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プロパガンダで大衆を操る方法(「ホテル・ルワンダ」サイトより)
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投稿者 片瀬テルミドール夏希 日時 2006 年 6 月 01 日 16:26:41: x0P0raHFBfKZU
 

http://rwanda.hp.infoseek.co.jp/about_history13.html

連載ルワンダ史

第13回〈フツ・パワー〉

《フツ至上主義》

 フツとツチの和解を掲げるハビャリマナ時代には目立たなかったものの、ルワンダ政治の底流として常に存在していたもの。それは、フツのみがルワンダの真の国民だとするフツ至上主義だ。フツ至上主義者──やがてフツ・パワー、あるいは単にパワーと呼称されるようになる──にとって、RPFの侵攻は自らの主張の正しさの証明であると同時に、フツ至上主義のイデオロギーが再び表舞台に立つ好機だった。
 
 RPFの侵攻と前後して、過去の人種に基づいた言説が復活した。ツチはハム族あるいはナイロート系(ナイル川に由来する名前)であり、バンツー系のフツとは根本的に異なる。バンツー系のフツこそが、中央アフリカの正当な継承者であり、ルワンダにツチの居場所はない。ルワンダの国民として認められるのはフツだけである……。

 こうした言説は、かつての人種思想の単なる回帰ではなく、政治的武器だった。RPFの脅威は、軍事的であると同時に政治的なものだったからだ。RPFの政治プログラムに掲げられた独裁・腐敗の終結、政治的平等、難民帰還の権利は、どれも正当な政治的要求といえた。フツ至上主義者にとって重要なのは、 RPFを正当な政治的アクターとして認めないことだった。フツ/ツチの“部族対立”は、この目的にうってつけだった。

 まず、RPFは本質的にツチのグループであるとされる。そしてツチであるかぎり、本当の目的はただ1つ──かつてのツチ少数派支配、封建体制への復帰である。こうしてRPFは60年代の王制派の“ゴキブリ”と同一視される。RPFの響きのいい政治プログラムは、狡猾なツチが正直者のフツを騙そうとしているにすぎないというのだ。
 
 では、ツチはツチであるかぎりどれも一緒だというなら、ルワンダ国内のツチはどうなるのか? もちろんRPFの同調者であり、内通者だということになる。国内のツチの85%はRPF内通者であるとみなされた。また、フツ至上主義者によれば、ルワンダの富裕層の70%はツチである。また、ツチは国連や人権団体に潜入し、ルワンダの悪いイメージを広めている。そして、自分たちが入り込めないところには、ツチの女を送り込んで、フツの男を誘惑していると難じた。

 RPFの侵攻からしばらくして、野党勢力が力を得てくると、“フツの連帯”も重要課題となった。フツが連帯し、多数派を維持していれば、少数派であるツチに負ける理由がない。フツに分裂が起こるのは、金で買われたか、ツチの女に誘惑されたかしたフツが、ツチの同調者になっているからだ。それにフツだと偽っているツチも実に多い。フツを名乗っている野党にも、実際はツチの連中が大勢いるに違いない。正体を隠したまま権力を握り、ツチに国を売り渡す魂胆だろう。こうしたプロパガンダが繰り返され、野党の信用を傷つけようとした。

 上述のようなプロパガンダを広めるにあたっては、主に新聞などの出版物とラジオが利用された。

 新聞でもっとも有力だったのは〈カングラ〉(目覚めさせよ)だった。発行者のハッサン・ンゲゼはプロパガンダ作者としての才能を遺憾なく発揮し、「ゴキブリ(=ツチ)は蝶にはなれない」、「フツの十戒」など印象的な記事を次々とものした。

