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両陛下、8日に東アジアへ出発(朝日新聞)【記者会見で教育基本法や第2次世界大戦への気持ちを語る】
http://www.asyura2.com/0601/senkyo23/msg/111.html
投稿者 gataro 日時 2006 年 6 月 07 日 14:30:42: KbIx4LOvH6Ccw
 

http://www.asahi.com/national/update/0607/TKY200606060627.html から転載。

両陛下、8日に東アジアへ出発
2006年06月07日00時05分

 天皇、皇后両陛下は8日からのシンガポール、マレーシア、タイ訪問に先立って6日、宮内記者会や外国報道機関代表と会見した。両陛下は旧知の人々との再会や新たな出会いに期待を示し、天皇陛下は「歴史を理解し、その上に立って友好関係が築かれることが大切」などと語った。

 訪問の抱負などを問われ、天皇陛下は、70年に「何も無いジュロン地区にソテツの木を植えた」シンガポールについて、その後の発展ぶりに理解を深めたいと語った。

 タイについては、64年からのプミポン国王との交友を振り返り、「様々な苦労と努力を重ね、今のタイを築くのに大きく寄与なさった」と述べ、同国王の即位60年の祝典で「心から祝意をお伝えしたい」と語った。皇后さまも、64年にチェンマイに同行した機中で同国王がクラリネットでベニー・グッドマンの曲を演奏してくれた思い出などを挙げ、祝典に「心からの奉祝の意を込めて参列したい」と述べた。

   ◇

 記者会見の内容は次の通り

 ――天皇、皇后両陛下にうかがいます。今回、タイとマレーシアは15年ぶり、シンガポールはご即位後初めてのご訪問となります。それぞれの国に対する印象や今回のご訪問への抱負をお聞かせください。ご訪問先はいずれも高温な地域ですが、体調管理について両陛下でご相談されていることがあれば併せてお聞かせください。

 〈陛下〉この度、外交関係樹立40周年を迎え、シンガポールを訪問し、またタイ国王陛下の即位60周年記念式典への参列のためにタイを訪問いたします。両国訪問の間の週末には、マレーシアに過ごし、平成3年(1991年)のマレーシアの訪問の時、訪問を中止したペラ州を訪れることになっています。シンガポールには皇太子、皇太子妃として36年前の昭和45年(1970年)に訪問し、大統領ご夫妻にお目にかかり、リー・クアンユー首相とは、私どものために開かれた晩餐(ばんさん)会でお話しする機会を得ました。独立後、日も浅く、国づくりに努力している時で、何もないジュロン地区にソテツの木を植えたことが思い起こされます。今はこの地が日本庭園となっており、その木と日本庭園を見ることを楽しみにしています。

 この訪問からほぼ10年後、サウジアラビア、スリランカを訪問ののち、シンガポールに立ち寄りました。今回の訪問はそれから25年ぶりのことになります。その間にシンガポールは発展し、一人ひとりの生活は非常に豊かになり、かつて訪れた造船所などに加え、ITやバイオなどの新しい企業も増えていると聞いています。この度の訪問で、今日のシンガポールへの理解を深めていきたいと思っております。この訪問が、両国民の間の相互理解と友好関係の増進に少しでも資することになればうれしいことです。

 マレーシアには、シンガポールと同じ時に訪問しました。マレーシア国王、王妃両陛下の日本への国賓としてのご訪問に対する答訪のために、昭和天皇の名代として訪問しました。マレーシアでは国王は5年の任期で交代することになっており、訪問時には既に次の国王に代わっておられましたが、答訪の意味を考え、前国王の出身州ペルリス州に前国王、王妃をお訪ねしました。その時のペルリス州の皇太子が今の国王で、昨年、国賓として日本へいらっしゃいました。この度は首都クアラルンプールで国王、王妃両陛下に再びお目にかかります。また平成3年(1991年)にマレーシアを訪問した時、インドネシアの山林火災で空港に着陸することができず、訪問を中止した当時の国王の出身州ペラ州をほとんど当時の日程通りに訪問します。当時の国王を始め、ペラ州の人々が、私どもの訪問を待っている状況の下で、訪問を中止したことは常に私の念頭を離れないところでありましたが、今回その訪問を果たし、今は国王の位を退いていらっしゃるアズラン・シャー殿下、妃殿下に再びペラ州でお目にかかれることをうれしく思っています。

