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[暴政]「残忍な殺人事件の犯人たち」と「小泉劇場」に通ずる“人間的情感と想像力”の欠落
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投稿者 鷹眼乃見物 日時 2006 年 6 月 26 日 18:05:37: YqqS.BdzuYk56
 

[暴政]「残忍な殺人事件の犯人たち」と「小泉劇場」に通ずる“人間的情感と想像力”の欠落

【画像説明】

ボッス『愚者の船』 Hieronymus Bosch(ca1460-1516)「The Ship of Fools」 1490-1500 Oil on panel Louvre  Paris 、France
・・・お手数ですが、この画像は下記URLをクリックしてご覧下さい。
http://www.abcgallery.com/B/bosch/bosch18.html

  ボッスはネーデルラント初期ルネサンスの代表的な画家ですが、この頃(14〜15世紀)のネーデルラントは、フランス・ヴァロワ系ブルゴーニュ公国の支配下にありました。ボッスの時代である1482年には、ブルゴーニュの女伯爵マリー(ブルゴーニュのマリー/Marie de Bourgogne/1457-1482/最後のブルゴーニュ王シャルル・ル・テレメール(豪胆王)の一人娘で、王の死後にハプスブルグ家のオーストリア大公マクシミリアン(後に神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世)と政略結婚をさせられゲント(現在はベルギーの都市)に住み続けました。しかし、やがて彼女が落馬で死んだことを理由に、ゲントを中心都市とするネーデルラント地方はハプスブルグ家の領有(1482〜)となります。

  いずれにせよ、ボッスが生きた頃は英仏百年戦争(1339-1453)が終わってから漸く10〜50年位を経たばかりの時代であり、それは初期ルネサンスと呼ばれながらも、未だまだ中世後期ゴシックの空気・造形・色彩に満ちていた時代です。しかも、ネーデルラントは、この英仏百年戦争の主戦場であったのです。また、この時代はハプスブルグ家のカール5世とフランス・ヴァロワ朝のフランソワ1世がヨーロッパの覇権を争う戦争に明け暮れた大戦乱の時代でもありました。このため、ボッスの絵は我われ人間社会の愚かな側面を鋭くリアルに個性的な手法で描いたという意味で、現代のような混迷の時代にこそ、その価値は見直されるべき画家です。なお、イタリアのレオナルド・ダ・ヴィンチはボッスとほぼ同時代人であり、ブリューゲルはボッスより約半世紀後の時代に活躍した画家です。

  ボッスの絵『愚者の船』では、伝統的なキリスト教絵画に従い、船のマストが十字架に、その船に乗る人々は現世から来世へと運ばれて行くキリスト教徒たち、つまり一般の善男善女たちの魂に見立てられています。しかし、そのリアルさは、とても善男善女たちの信仰心に溢れた姿どころではなく、おどろおどろしい欲望(金欲・食欲・肉欲)の塊と化したおぞましい餓鬼たちの醜悪な姿として描かれています。

  マストに登り必死で肉を切ろうとする男、食べ過ぎたのか船べりから身を投げて嘔吐する男、櫂がわりの大きなシャモジなどは大食と強欲の罪を、楽器をかき鳴らす女とこれに浮かれて歌を歌う僧侶は肉欲(好色)の罪を表わしているようです。まるで「小泉劇場」のメンバーたち(国家的インサイダー取引の主役たる福井・日銀総裁、村上ファンド・村上世彰オーナー、ホリエモン、竹中平蔵、安倍晋三、武部勤などの面々)を描いているようではありませんか。このような意味で、ボッスのリアリズムは、紛れもなく我われの現代世界の一部なのです。

・・・以下、本論です・・・

  今の日本では、小泉政権下の5年間で約15万人超の自殺者(年換算すると10万人当り約24人)が発生しており、その流れの勢いは一向に留まる兆しを見せていません(参照、http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/2770.html)。

  更に、この1ヶ月位だけでも「秋田県藤里町の若い主婦による奇怪な児童殺害事件、高校1年生男子による奈良・放火一家殺人事件、暴走した東大阪の大学生グループによる残忍な生き埋め殺人」云々と、とても人間の為せる業とは思えないほど異常で残忍な殺人事件がもはや数えきれぬほど多発しています。 