 ラジオは、最初国営の〈ラジオ・ルワンダ〉がプロパガンダ放送を担っていたが、野党の改革により情報局のフツ至上主義者が罷免されると、フツ至上主義者が所有する〈千の丘の自由ラジオ〉(RTLM)が93年8月に開局された。RTLMは、国営ラジオのような堅苦しさのないインタラクティヴなラジオ局として、ただちに大きな人気を獲得した。人気歌手がフツ・パワーを唱道する合間に、DJがウィットに富んだ人種ジョークを飛ばす。リスナーはリクエストや意見、街の噂などを寄せる。あまりに魅力的であるため、RPFの兵士まで耳を傾ける始末だった。

 フツ至上主義者は、タイミングを計算した虐殺も政治的道具として用いた。この時期のどの虐殺も政治的、軍事的展開を追うようにして実行されている。90 年10月キビリラの虐殺はRPFの侵攻10日後である。91年1月にはRPFのルヘンゲリ攻撃の報復として、ブゴグウェで約1000人のツチが殺されている。

 こうした虐殺の諸手順はジェノサイドでも繰り返されるので、ここで流れを簡単に見ておくことにする。

 まず、周辺の農民を集めて政治集会が開かれる。集会を仕切るのは、農民がよく知っている地方当局の人間であるが、たいてい首都から代表者が来て、集会に公的性格を付け加える。集会では、殺す相手がRPF(つまりツチ)の「同調者」であることが周知徹底される。ツチによるフツ殺害計画やRPFとの協力の証拠、秘密の武器庫の発見などの報告がある。

 十分に教育が済むと、やがてキガリの内務省か、各県の県知事から命令が下る。フツの農民は「特別な」共同労働に呼び集められる。この共同労働を指す単語ウムガンダは、慣習になっていた強制労働を指す語と同じである。農作業のボキャブラリーはほかでも用いられる。市長は農民に「藪刈り」を行う必要があることを告げる。「藪」は隣人のツチである。「雑草を根こそぎにする」という表現も使われている。
 後半の虐殺になるほど、民兵組織などの役割が大きくなっていくが、普通の農民も一定の割合で最後まで参加していた。

 プロパガンダに信憑性を植え付ける手法についても触れておく。

 ブタレ県で見つかった文書「支持者拡大のプロパガンダについての比較覚書」では、プロパガンダで大衆を操る方法が検討されている。この文書のなかで著者は、プロパガンダの理念について述べたあと、2つの具体的テクニックを提案している。

 1つ目が出来事の「創作」である。これは単純なテクニックで、プロパガンダに信憑性を与えるような出来事をでっちあげて、各メディアで伝えるのだ。 RPF侵攻直後のキガリでの銃撃戦がそのわかりやすい一例である。他にも、武器やラジオ通信機の発見、荷物を抱えたよそ者の目撃談、殺害計画書の存在などがまことしやかに報告される。

 2つ目は「鏡像の告発」と名づけられているテクニックである。これは自らが行おうとしている行動をもとに、敵を非難する手法を指す。例えば、フツ至上主義者がこれから虐殺を行うつもりの場合は、ツチの虐殺計画が見つかったと発表する。文書の言葉を使えば、これにより「テロを行っている集団が、敵はテロを行っていると非難できるようになる」。このテクニックはまた、自衛というレトリックを持ち出すのにも好都合である。こうしたテクニックを用いることで、プロパガンダの内容はフツの一般市民に浸透していった。

 ここまでの段階では、RPFとの挙国一致の戦争体制を作るのがフツ至上主義者の目的だったように思われる。92年はじめにMRNDの青年グループを母体に結成された民兵組織インテラハムウェ(ともに立ち上がる者たち)は、もともとRPFの攻撃に対して住民を自衛させることを目的としていた。もっともフツ至上主義の思想を貫徹すれば、フツとツチの全面戦争に行き着かざるを得ないはずだが、それはあくまで論理的な可能性に留まっていたといえる。

 しかし、フツ至上主義者の策動にもかかわらず、野党は勢いを止めず、ハビャリマナは92年3月、屈辱的な妥協を行った。野党との連立内閣結成と、RPF との和平交渉の開始を認めたのだ。この妥協によって、フツ至上主義者とハビャリマナのあいだに亀裂が生じ始めた。