 2度目の訪問で非常に印象に残っていることは、クアラルンプール近郊のゴム林がアブラヤシ林に変わったことです。

 タイにはタイ国王、王妃両陛下の日本への国賓としてのご訪問に対する答訪のために42年前の昭和39年(1964年)に昭和天皇の名代として皇太子妃とともに訪問しました。国王、王妃両陛下からは非常に手厚いおもてなしをいただき、その様々な行事が懐かしく思い起こされます。チェンマイの離宮にも国王、王妃両陛下が飛行機でお連れ下さり、両陛下と3晩の思い出深い滞在をしました。その間には、陛下のご運転で山道を走り、途中から徒歩でモン族の部落を訪れたこともありました。国王、王妃両陛下も私どもも皆、30代の時のことでした。この訪問の時、日本にかつて留学した人々から贈られた雄の子象メナムは上野動物園に飼われ、訪れる人々を喜ばせていましたが、惜しくも4年前に亡くなりました。私どもの子供たちも乗せてもらったことがありました。その後も昭和の時代には、外国訪問の途次、タイに立ち寄り、その都度、国王、王妃両陛下をお訪ねしていました。しかし、ベトナム戦争により、タイ国内も状況が厳しくなり、かつて訪問時に皇太子妃の接伴に当たった王族の一人もゲリラのために命を失うということが起こってきました。夕食を頂いている時も、緊迫した状況が感じられ、両陛下にはさぞご心痛、ご苦労のこととお察ししていました。国王陛下が外国訪問をおやめになったのも、この時期のことでした。平成3年(1991年)、即位後最初の外国訪問国としてタイを訪問した時、タイが平和になったことをつくづく感じました。国王陛下が外国訪問の長い中断後、メコン川に架かった橋を渡ってラオスをご訪問になったのもこの頃だったように記憶しています。即位以来、様々な苦労と努力を重ね、今のタイを築く上に、大きく寄与なさった国王陛下が、この度、即位60年をお迎えになることは誠にめでたく、心から祝意をお伝えしたいと思います。

 タイの記念式典に参列する方々には、今までに何度かお会いした方々も多く、再びお会いするのを楽しみにしています。

 この度、初めて訪れるのはアユタヤです。アユタヤは歴史的に日本との関係も深く、この度の訪問でアユタヤへの理解を深めたいと思っています。

 この度の訪問先はいずれも高温な地域であり、日程はかなり忙しい日程になっています。皇后も病後のことであり、心配していますが、とどこおりなくこの訪問を終えることができるよう、健康には十分気を付けて務めていきたいと思っています。

 (皇后陛下)振り返りますと、タイを初めて公式に訪問いたしましたのは、昭和39年(1964年)、私が30になったばかりの頃でございました。この時の訪問は、その後27年を経た平成3年(1991年)の公式訪問とともに、私にとり、今も決して忘れることのない大切な思い出になっております。滞在中には、チュラロンコン、タマサート、カセサートの3大学を訪問し、またかつての日本留学生との交流会に臨むなど、若々しいプログラムが組まれていました。国王、王妃両陛下がご同道下さったチェンマイでは、ご一緒に山岳地帯に住むモン族の部落を訪ね、その地方における王室プロジェクトの一端にふれるという得難い経験もいたしました。バンコク・チェンマイ間の飛行中、国王陛下がそっとお席の陰から愛用のクラリネットを出して見せてくださり、私どものお願いを容れ、ベニー・グッドマンの「メモリーズ・オブ・ユー」を吹いて下さったことも懐かしく思い出されます。この2回の公式訪問の間にも、他国訪問の途次、何回かバンコクを経由地として選び、その都度、両陛下とのお交わりを深めて参りました。常に国民の福祉を思われ、様々な形で国と国民を守っていらっしゃるお姿に、深い敬愛の気持ちを抱いており、また、礼節を重んじるタイの国民性に対しても、いつも好ましく感じて参りました。この度のプミポン国王のご在位60年の祝典にはご招待を受けた者の一人として、タイの人々とともに心からの奉祝の意をこめて参列したいと思っております。

 今回、シンガポールからタイ国に向かう途中の土曜日をマレーシアで過ごします。先に陛下もお触れになりましたように、15年前の公式訪問の時、上空の状態が悪く、予定されていたクアラカンサーへの飛行が不可能になりました。やむを得なかったこととは申せ、歓迎を準備してくださっていた地方への日程取り消しは心苦しく、この度、立ち寄り国としてマレーシアの再訪を許され、その時の日程をほぼ再現して果たせますことをうれしく思っております。昭和45年(1970年)の初めての訪問の折り、マレーシア北端のペルリス州でご両親殿下とともに私どもを迎えて下さり、最後に空港で見送って下さった皇太子殿下が現在のマレーシア国王でいらっしゃり、この度はクアラルンプールで私どもを迎えて下さいます。平成3年の国賓としての訪問も、私には忘れがたく、この時、心を込めてご接遇くださったアズラン・シャー国王陛下ご夫妻と、この度、再びお会いできますことをうれしく思っております。これまでマレーシアの各地で出会った人々からは、穏やかで明るく、良い印象を受けてきました。この度のクアラカンサー訪問で、これまでに多くの優れた人材を輩出したマレー・カレッジを訪問するなど、マレーシアの思い出に更に新しいページを加えられることを楽しみにしております。