  また、早々と、お得意の派手なミエを切ってみせた(強引に通常国会の会期延長要求を封印して=国民の生命・財産を左右する仕事を放棄した)稀代の奇人・小泉首相は、まったく「個人的な趣味の感情」を自己満足させるため(大好きなエルビス・プレスリーの故地や墓を訪ねるため)、恐らく大いにドキドキ・ワクワクしてブッシュ大統領との日米首脳会談でのフィナーレ・パフォーマンスに臨む準備に勤しんでおり、そこでは巨額の渡航関連費用(国費=貴重な税金)の無駄遣いが行われようとしています。

  その陰では、偽善に満ちた(英・豪両軍に守られつつイラクのサマーワという雛壇に飾られていた)「陸上自衛隊のイラク・サマーワからの撤退パフォーマンス」がTVのニュース映像を通して垂れ流される一方で、航空自衛隊による在イラク米軍への本格支援活動(戦闘支援業務)が拡大されようとしています。そして、小泉首相の後継者であることを自他共に許す(と、善良な一般国民が錯覚させられている!)安倍・官房長官は、自衛隊による恒久的な米軍支援のための法案整備(及び自衛隊の米軍支援・軍事活動を合法化するための憲法改正)の必要性を訴えています。

  また、最高裁判所は、内閣総理大臣の靖国神社参拝問題の根本を意識的に素通りする(避けて通る)判決を下し、2チャンネルやYahoo掲示板の上では“靖国神社を国立神社にせよ!、同付設の遊就館(軍事記念館)を国立記念軍事博物館にせよ!”と、錯誤的なパトリオットたちが意気軒昂にゲキを飛ばす有様で、日本社会の空気は着実にファシズムと軍国主義、つまり右傾化という倒錯社会への道を歩み始めたようです。

  思うに、本来、人間とは「平面意識」「立体意識」「身体(宇宙)意識」 という三つの異なる次元の意識を統合して生きるものであるはずです。ここで「平面意識」と「立体意識」は主に視覚に、「身体(宇宙)意識」は主に触覚・嗅覚・味覚にそれぞれ対応すると考えられます。然るに、「小泉劇場」の役者たち(国家的インサイダー取引の主役たる福井・日銀総裁、村上ファンド・村上世彰オーナー、ホリエモン、竹中平蔵、安倍晋三、武部勤などの面々)と多数派の一般国民層は過剰に「平面意識」と「立体意識」に頼り過ぎています。このような視覚重視の中から生まれるのが「抽象論理」で世界を支配できるというごく単純でアンバランスな狂気の感情です。そして、このような一種の意識の断絶から生まれる精神環境こそが「冷酷・残忍・酷薄・冷血・際限なき弱者虐め・サディズム的倒錯」などの人間心理的な病理現象です。

  実は、人間らしく生きるためには、別に言えば人間らしい愛情や思いやりの感情などを共有できる社会をつくるためには、学校カリキュラムの柱となる「抽象論理」が重要であることは当然ながらも、一方で「身体(宇宙)意識」に対応する触覚・嗅覚・味覚を活用するという心構えをもつことが肝心です。なぜならば、視覚で宇宙の果てを見極めることは困難ですが、触覚・嗅覚・味覚の働きを深めて宇宙との一体的な身体感覚を覚えることは可能と思われるからです。たしか、ロマン・ロランはこのような統覚的な人間の身体感覚(=宇宙スケールの孤独感の反照として認識される人間的情感と他者の存在への豊かな想像力)のことを“太陽感覚”(記憶が定かでなく、これは間違いかも知れませんが・・・)と呼んでいたはずです。

  ここには、東洋文化の特徴が、現実世界をありのままに受け止め、その四季の変化などの因果律を重視し、その中に統覚的でバランスが取れた美的空間を感知するものであるということの意味があると思われます。どうやら、近・現代日本の政治・経済・法制・行政・教育などは、このような考え方の側面で大きなボタンの掛け違い(=錯誤)を放置してきたのかも知れません。そして、この「大いなる錯誤の総仕上げ」が「小泉劇場の過剰な市場原理主義政策」であったようです。従って、小泉政治の下で悪魔か悪鬼の為せる業ではないかと思わせるほどアブノーマルで、おぞましくも残忍で冷酷な猟奇的殺人事件などが、もはや覚えきれぬほど多発し続けるのは当然のことかも知れません。

・・・以下は、前回の記事[2006.06.22付「美人局国家・日本」を創った政府・日銀ぐるみのインサイダー取引]のコメント&レスです。内容が、当記事と関連する部分があるので、参考まで転載しておきます。・・・

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■とむ丸 『TBをありがとうございました。私の方はこれまで何度もtoxandoriaさんへのTBを試みたのですが、最近はずっと成功しておりません。

