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(回答先: 橋本龍太郎元首相が死去 (スポニチ) 投稿者 どん兵衛 日時 2006 年 7 月 01 日 23:31:58)
□橋本元首相死去…68歳多臓器不全、敗血症性ショック [スポーツ報知]
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/obituary.html?d=20060702hochi020&cat=60&typ=t
橋本元首相死去…68歳多臓器不全、敗血症性ショック (スポーツ報知)
ダンディーなルックスと“橋龍”の愛称で知られた橋本龍太郎元首相が1日午後2時、多臓器不全、敗血症性ショックのため、東京都新宿区の国立国際医療センターで死去した。68歳だった。96年1月から2年半、首相を務め、現在の1府12省庁の中央省庁再編に道筋を付けたが、昨年9月に政界を引退していた。元首相は6月4日夜、腹痛を訴え入院。腸管虚血との診断を受け、大腸の大部分を切除するなどの手術を受けていた。葬儀・告別式は近親者のみで執り行う予定。政府、自民党は後日、内閣・自民党合同葬を行うことを検討している。
端正な顔立ちで人気も高かった橋本元首相は、厚生畑はじめ行政改革や外交、経済にも精通した自民党きっての「政策通」だった。だが、党内では「一匹オオカミ」「論争好き」と評され、田中派の流れをくむ派閥領袖になりながら、党内基盤は決して強くはなかった。
37年7月生まれの橋本氏は、慶大法学部卒業後、サラリーマン生活をしていたが、父・龍伍元厚相の急死を受け、63年の衆院選に出馬。当時としては最年少の26歳で初当選して以来、14回連続当選を果たした。78年には41歳で大平内閣の厚相として初入閣。その後、党幹事長、蔵相、通産相などを歴任。95年9月には小泉純一郎氏を大差で退け、自民党総裁となった。
翌96年1月、村山富市首相の辞任を受け、首相の座に就くと、米軍普天間飛行場の返還をトップダウンで決定。中央省庁再編などに精力的に取り組むなど、政策面でリーダーシップを発揮したが、98年7月の参院選で自民党が惨敗、退陣に追い込まれた。
01年4月の党総裁選に出馬したものの小泉氏に敗北。「自民党をぶっ壊す」と宣言した小泉首相の下で、「鉄の結束」を誇った橋本派の求心力は徐々に低下。04年に浮上した日歯連献金疑惑では証人尋問されるなど、釈明に追われ、05年8月、健康問題を理由に、政界から引退、二男の岳氏が後を継いだ。
6月4日に緊急入院した元首相は手術後、一時、回復の兆しを見せたが、血圧などの数値が徐々に悪化。妻の久美子さんや近親者10人が見守る中で息を引き取った。
二男の岳衆院議員は「親族が見守る中、静かに息を引き取った。安らかな顔をしていた」と話した。入院時に診断された「腸管虚血」は、腸に突然血液が回らなくなる病気で、原因解明のため、病理解剖が行われる。弟の大二郎高知県知事は、「兄は医療や厚生行政に長く携わった。今、病理解剖をしており、日本の医療に貢献するというメッセージを残してくれたと思っている」と目に涙を浮かべ、言葉を詰まらせた。
葬儀・告別式は近親者のみで行う意向。大二郎氏は「これまで多くの方にお世話になっておいて申し訳ないが、最後は身内だけで静かに見送りたい」と述べた。
[ 2006年7月2日8時4分 ]
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