 平成に入り2度目の訪問ということで、タイとマレーシアにつき、最初にお答えいたしましたが、今回まず最初に訪問いたしますのはシンガポールであり、この久々の訪問も楽しみに心待ちにしております。シンガポールを初めて公式に訪問いたしましたのは、マレーシアと同じく昭和45年(1970年)で、シンガポールは独立から4年目を迎えていました。新しい国造りの熱気にあふれ、非常に若々しい国との印象を特に強く受けましたのは、建設の始まったばかりのジュロンの工業地帯を訪問し、大勢の港湾労働者のにぎやかな歓迎を受けた時でした。シンガポールの建国以来、25年にわたり首相の任を負われ、現在も内閣顧問として国政を見守られるリー・クアンユー元首相とは、この時初めてお会いいたしましたが、その後もシンガポールで、また東京で度々にお会いする機会を持ちました。氏が常に世界を視野に置き、その時々の時代を分析しつつ、シンガポールの進む道を真剣に模索されていることに感銘を覚え、またその都度、世界の諸問題につき、学ぶことが多うございました。また一方で私どもが南米の旅で見逃した南十字星をぜひシンガポールで見たいと思っていることを知られると、夜分宿舎に星の専門家を送ってくださいましたり、また夫人は先述のジュロンで陛下と私が植樹したソテツの成長した様を写真に撮られ、日本訪問の折に見せて下さいますなど、いつも優しいこまやかな心遣いをしてくださいました。この度の訪問は中一日の短い日程ですが、前回の公式訪問から36年を経、さらにたくましく美しく発展したと聞くシンガポールで、旧知の方々を始め、現在の指導者や市民の人々とも交流をもつことを楽しみにしております。ナザン大統領閣下とはこの度初めてお会いいたしますが、常々シンガポールに生活する日本人の社会を温かく見守っていてくださるとうかがっており、そのことへの感謝をお伝えするとともに、この度のご招待に対し、心からのお礼を申し上げたいと思います。

 体調管理については、今も陛下が月々に治療を受けておいでですので、やはりそのことは常に心のどこかにかかっています。私にできることは、毎朝の散策をご一緒するくらいですが、旅行中は出来るだけ陛下と行動を共にし、陛下のお疲れの度合いを推し量れるようでありたいと思っております。

 ――天皇陛下にうかがいます。両陛下は、即位されてから初めての外国訪問でタイなどの東南アジア諸国を訪問されました。東南アジア諸国は、日本と貿易・投資などを中心に密接な関係がありますが、先の大戦によって、日本に対する複雑な思いも残る地でもあります。戦後60年を経て再び訪問されることに、どんな思いがおありでしょうか。

 〈陛下〉戦後、日本は東南アジア諸国との友好関係を大切に育んできました。かつては経済協力が中心でしたが、近年では交流の分野が広がってきていることは非常にうれしいことです。この度、訪れるシンガポール、マレーシア、タイには大勢の在留邦人がおり、それぞれの国との協力関係の増進に努めていることは心強いことです。この度の訪問が日本とそれぞれの国との相互理解と、友好関係の増進に少しでも資するならば幸いに思います。先の大戦では日本人を含め、多くの人々の命が失われました。そのことは、かえすがえすも心の痛むことであります。私どもはこの歴史を決して忘れることなく、各国民が協力し合って、争いのない世界を築くために努力していかなければならないと思います。戦後60年を経、先の大戦を経験しない人々が多くなっている今日、このことが深く心にかかっています。

 ――両陛下にうかがいます。両陛下は、昭和天皇の名代としてのご訪問も含め、長年にわたり、各国の王室や人々と交流を重ねられ、培われた友情の大切さについて去年の会見でも触れられました。これまでにはぐくまれた友情や交流の積み重ねを、皇太子ご夫妻をはじめとする次代の皇族方にどのように引き継いでいきたいとお考えでしょうか。