さて、経済オンチの私でも、2003年までの10年間で一般国民が154兆円も収奪され続け、さらに今現在も、その額が累積されつつあるのは知っていましたが、「政権与党(自民党)は銀行業界を含めた財界から潤沢な政治資金を手に入れていたことになります」と指摘されて目をむいてしまいました。そうだ、そういうことだったんですよね。

我が家も、乏しい夫の退職金を年金もらえるまでやりくりしなければなりませんから、ほんとうに人ごとではありません(ちなみに夫は早期退職組です)。世襲政治家がこれだけ幅を利かせているいる政界は、堕落した虚偽の世界と何ら変わりません。後は自分たちの利益と権力保持に腐心するだけ。

「世襲」政治家というだけでは批判できない、という考えもありますが(つまり悪い人も多いがいい人もいるという論)、その危険性を考えると、政界における「世襲」そのものも、もう一度検証し、考え直す必要があるのではないか、場合によれば、たとえいい人材がいたとしても、ある程度政界入りを制限する必要があるのではないか、と最近考えています。まるでこの国の国会は衆参両院とも、貴族院のようですものね。』(2006/06/24 10:02)

■toxandoria 『“とむ丸”さま、コメントありがとうございます。

TBがうまく届かなかったようですみませんでした。“はてなのブログ”は気に入っているのですが、時々、他のブログとの間でTBが上手く機能しなくなることがあるようです。

大分前のことになりますが、ビル・トッテン氏がレーガン政権下で行われたトリクルダウン理論(政府資金を先ず大企業に流入させるとそれが雨だれのごとく中小企業と消費者まで及んで行き景気を刺激するという理論/いわゆる意識的な格差拡大政策で経済を活性化するという“カルト的”な経済理論)の大失敗について指摘されています(http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/1176317_629.html)。なお、この件については下記(★)もご参照ください。
★[暴政]「神憑る小泉劇場」と「ホリエモン」が煽ったトリクルダウン幻想、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060122

しかし、その後、このアメリカにおける大失敗の経験的な事実を分かり易く日本国民へ解説した政治家・経済学者・メディアなどは少なかったようです。しかも、小泉政権は目くらましのパフォーマンスと意味不明のトートロジーで国民を誑かしまくる一方で、新聞・テレビなどのメディアが総掛かりで提灯記事と政府御用達の低俗番組(トリクルダウン信仰)を垂れ流してきました。

そして、その陰で密かに良い思いをしたのが「おセレブで品位に欠けた六本木ヒルズ族とサラ金業界の守護霊と化した銀行業界」で、そこに集(たか)るだけ集(たか)ってきたのが政権与党の主な政治家連中と高給官僚たちです。また、小泉首相が銀行業界及び財務・金融関係官僚たちと太いパイプを持つことは、かなり以前から知られてきたことのようです。

結局、我われ善良な一般国民は、小泉・安倍らの世襲政治家と竹中らの御用学者、及び高給官僚と銀行業界が陰でつるんで演じてきた「高田の馬場」の“落とし噺”をすっかりリアルなものと信じ込まされてきたようです。

従って、福井・日銀総裁の問題は氷山の一角だと思います。小泉首相などに説教されるまでもなく、社会には格差というよりも生活環境や文化の違いのような異質性が満ち満ちていることは当然であり、それを乗り越えようとする意志の働きと善意の交流が重要であるのは当たり前のことです。

彼らが、悪魔的にまで狡猾なのは、この“当たり前”という「庶民の感覚」と「隙だらけの気分」の中に巧みに“カルト的”な経済理論を滑り込ませ、洗脳してしまうことです。

たしか“とむ丸”さまが以前に指摘されていたはずですが、まさに、これは「小泉劇場政治とネズミ講や霊感商法の作用構造が相似している」ということに他なりません。

そして、その霊感商法を守護神(背後霊?)とする安倍政権へのレールがメディアを総動員して、今まさに敷かれようとしています。』(2006/06/24 11:37)

■谷口硝子 『トラックバック、ありがとうございました。

toxandoriaさんは、有能な政治コピーライターでいらっしゃいます。語彙不足の谷口、美人局を調べてみました。

美人局(つつもたせ)は、女性が性交や交際に応じる素振りを見せて、男性をラブホテルの一室のように孤立した環境へ誘い出し、これを脅して金品を恐喝すること。また夫婦で共謀し、女が別の男と密通し、それを持って、男が密通相手を脅すこと。

