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マスコミは元より、ここの発言でも理解にずれがありますので説明します。
A級戦犯は、戦争指導者として責任を問われ有罪とされた者ですが、同時に国家元首であった天皇の直属の臣下であり、代理人でもあります。
東京裁判で東条英機が不注意にも本心を漏らした言葉「陛下の意に反してあれこれする事など決して無い。」からも分かるように、戦犯として死刑になった指導者達が天皇に忠実であったことは、裕仁自身が良く知るところです。
彼は処刑されたA級戦犯が身代わりであることを良く知るからこそ、この問題には誰よりも敏感にならざるを得ません。
自身の戦争責任を不問にすることを前提に敗戦後の地位があるのですから、戦争責任を問われて処刑された者達は、歴史の闇の中に忘却してしまうべき存在です。
彼がいみじくも「戦争責任とは言葉の綾に過ぎない。」と発言したように、実体を与えてならないのです。しかし、A級戦犯処刑の事実は残る。それは戦争責任が実存する事を示します。だからこその忘却です。
裕仁にとっての問題は、曖昧に消してしまいたい事象を、軍国主義の敬承のために敢えて合祀した靖国神社の、彼の立場に対する無思慮、無配慮、鈍感さです。まるで亡霊を永遠の記憶に留めておこうと言わんばかりの行動です。
もし彼が靖国に参拝すれば、否応無く、合祀された直下の代理人である処刑A級戦犯と、自身の存在がシンクロしてしまい、自らの戦争責任をクローズアップさせることになります。それは彼が最も忌み続けた危険を冒す行為に他なりません。
言を待つまでも無く、靖国神社は単に戦死者を弔う場所ではありません。日本軍国主義の精神的中心であり、この世に出現した聖地、イスラムで言うところのメッカそのものです。それは過去と現在のみならず、未来においても必ずそう在り続けます。
敗戦後、米国の戦略と一体となることで、生命のみならず地位の保全まで獲得した天皇にとって、軍国主義のメッカたる靖国はけっして好ましい存在ではありません。
保身を図る者にとって、現人神の地位という極端なフレームアップは、過分以上の、反って身を危険に晒すことでしかないのです。戦勝国など国外の目を逃れることのできない現在において、閉鎖空間の神の役割など、もう、こりごりです。彼の立場と神社本庁や遺族会のメンタリティとの間には大きな齟齬が存在します。
それが、彼がA級戦犯合祀を不快に思い、それ以降近づかなくなった理由です。
平和主義者であれば、外国軍の駐留の長期化と軍事基地の誘致を自ら無心したりはしません。
個人的保身が、ある政治家にとっては『大御心』に映るのですから、奴隷根性に際限無しといったところです。
私は、この掲示板にホイットニー・ノートの全訳を載せたことがあり、上記も、それら裕仁の個人見解資料との整合性を踏まえた内容ですから、特に難解さは無いと判断しますが、この国の真の問題は、何故マスコミを始め国民諸氏が、この問題を誤って解釈するのかということです。
その理由を述べれば、まず第一に、国民が戦争指導者の責任を問う精神を持たないからです。
更にその理由は、指導者の責任を問えば、次に、それに迎合し続けた国民自身の責任を問わねばならなくなるからです。
倫理的禁治産者であることは、恰も日本人であることの証明であるかの感がします。それには上も下もありません。その意味で天皇は正に国民の象徴であり続けます。
その無責任が、全体像を剽窃しごまかし続ける国家財政破綻と、それに続く再軍国主義化ですから、必然の過去と未来です。60年間継続した平和の報酬が、財政破綻と体制崩壊国並みの自殺率とファシズムとは、民族の資質の証明に他なりません。
もし、これを読む者の中に、戦争責任は戦勝国の勝手な論理で、侵略戦争も従軍慰安婦も存在せず、未来が暗澹たる状況なのは戦中までの大和魂の喪失が原因なのだと、お決まりの抗弁をする者がいるなら、問います。
戦死した日本軍将兵の6割の死因が餓死(始めから兵站補給が存在せず、現地略奪が前提だから必然。)で、未成年者を国家制度として人間爆弾にして平然とする社会に未来があるのか。
今日に至っても、労働基準法も組合権・争議権も実践されないのは、赤線や人身売買の良き伝統の継続であり、
「勝ち組」「負け組」と被雇用者が言って憚らず、社会の公正を唱える事をしないのは、大土地所有制と小作農で構成された、皇族・華族・平民の身分制度の良き伝統の実現であり、
貧富の格差が広がり続けるのは、ジニ係数0.5以上であった戦前の良き社会秩序への回帰であり、
財政破綻に続いて(戦後憲法を無効化して)借金で軍事増強するのは、いつものお家芸、伝家の宝刀なのか。
未来は何と答えるでしょう。
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