 〈陛下〉私どもが皇太子、皇太子妃のころは、日本にいらっしやった王族方をよく東宮御所にお招きし、子供たちも小さいときからごあいさつに出るように努めてきました。ベルギーのボードワン国王、王妃両陛下が外国訪問の帰途、一日を東宮御所で過ごしたいと言っていらっしゃった時には、子供たちが植えた畑のイモ掘りをして、両陛下にお見せしたり、国王陛下が小さい秋篠宮のピンポンの相手をしてくださったりして、子供たちとも遊んでくださいました。また、皇太子の高校時代、清子の大学時代にはスペインのご別邸に招いてくださいました。清子はまた、ボードワン国王崩御後、間もない時に、ファビオラ王妃陛下にお招かれし、崩御になったそのスペインのご別邸で王妃陛下と、ボードワン国王をおしのびしつつ、心に残る時を過ごしています。翌年、清子はタイを旅行し、国王、王妃両陛下にお目にかかっていますが、ちょうどその同じ頃に、両陛下の王女、シリントン王女殿下が日本を訪ねておられ、わたくどもと夕食を共にしていたという楽しい偶然もありました。皇太子も秋篠宮もオックスフォード大学留学中には、各国の王室をお訪ねしています。ちょうど皇太子が留学中に、わたくしどもがノルウェーを昭和天皇の名代として訪問することになった時には、公式日程の始まる前の週末を、当時ノルウェーの皇太子、皇太子妃であった現在の国王、王妃両陛下のおもてなしで、留学中の皇太子も一緒に、ベルゲン付近を船でめぐり、楽しいひと時をすごしました。また、わたくしどもがベルギーに立ち寄ったときには、国王、王妃両陛下はオランダのベアトリクス女王陛下とクラウス王配殿下を、お住まいのラーケン宮に招いてくださり、そこに留学中の皇太子も加えて、楽しい一夜をすごしました。秋篠宮は留学中、研究の関係で何度かオランダに行っていますが、その都度、女王陛下はじめ王室の方々から温かいおもてなしをうけました。王子方がライデン大学の学生街のお住まいに秋篠宮を招いてくださったこともありました。秋篠宮がオランダを離れた直後に、今、出発したところだと、その滞在がとても良かったことを意味するお手紙を女王陛下からいただいたことなど、今でも懐かしく思い起こされます。

 このようにして、わたくしどもと交流のあった王室とは、皇太子も秋篠宮もそれぞれが家庭を持った今日も、交流が続いています。3年前には小学生であった秋篠宮家の子供たちが秋篠宮、同妃とともにタイ国を旅行し、国王王妃両陛下にお目にかかっています。交流は次の世代にも続いていくのではないかと思います。

 (皇后陛下)住む国も違い、その国々もほとんどが、距離を遠く隔て、お互いが出会う機会は決して多くはないのですが、それでも世界のあちこちに自分たちと同じ立場で生きておられる方々の存在を思うことは心強いことであり、励まされることでもあります。私自身は20代の半ばに、皇室の者となりましたので、昭和天皇をおはじめとし、それまでに皇室の方々が既にお築きになってこられた外国王室とのご交流にあずかるところが多く、恵まれた形で、この世界に加えていただきました。とりわけ、陛下が19歳の若さで、英国女王陛下の戴冠式にご列席になり、その後の欧米諸国ご訪問も加わって、多くの知己を得ていらしたことは、わたくしが、入内後、各国王室の方々と交わっていく上で大きな助けになっていたと思います。

 近年、各国において、わたくしどもの次世代にあたる若い王族の方々が次々と成人され、また、ご結婚になり、そうした方々を御所にお迎えする機会が急速に増えて参りました。このような時、かつて私どもの子供たちがお訪ねした国々で王室の方々に優しく遇していただいたことが改めて思い出され、そのご親切をお返しする気持ちでお迎えしております。子供たちに関するいくつかの事例は陛下がお話しくださいましたので、わたくしは重複をさけますが、親同士の親しい交わりが、このようにごく自然に次世代に受け継がれていくなか、これからは子供同士の交わりが一層深まっていくことを楽しみにしております。陛下の世代は国や年齢で多少の差こそあれ、だれもが戦時および戦後の社会変動を経験し、戦後の民主化の進む社会において王室や皇室がどのような役割を果たしていけるかという共通の課題を持った世代であったと思います。同時に、国家間の平和を不可欠なものと思い、二度と他国と戦(いくさ)を交えたくないという悲願もあり、こうしたみなの間の共通の意識がお互いを引き寄せ、友情を深める基盤になっていたように思います。時代は移り、王室や皇室の姿も少しずつ変化を見せるかもしれませんが、そこに生きる人々が心を合わせて世界の平和を願い、またそれぞれの国において自分たちの在り方を常に模索しつつ、国や国民に奉仕しようと努力している限り、お互いが出会う機会は少なくとも、王族、皇族同士は同じ立場を生きるものとして、これからも友情を分かち合っていくことができるのではないか。わたくしどもの次の世代の人々も、きっとそうして絆を深めあっていくのではないかと考えています。

