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私たちが執着しているのは「幸せの地図」?
http://kaitenmokuba.livedoor.biz/archives/50714581.html
市場原理主義によって地方や中小企業は倒産し、団塊の世代はリストラに怯え、若者は就職戦争に疲れ果て、仕方なくフリーターやニートに甘んじている。そんな中にも運良くエリート大学から一流企業に就職し、美しい妻と子供に恵まれ、郊外の一軒家には、芝生に蔽われた小さな庭とガレージがあるといった人々もそれなりにいる。ガレージにはBMWが収まり、人生の幸せを満喫しているサラリーマンのワンショットである。
■私たちが執着しているのは「幸せの地図」?
週末の朝、彼は鏡に向かって、幸せな「自画像」を確認するかのように視線をやると、そこにはなんと予想外の「他人」が映っている。その男の表情には幸せのかけらもない。その男は今にも泣き出しそうな表情であると同時に、その一歩手前で自制力が働いているといった感じの、妙に危うい感じが漂っている。どう贔屓目に見ても、人生を謳歌している男の顔には見えない。
鏡の中の男は困惑し、こんな人生を歩むはずじゃなかったと嘆いている。その男が手にしたはずの成功はなぜか偽物で、充実感はするりと逃げ水のように、限りなく後退していってしまう。いま男の胸の内にあるのは、不安と恐れだけだった。鏡の中の男が手にしたものは、幸せそのものではなく、「幸せの地図」に過ぎなかった。すべての物、車、家、地位、ブランド、貯金通帳等は、結局のところ、豊かさや幸せのシンボルにすぎなかったのだ…。
シンボルそのものには中身はなく、うつろで空っぽである。シンボルは流行とともに移り変わり、来ては去っていく。私たちのエゴは、豊かさのシンボルに執着させ、執着心とは正反対の「未知なる不確実さ」の中には価値を見いださない。本物の幸福は、不確実さの中で育まれ、既知なるものへの執着心から解放された瞬間、私たちは思いがけず手にすることが可能となる。
世の教えとは逆に、不確実さこそ、私たちを幸せへと導いてくれる。エゴに支配された過去の記憶や執着心は、私たちをして幸せのシンボルという「牢獄」に閉じ込め、鏡の中の自画像から笑顔を奪いとる。私たちは、時々鏡に映った自分自身の姿を点検しなければならない。もしかしたら、その鏡の中に「見知らぬ他人」が映っていませんか?
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