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□「もう詩は書けない」重信房子、獄中からの便り [PJニュース]
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2220187/detail?rd
「もう詩は書けない」重信房子、獄中からの便り
【PJニュース 07月20日】− 今年2月、元日本赤軍最高幹部の重信房子被告(60)がハーグ事件などで懲役20年の判決を受けた。その2カ月後、彼女が東京拘置所から発信した手紙を、このほど読ませてもらう機会を得た。この手紙は、反戦詩グループ「原詩人」の主宰者で、故・井之川巨氏(05年3月没。遺著に『詩があった!』(一葉社・4600円)がある)の詩仲間、江原茂雄氏に宛てたものである。江原氏は井之川氏の活動を継承し「新・原詩人」を主宰している。
手紙では、1976年の「10・8羽田闘争」の時期まで、詩作活動をしていたことなどが回顧されており、拘束中の手記や歌集の著書発刊の素因が示されている。重信被告の接見禁止拘置情況の一端を垣間見る事ができることから、獄中の重信被告の承諾を得たので、その一部を紹介してみたい。
重信房子さんの獄中からの手紙
「……新・原詩人をお送り下さって、ありがとうございます。実は、私の方は、逮捕以来ずっと接見禁止状態で、貴事務所より、ずっと、送って下さっていたことを、知らずにおり、本日『原詩人通信』2001年8月のNO.99から、2006年2月の『新・原詩人』まで、受け取ることが出来ました。ありがとうございます」
「私の方は公判で、一部無罪を争っていましたが、検察の度を越した報復的な論告と求刑の前に、裁判所もその小さな修正にとどめて重刑をくだしました。それで、これからも斗いです。3月に入り、接見禁止の解除を求めましたところ、再び却下され外部との交通はいまも、自由ではありません」
「更に、逮捕以来の滞留しているはずの郵便物の交付を求めて『接見等一部解除申請』を行い、あたりまえのものを、やっと、本日、うけとれたわけです。どっと、とどいた中に、原詩人通信から、ずっと送って下さっていたことを本日知り、何よりもまず、一言お礼をつたえたく筆をとりました」
「原詩人を編集してこられた井之川巨さんが、おなくなりになられたことお悔やみ申し上げます。私は存じあげませんが、時として、雑誌などで、お名前を知っておりました。ただ今、うけとった多くのバックナンバーを、これから、ゆっくりと味わいつつ学習したいと思います」
「昔々、私も20才のころまでは、詩を書いていました。詩集『一揆』などと、大学の友人と作ったりしました。10・8の67年から、書かない! ときめて、そのまま時を過ごしました。今はきっと書かないではなく、書けないと思います。(後略)」
2006年4月12日 重信房子
手紙文は、シンプルでやさしい表現である。精神の柔軟さを示しているように思える。重信被告は、高卒でキッコーマン醤油(現・キッコーマン)に入社。「文芸サークルに入り、会社の御用組合に参加し、会社の主催する教室でお茶とお花を習い、食品課でデルモンテ製品の販売に頭をひねり、と積極的に過ごしていたものの、どこか満たされない毎日でした」(01年「りんごの木の下であなたを産もうと決めた」幻冬舎・1500円)と記しているように、OL、夜間大学での文学少女時代があった。それが05年の重信房子歌集「ジャスミンに銃口を」(幻冬舎・1400円)につながっていると思われる。
また、判決をうけた後、ハーグ事件には無関係であるにもかかわらず、関与したと断定したのは、不当判決とし、さらに戦う姿勢をアピールしている。また、手紙では、すでに詩は書くことはないであろうと、示唆している。
文芸のジャンルとして、戦う意思を表現するのには、短歌よりも詩のほうが適しているのではないかと思う。その詩を書けないかも知れないとするのは、直線的な闘争心ではなく、丸みを帯びた婉曲な闘争心の心情表現をそこに託しているような気がする。
この2、3年で、新左翼の活動家たちのほとんどが、還暦を迎える。その中にやはり短歌を詠う活動家たちがいると聞く。彼らが認めるかどうかは分からないが、高齢化した新左翼の時代への感傷が短歌表現に向かわせるのかも知れない。【了】
※この記事は、PJ個人の文責によるもので、法人としてのライブドアの見解・意向を示すものではありません。また、PJニュースはライブドアのニュース部門、ライブドア・ニュースとは無関係です。
パブリック・ジャーナリスト 伊藤 昭一【東京都】
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2006年07月20日12時21分
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