これらに類される行為で典型的なものは、男性が女と会う約束をして、実際に行ってみると、屈強な男に囲まれ、金品を巻き上げるという手法である。また呼び出されて、いかがわしい施設に入っていく所を写真に撮られ、後日家族や会社に曝露すると脅迫してくるケースもある。関連として、デリバリーヘルス、アポイントメント商法、デート商法、オレオレ詐欺など。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用でございます。

ポルノクラシー(娼婦政治)、ハードコアポルノ劇場、亡国の美人コンテストなど、売春婦や娼婦に関するコピーライトの連発であり、フェミニストとしては、なかなか複雑な想いを抱くものです。それでは、いったいだれがそうした娼婦や売春婦を操っているのかといえば、いわずとしれた米国資本やその手先になっている政治家や財界人、ついでに「マスゴミ」も入れておきましょう。

羊のように飼い慣らされた我が国のピープルは、なぜかくもこうおとなしいのでしょうか。ぜひとも、フランスの若者やサンフランシスコの移民労働者を見習いたいものです。

世界的視野で見れば、米国は孤立しているはずなのに、それに気がつかない、知らないふりをしている「転んだ」ジャーナリストが次づき、増殖しているさまは目に余るものがあります。』(2006/06/24 18:28)

■toxandoria 『谷口硝子さま、TB&コメントありがとうございます。

いやいやお褒めに与り恐れ入ります。この類のキャッチコピーの連発となったのは、ご推察のとおり、この国の善男善女たちの余りの従順ぶりに歯がゆい思いを覚えたことの現われなのです。少しでも、これで小泉劇場の残酷で冷血な真相に覚醒してくれる方々があれば・・・、という想いからです。

それにしても、5年間続いた小泉劇場を総括するとすれば、やはり「美人局政治」ということになると思います。小泉一座が善人を誑かす腕前は大したものです。昔、どこかで聞いたことがある“やり手婆サマ”と小泉首相のイメージが重なってしまいます。さぞかし“稀代のやり手ジイサマ”というところでしょうか。

最近、どこかの掲示板上で売春の是非についての真剣な論戦を瞥見したことがあります。今でも、知識階層に属する人の中に売春肯定派の方々はかなり存在するようです。たしか、かの埼玉県議会の議長さまなども、そうでしたでしょうか? 小泉首相の指南役を自負する森前総理なども、そのお仲間だったかと思います(その後、改心したかどうかは存じませんが・・・)。

しかし、これはどう考えても間違っていると思いす。このような考えの方は、喩えてみれば内閣総理大臣の靖国神社参拝問題の根本を意識的に素通りする(避けて通る)最高裁判所の判事の先生方と同じです。あるいは2チャンネルやYahoo掲示板の上で“靖国神社を国立神社にせよ!、同付設の遊就館(軍事記念館)を国立記念軍事博物館にせよ!”と意気軒昂に宣っている輩と同類の精神構造の人々だと思います。

彼らに共通するのは歴史から学ぶことの意味が全く分かっていないという点です。京都・島原の太夫(たゆう/参照、http://kyoto.cool.ne.jp/tukasa21/)といえば、今は名実ともに優れた我が日本文化を代表する位置づけのものですが、その出発点は天正17年(1589年)に日本で初めてできたとされる公娼制度、つまり島原遊郭にあります。

なお、島原の現役の太夫さんの説明によると、発祥の時から太夫と花魁(おいらん)は根本的に異なるものだそうです。前者は芸と学芸の道を窮める役割に徹する芸妓で、後者は高給娼婦であったそうです(最近、どこかの新聞記事で読みました)。

ともかくも、だからといって日本文化を更に振興するため公娼制度を復活させることなどを主張するのはナンセンスなはずです。問題は、女性たちが売春などしなくて済むような社会の仕組みを創ることだと思います。この意味でも、小泉劇場が多くの国民を騙して進めてきた「格差拡大政策」(トリクルダウン理論)は由々しきことだと思っています。』(2006/06/24 21:53)

■谷口硝子 『toxandoriaさま

ごていねいな、コメントありがとうございます。

>日本文化を更に振興するため、公娼制度を復活させることなどを、主張するのはナンセンスなはずです。

「売買春」をめぐるテーマは、「良いか悪い」といったレベルの問題で済むものではありません。歴史的・経済的・政治的な状況を鑑みる必要のある深淵なテーマ(ジェンダーという視点)であり、あまり簡単に一刀両断に語りたくないのですよ。実のところ・・・。

