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□昭和天皇『靖国メモ』 [東京新聞]
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20060721/mng_____kakushin000.shtml
昭和天皇『靖国メモ』
「だから 私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」−。一九七五年を最後に、天皇の靖国神社参拝が途絶えたのはなぜか。昭和天皇の八八年の発言を記録した富田朝彦・元宮内庁長官(故人)のメモは、A級戦犯合祀(ごうし)への不快感がその理由だったことを如実に示している。靖国神社の関係者らは、神社側が天皇の「内意」を無視した背景に、皇国史観に染まった元宮司らの「強行」があったと証言する。 (社会部・加古陽治)
「ずっと行幸啓(天皇の靖国参拝)がない時に、松平さんが言った発言を覚えています。『宮内庁のばかども』とか『侍従職の腰抜けども』なんて言うんです」
今年一月十日、長野県高遠町(現伊那市)の自宅で、戦後長く靖国神社に勤めた馬場久夫さん(81)が語った。「松平さん」とは、七八年に宮司となった松平永芳氏(故人)。その直情径行ぶりは、よく知られていたという。
靖国神社は主に戦争で亡くなった軍人を「祭神」とするが、いわゆる「A級戦犯」については、合祀に慎重な姿勢を貫いてきた。四六年から三十年余にわたり宮司を務めた旧皇族出身の筑波藤麿氏(故人)が、頑として認めなかったためだ。
筑波宮司の長男で元早稲田大教授の常治(ひさはる)さんは昨秋、本紙に「(A級戦犯合祀について)父は『戦争の犠牲者の合祀が終了してから考えたい』と話していました」と証言。「松平さんになって方針が変わった」と話していた。
馬場氏も「(筑波氏から)僕らが生きているうちは無理だ。宮内庁の関係もある、と言われました」と説明する。「(A級戦犯を含む合祀者名簿を)宮内庁に奏上した時『こういう方をお祭りするとお上(天皇)のお参りはないですよ』と言われたそうです」とも証言し、松平氏が、昭和天皇の意向に反して合祀を強行したことを明かしていた。
この合祀は神社内でも公にされず、当時弘報(広報)課長だった馬場さんも報道されるまで知らなかったという。
松平氏が、昭和天皇の「内意」を無視してまでA級戦犯合祀にこだわった背景には、戦前、皇国史観(万世一系の天皇が日本を治めることが大切だという考え方)の思想的リーダーだった元東京帝大教授平泉澄氏(故人)との関係が浮かび上がる。
平泉氏と同郷の松平氏は戦前、海軍機関学校受験のため、東京・本郷の平泉氏宅に下宿し、その薫陶を受けていた。
平泉氏は天皇への忠誠を唱える一方、吉田松陰の「諫死(かんし)論」を教え、たとえ主君でも、考えが誤っていたら命がけで諌(いさ)めよと説いた。その教えを受けた旧陸軍の若手佐官らは終戦に反対し、クーデター未遂を起こしている。
「大東亜戦争は聖戦だった」という立場に立つ平泉氏や松平氏からすれば、合祀に慎重な昭和天皇は間違っており、合祀を強行することでその間違いを諌めようと考えた可能性がある。
昭和天皇に仕えた入江相政侍従長(故人)の日記には「靖国神社の松平君が『(皇太子さまが)御成年におなりになったのだから靖国神社に御参拝になるべきだ』と言ってきた由。『そんなのほっとけば』といふ」(八〇年五月三十日)、「また靖国神社の松永(松平)宮司が馬鹿(ばか)なこと、浩宮様(皇太子さま)の御留学について反対を云(い)ってきたとか」(八三年三月十四日)との記述があり、松平氏が実際に皇室を諌めていたことが分かる。
A級戦犯の合祀は、旧陸軍の流れをくみ、元軍人が仕切った旧厚生省援護局(現厚生労働省社会・援護局)調査課が六六年、事務次官ら幹部に断りなくA級戦犯の名簿(祭神名票)を靖国神社に送ったことに始まる。これを受けて、東条英機内閣で大東亜相だった青木一男氏(故人)ら二人の元A級戦犯がリードする神社の総代会が七〇年に合祀の方針を決定した。
元海軍少佐で、義父が戦犯として処刑された松平氏は、合祀に踏み切るアンカー役だった。
松平氏の父親は、終戦直後に最後の宮内大臣を務めた故松平慶民氏。「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と 松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らずと思っている」(富田氏のメモ)。側(そば)に仕えた「忠臣」の子の意図せぬ「裏切り」は、三十年近くにわたる論争の種をまき、禍根を残した。
◆メモ <天皇の靖国参拝をめぐる論争>
昭和天皇は戦後8回、靖国神社に参拝しているが、1975年以降の参拝はない。73年秋に自らの意思に反してA級戦犯が合祀されたためと考えられたが、天皇や首相の靖国参拝が憲法の定める政教分離に反するかどうかが論議となったため、という説もあり論争が続いていた。
◆合祀されたA級戦犯
・東条英機(首相、陸軍大将、死刑)
・板垣征四郎(陸軍大将、同)
・土肥原賢二(同、同)
・松井石根(同、同)
・木村兵太郎(同、同)
・武藤章(陸軍中将、同)
・広田弘毅(首相、同)
・小磯国昭(首相、陸軍大将、服役中死亡)
・白鳥敏夫(駐イタリア大使、同)
・梅津美治郎(陸軍大将、同)
・平沼騏一郎(首相、保釈直後死亡)
・東郷茂徳(外相、服役中死亡)
・松岡洋右(外相、拘禁中死亡)
・永野修身(海相、海軍大将、同)
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