 ――天皇陛下にお伺い致します。愛国心を促す方向で日本の教育基本法の改正が進められています。しかし、陛下が訪問されます国も含めました近隣諸国では、そういった動きが戦前の国家主義的な教育への転換になるのではと恐れられています。陛下もそうした見解に共感されますか。

 〈陛下〉教育基本法の改正は、現在国会で論議されている問題ですので、憲法上の私の立場からは、その内容について述べることは控えたいと思います。教育は国に発展や社会の安定にとって極めて重要であり、日本の発展も、人々が教育に非常な努力を払ってきたことに負うところが大きかったと思います。

 これからの日本の教育の在り方についても、関係者が十分に議論を尽くして、日本の人々が自分の国と自分の国の人々を大切にしながら世界の国の人々の幸せについても心を寄せていくように育っていくことを願っています。なお、戦前のような状況になるのではないかということですが、戦前と今日の状況では大きく異なっている面があります。その原因については歴史家に委ねられるべきことで、わたくしが言うことは控えますが、事実としては、昭和5年から11年、1930年から36年の6年間に要人に対する襲撃が相次ぎ、そのために内閣総理大臣、あるいはその経験者4人が亡くなり、さらに内閣総理大臣1人がかろうじて襲撃から助かるという、異常な事態が起こりました。帝国議会はその後も続きましたが、政党内閣はこの時期に終わりを告げました。そのような状況下では議員や国民が自由に発言することは、非常に難しかったと思います。先の大戦に先立ち、このような時代のあったことを多くの日本人が心にとどめ、そのようなことが二度と起こらないよう日本の今後の道を進めていくことを信じています。

 ――天皇陛下にお伺い致します。昨年、皇室典範に関する政府の有識者会議では、以下のような発言がありました。伝統は変動しないものではありません。「その時代で創意工夫しながら、大事な本質を維持しようとして格闘してきた結果が伝統なのではないかと考えられます。」この度訪問されますタイ王朝も長い伝統と歴史があります。日本の皇室の後継者について世間が語る中で、伝統の維持と時代の変化に伴う工夫につきまして、お考えをお聞かせいただけますか。

 〈陛下〉天皇の歴史は長く、それぞれの時代の天皇の在り方も様々です。しかし、他の国の同じような立場にある人と比べると政治へのかかわり方は少なかったと思います。天皇はそれぞれの時代の政治や社会の状況を受け入れながら、その状況の中で、国や人々のために務めを果たすよう努力してきたと思います。また、文化を大切にしてきました。このような姿が天皇の伝統的在り方と考えられます。明治22年、1889年に発布された、大日本帝国憲法は当時の欧州の憲法を研究したうえで、審議を重ね、制定されたものですが、運用面ではこの天皇の伝統的在り方は生かされていたと考えられます。大日本帝国憲法に代わって、戦後に公布された日本国憲法では、天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であるということ、また国政に関する権能を有しないということが規定されていますが、この規定も天皇の伝統的在り方に基づいたものと考えます。憲法に定められた国事行為のほかに、天皇の伝統的在り方にふさわしい公務をわたくしは務めていますが、これらの公務は戦後に始められたものが多く、平成になってから始められたものも少なくありません。社会が変化している今日、新たな社会の要請にこたえていくことは大切なことと考えています。

 ――東南アジアの指導者の人たちが日本と東アジアの関係を懸念する中、両陛下が平和をアピールする歴史的な訪問と期待していますが、ご訪問の意義について付け加えることがあればお聞かせください。

 〈陛下〉きょうお話ししたことで、平和を願う気持ちとか、そういうものは、だいたい尽くしていると私は考えます。やはり、これまでの歴史というものを、十分に理解し、そのうえに立って友好関係が築かれていくということが大切なことではないかと思っています。

 ――体調管理についてのご回答の中で、両陛下はかなり体調に気遣われていると感じました。両陛下は普段から多くの公務をこなされ、特に外国訪問前になりますと、お忙しい日々をお過ごしのことと思います。陛下は、公務の軽減、または皇族方への公務の分担についてどのようにお考えですか。

 〈陛下〉やはりさっきもお話ししましたように、天皇の在り方というものに伴う公務というものを考えていきますと、やはり、それを今軽減するということは特に考えていません。ただ、心配してくれている人もいますから、十分に健康には気をつけていきたいと思っています。

(下線は投稿者が引いたもの)

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