、田中
義一内閣は総辞職に追い込まれた。
 イギリス式の立憲君主方式を理想とする側近の西園寺に、「自分の意見を直接に表明すべきで
ない」と戒められた天皇はこの事件以、内閣の上奏する所のものは、たとえ自分が反対の意見を
持っていても裁可を与えることにした(昭和天皇独白録)。

 昭和16年12月8日太平洋戦争開戦の日、
「四方の海 みな同朋(はらから)と思う世に など波風の 立ちさわぐらん」と詠んでおられる。

 泥沼化している中国戦線を抱えている上に、どうみても勝ち目もない米英蘭豪と事をかまえた
軍部の浅はかさ。その上戦況を誤り、大本営発表というごまかしの発表をし続けた。更に、機会は
何度もあったにもかかわらず、誰も責任を採りたくなかったが故に、終戦(敗戦)をずるずると遅ら
せて、沖縄戦そして広島、長崎の原爆投下と多くの民間人を犠牲にしてしまった。

 東京裁判が国際法の観点からしても、不当なもの、野蛮な復讐劇であった。その通りだと思う。
 同裁判の判事の一人であったインドのラダ・ビノード・パール博士の「被告人全員無罪」のまとも
な主張があったが通らなかった。
 だが、A級戦犯になった人たちは、仮に戦犯として裁かれなかったとしても、少なくとも戦争
の指導者たちであったことから逃れられる者ではない。

 ましてや、A級戦犯で処刑された人たちは天皇の身代わりになったというのは不遜である。
 民間人を含めて300万人を超える犠牲者と、多くの命と血を流して獲得した樺太及び千島
列島を失い台湾を失った上に、戦後の殆どすべての国民に塗炭の苦しみを味わせた責任を、
「天皇の身代わりになった」ということで片づけられる問題ではない。

 上坂冬子氏(7/21 産経新聞【正論】のなかで、次のように述べている。
 ”東京裁判で東条英機元首相が、天皇を無罪とするために、いかに努力したかはドキュメント
フィルム「東京裁判」をみれば、一目瞭然だ。あの東条証言がなければ、天皇も戦犯として指定
されかねない状況であった。”

 東条元首相ら軍部が、天皇を神のように崇め奉り(彼らが心底そう思っていたかは別にして)、
天皇を戦犯に問うことだけは、避けたいと思うのは、当時の国民の一人として、ましてや武人と
してむしろ当然過ぎるほど当然である。その当たり前のことを、彼がいかにも格別なことを天皇の
ために為し遂げたかのごとく恩着せがましく云うのは、上坂冬子氏よ、恥ずかしくないのか。

 昭和天皇がA級戦犯を、靖国に合祀したくなかったもう一つの理由は、この戦争で巻き添えに
した周辺諸国の人々に対する謝罪の気持ちがあったからであろう。むしろその方の気持ちがの方
が大きかったかもしれない。人間として当然である。

 A級戦犯を分祀できるのかどうか知らない。仮に分祀できたとしても、その汚点は残る。
 今年も又まもなく、終戦記念日を迎える。今回の件で、小泉首相が参拝するかしないかが
話題になっている。彼は首相就任時、8月15日参拝することを公言していながら、この年、
8月13日参拝でごまかした。今は、一私人としての参拝を強調している。
 彼は今年も8月15日に参拝するだけの度胸はないだろう。万が一参拝するとすれば、・・・であろう。


付記:富田メモについて、真偽を問う人もいる。だがその真偽に関係なく、又東京裁判の正当性、
不当性に関係なく、昭和天皇の意思は、A級戦犯合祀に反対であっただろうことは、戦後の混乱
期を肌で感じた者として、当然のこととして受けとめている。A級戦犯合祀は容認できない。

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