 その結果、92年3月、最後の野党として共和国防衛連合(CDR)が誕生する。CDRはフツ至上主義者の党で、ハビャリマナとMRND内穏健派の弱腰に痺れを切らした過激派が結成した。CDRにとって、RPF=ツチはルワンダ=フツ国家の敵であり、ツチとの和平や権力の分割など決して許されない裏切り行為だった。CDRは、MRNDのインテラハムウェのように民兵組織インプザムガンビ(目的を同じくする者たち)を結成し、デモや野党との衝突など様々な目的に用いはじめた。

 また、同じく3月、ツチに対してフツの隣人を殺戮せよと要求する自由党(PL)のパンフレットが「発見」された。次いで国営ラジオでフツ住民への警告が5回繰り返された。こうした下準備を経て、首都の南部ブゲセラで「自衛」のための殺戮が行われた。6日間で推定で300人が殺された。今回は、敵に野党が含まれていた点が、前回2つの虐殺とは異なっていた。

《ジェノサイド機構》

 おそらく92年秋頃、フツ至上主義者の脳裏にツチ問題の“最終解決”のシナリオが姿を現したと推測されている。この頃に公的機関と平行して「ジェノサイド機構」とも言うべき対応組織が登場しはじめた。

 シークレット・サービスはラテンアメリカ式の処刑部隊ゼロ・ネットワークとして、秘密裡に再結成された。軍内では「弾丸」という名の強硬派グループが立ち上がった。MRNDのインテラハムウェ、CDRのインプザムガンビが虐殺(=「ツチに対する自衛」)の実働部隊として活動する可能性も考慮されはじめた。

 また、この頃に市長に秘密指令が出され、要注意人物のリストが作成されている。さらに軍内でもRPFの「同調者」とみなされた者のリスト作成が行われた。

 しかし「ジェノサイド機構」はこの時点では国家の命令系統を掌握しておらず、“最終解決”など、フツ至上主義者のなかでも最過激派の夢想にすぎなかった。このため、過激派も暗殺や小規模な虐殺などのテロにより、野党やRPFの譲歩と服従を引き出そうとするに留まっていた。

 この時期のフツ至上主義者の先鋭的な考えをうかがわせるものとして、MRNDの幹部レオン・ムゲセラの演説がある。ムゲセラの演説は、もっとも早い時期に公の場でジェノサイドを扇動したものとして悪名高い。この演説は録音され、各メディアに再録されて、広く知られるようになった。

 92年11月、ムゲセラはMRNDの党集会で次のように演説した。ルワンダはRPF(ツチ)の“ゴキブリ”と、野党のツチ同調者という2つの敵に征服されようとしている。国益に背く“ゴキブリ”と野党政治家たちは、法により死刑を求刑されている。法がこの罰を実行しないなら、われわれ人民が武器を取り、「クソどもを根絶する」権利がある。“ゴキブリ”についていえば、そもそも1959年に奴らを逃がしたのが間違いの元だった。奴らの故郷はエチオピアなのだから、ニャバロンゴ川に投げ込んでナイル川経由で故郷に送り返してやるべきだ。

 「なぜわれわれは待っているのか?[...]責任をわれわれ自身の手で引き受け、連中を一掃しなくてはならない。奴らを皆殺しにしろ!」と、ムゲセラは結んだ。
 
 ムゲセラの演説は時期尚早だった。野党や改革派に限らない多数の人間が、ムゲセラの演説に憤りを露わにした。元MRND中央委員会メンバーのジャン・ルミヤは公開書簡でムゲセラを激しく非難した。PLの党員で司法相のスタニスラス・ムボナムペカは逮捕状を請求した。ムゲセラは最終的にカナダに逃亡した。
 
 しかし、ほんの1年足らずのうちに、ムゲセラの演説は過激派のたわごとではなくなる。

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