>最近、どこかの掲示板上で、売春の是非についての真剣な論戦を瞥見したことがあります。今でも、知識階級に属する人の中に、売春肯定派の方々はかなり存在するようです。たしか、かの埼玉県議会の議長さまなども、そうでしたでしょうか? 
2代目「買春疑惑」議長も、「無事」に誕生いたしました。プライベートならいざ知らず(とりあえず、モラルは置いておき…)、公金(税金)で県議6人が「買春疑惑」を、公にテレビ報道されたことを根拠に、私たちのさまざまな「請願・陳情活動」に対して、余りに執拗な妨害活動を、知事や県議会サイドが続けていることに、はっきりいって呆れています。

>問題は、女性たちが売春などしなくて済むような社会の仕組みを創ることだと思います。

今まで「売る春」とは、多数が女性を指してきましたが、「ホストドラマ」が人気になるご時世です。セクシャル・マイノリティをはじめ、若い男性が自分の「性」が売り物になるんなら、「それも悪くないかも?」と考える人たちも増えていくかもしれません。ようするに男女を問わず「性の市場化(?!)」現象の進行とも、いえるのではないでしょうか…?!』(2006/06/24 23:30)

■renshi 『toxandoria 様

政府、マスコミ、経済界、等々の腐敗は、『愛のアレゴリー』を見て、シェイクスピアの『ハムレット』の腐敗した宮廷エルシノアを想起しました。

富と欲望と愛欲と戦争と狂気、等々のマニエリズムの演劇です。
現代日本でも、政治劇を書けますね。

失われた154兆円を亡霊して、内閣や日銀やヒルズ族等に復讐する劇です。
誰が復讐をするのでしょうか。

ハムレットは、遅延して、復讐できません。ハムレットは、民衆や国民でしょうか。
でも、自殺した人の亡霊も書き込みたいですね。

宮廷が内閣等で、ハムレットが国民で、そして、最後に登場するフォーティンブラスが、アジアでしょうか。宮廷は、他国に操られているわけです。

とまれ、政治・社会批判の芸術が欲しいところですね。どうも、思いつきで失礼しました。』(2006/06/26 01:21)

■toxandoria 『renshiさま、コメントありがとうございます。

デンマーク東端にあるクロンボー城内では、毎年、夏になるとハムレットが演じられているようです。腐敗した宮廷エルシノアの深層には、人間が原初的な欲望に操られるまま魔術に支配されていたアーサー王伝説の世界が潜むような気がします。また、クロンボー城はデンマーク王(エリークZ)が狭隘な海峡を通る船から通行税を徴収するために建てた城であることを思い出しました。

16〜17世紀始め頃には北海・バルト海貿易で活躍した英国船・オランダ船などが格好のカモとなったようです。このため、特にオランダは巧みな航海術を活かしてバレンツ海・白海ルートという厳しい迂回路まで開拓しています。しかし、他国の弱みに付け込み大砲まで動員して取り立てた“非道な税収”という暮らしぶりではデンマーク王の寝つきはあまり良くはなかったはずです。

日銀・福井総裁、六本木ヒルズ族などの「小泉一座」の面々(善良な国民層、特に弱者層に対する騙し、すかし、脅かしの常連たち)はどうなのでしょうか。もっとも、すっかり倒錯美の世界に嵌り、根っからの「国家的美人局常習犯」と化すまで堕落・退廃しきった彼らには純粋なハムレットの心境など到底分かるはずもないと思います・・・。

未だ、些か早すぎますが“真夏の夜の夢”のような連想でした。』(2006/06/26 05:46)

■toxandoria 『kaisetsuさま、記事紹介&TBありがとうございます。

ご紹介の速水敏彦著『他人を見下す若者たち』は面白そうですね。
・・・やる気がなく、謝まらず、他人を軽視し、すぐキレる若者たち。そして、根拠のない有能感に浸る若者が増えている・・・

また、これはそのまま「小泉一座」にもソックリ当てはまるような気がします。いわゆるゲーム脳的な原因の他に、一世を風靡する「小泉一座」も今の異常な社会現象が蔓延る元を創ってきたと思います。

特に、靖国神社参拝問題の根本を意識的に素通りする(避けて通る)最高裁判所・判事の先生方や、あるいは2チャンネルやYahoo掲示板で“靖国神社を国立神社にせよ!、同付設の遊就館(軍事記念館)を国立記念軍事博物館にせよ!”と意気高々に宣っている“擬似パトリオット”たちに“影響”を与えていることは明らかだと思います。』(2006/06/26 06:03)

