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(回答先: 「銭ゲバ商法」(銭が総て)は三代までも続かないのか? 福井さんよ、村上さんよ、生産・販売ならば三代までは続いたかもね。 投稿者 新世紀人 日時 2006 年 6 月 28 日 17:07:45)
http://www.netlaputa.ne.jp/~yume539/kire/haiku087.htm
○ 闇 屋 ○ (3) (0087)
売れるものは、何でも売り、買えるものは、なんでも買う。それが、闇屋商売の鉄則だと、思いました。やはり、一番の人気商品は米でした。柿崎にいる父の幼な友達、が柿崎駅の小荷物係をしていたので、父は彼をまるめこみ、木箱の中に半分は米、半分は、下駄をいれるて、書籍として、送ってきました。一升百五十円で、あっという間に売れました。度度やっては、警察に怪しまれると二、三回で止めました。
私は米は一粒も食べませんでした。米は大切な商品だからです。コッペパンとすいとんを食べて過ごしました。当時一番、大きい闇市は新橋駅の周辺でした。そこで鰯の目刺しを見た時は、「これをおかずに、米の飯を食ひてぇ」としんからおもいましが、我慢しました。いずれ、そのうち呉服屋ができる。今はその元手を貯めなければ、と思っていたからです。然し、貯めるといっても、お札を貯めてもしかたありません。なにしろ、ものすごいインフレだからです。お札より価値あるものは何か?
なんと言っても魅力があったのは(、Post exchange-アメリカ陸軍の日用品販売所)からの横流れ品でした。巷で洋モクと云われた煙草はお札より価値あるものに見えました。中でも、真っ赤な丸をグリーンの線で取り囲んだ、ラッキーストライクのデザインはなんと、美しいケースかと思いました。
余談になりますが、それもその筈です。ケースをデザインしたのは、フランス生れで
アメリカに渡り、ラッキーストライクの新デザインで、売り上げを倍にしたという、レイモンド・ロウエーという人のデザインで、後に専売公社が、当時の金で、百萬円という払って、あのピースのデザインを以来した人だと、後になって知りました。
銀座四丁目の戦前の服部時計店、現在の和光は、最大のP.X で近より難い聖域でしたが、そこからは、煙草のデザイン一つにしろ、なにか、アメリカ文化の香りが、流れでてくるような気がしました。
闇屋の仕事はたしかに、儲かる仕事でした。然しながら儲けた金で、すぐ次の物を買わなければなりません。まるでイタチごっこです。紙幣の価値は毎日のように下がってゆくのですから。こういうことは、果たして商売と言えるのだろうか?と思うと空しい気持ちになり、闇屋の足を洗はなければ、と思うようになりました。
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