■kaisetsu 『コメント、ありがとうございます。このtoxandoriaさんのコメントから次のようなことを考えました。

(参考)

Platonic Synergy
2006.06.26 Monday
疲弊する社会と自己の人生をゲーム化する軽薄な知能
http://main.platonicsynergy.org/?eid=121051


◆現実に格差社会が猛スピードで定着しつつあること。これを切実に感じているのは他ならず低所得層である。所謂、中流脱落組である。彼らは、この自分の境遇が実は熱狂的な小泉支持によって、自ら作り出した事実を悟っている。また、知識層が何度も警告していたことも知っている。小泉不支持層こそ、中流・上流層である。

◆中流脱落組は、這い上がることの非常な困難さも良く分かっている。自己が破滅に向かっていることも内心、分かっている。サラ金などの借金で首が回らないのだ。

◆この哀れな群集の心理を最も理解しているのが、小泉氏とその周辺の権力者である。この権力層こそ、意図的に格差社会を創出したグループだ。彼らは高度な米国流のマーケット理論に支えられて、哀れな群集の心理操作を行っている。この点について、日本の知識層は、今、やっと意識しだしている。

◆中流脱落組の欲望は、自分が這い上がることが困難であることから、他人も自分と同じ境遇に巻き込むことに傾注し始めている。疲弊する社会が、自己の人生をゲーム化し、他人の人生まで破壊する欲望へと向かっている。

◆こうした日本社会の弱点の基本的な原因は、カントによって既に見透かされている。

理論的な判定能力に関しては、通常の理性が敢えて経験法則や感官の知覚から離れようとすると、全くの不可解や自己矛盾に、少なくとも不確実・不明瞭・不安定の混沌に陥る。だが実践的な判定能力に関しては、判定力は、通常の悟性が全ての感性的な動機を実践的法則から排除するまさにその時に初めて、本来の真の卓越性を発揮し始めるのである。[…]それゆえ正直で善良であるために、それどころか賢明で有徳であるために何をすべきかを知るためには学問も哲学も不要である。
[Kant: Grundlegung zur Metaphysik der Sitten, S.404]

◆つまり、カントの言う「実践理性」の決定的な欠如である。「正直で善良であるために、それどころか賢明で有徳であるために何をすべきか」についての決定的な未成熟である。

◆教育において、家庭において、社会において、カントの言う「純粋理性」のみが重視され、純粋理性のみが「理性」「知性」であるとの妄信が蔓延する日本の虚妄社会が自らを渾沌へと誘っているのである。⇒「理論的な判定能力に関しては、通常の理性が敢えて経験法則や感官の知覚から離れようとすると、全くの不可解や自己矛盾に、少なくとも不確実・不明瞭・不安定の混沌に陥る。」

⇒2ちゃんねる、特定の陰謀論サイトは、健全な知識層から見て「ブロック状況 : 犯罪・武器凶器」と認識されているのに、これを認めようとしないのである。この「犯罪・武器凶器」とは、純粋理性への過度な傾注傾向が社会的な危険物であるという近代初期からの一般的な「良識」によっての警告なのである。

◆社会的理論は、「何が正義で在るか」「何が善であるか」「何が幸福であるか」「社会とは何か」という諸問題についての理論であるべきである。ここに現実との接点を持っている。この「現実」との相克を持たない社会的理論とは、それは「理論」ではなく、「・・・やる気がなく、謝まらず、他人を軽視し、すぐキレる若者たち。そして、根拠のない有能感に浸る」行為そのものである。

◆まず、日本社会は、アジアの智恵に目覚め、精神の絶対的独立と自由を求めることの意義を十分に認識して、精神の優位を主張し、物質支配から脱却して、「異なる価値の共存」のために如何に行動するかについて、真面目に考える時期に来ていると思います。

◆日本社会は未曾有の危機にあり、漫画や漫才、三文芝居を見ている場合では無いのです。また、“擬似パトリオット”たちのような夢遊病者と付き合っている時間は無いのです。』(2006/06/26 11:01)

■renshi(sophiologist) 『toxandoria 様

TBが後れないので、ここにタイトルとURLを書きます。
『不連続的差異が近代の原点である:「ポスト・モダン」からニュー・モダンへ』
http://ameblo.jp/renshi/entry-10014032528.html』(2006/06/26 12:51)

(参考URL)http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/

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