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もしかすると、憲法9条が改正され、自衛隊が正規軍となったとき、米帝の属国である我が日本は、国際貢献の錦の旗のもとに、米帝による先制攻撃に参戦するだろう。
その時、日本に残された妻は、自決する覚悟があるだろうか?
陸上自衛隊の妻はどうか知らないが、大日本帝国陸軍の妻には、その覚悟があったのである。
日本が、日露戦争後に手中した南満州鉄道と沿線の土地・鉱山の権益。特に露天掘りの可能な撫順(フーシュン)炭鉱の良質な石炭は満州の宝であった。この撫順炭鉱で、満州事変の翌1932年、村ごと皆殺しの虐殺事件が起こされた。いわゆる、平頂山事件である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%A0%82%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
この虐殺のきっかけとなったのは、撫順炭鉱匪賊事件であった。1932年9月16日、午前1時5分、撫順炭鉱揚柏堡坑の事務所・派出所・宿舎が数百名の匪賊(日本軍による蔑称)に襲撃された。彼らは抗日義兵。炭鉱守備隊長の川上清一大尉ら主力部隊は討伐出動中留守だったため、井上清一中尉が責任者となった。井上中尉の匪賊追撃は失敗し、匪賊に協力したとみなされた平頂山村民に報復が行われた(911の後、アフガンを攻撃した米帝を思い出す)。翌日の17日午前10時過ぎ、崖下に追い詰められた1000人以上の村人が、機関銃で皆殺しとなった。遺体は灯油で焼かれた末、爆破した土砂で隠された……
井上中尉は、なぜ虐殺をしなければならなかったのか?
それには理由がある。新妻のために手柄なくして凱旋できぬ立場であったからだ。そのためには、罪のない村人を虐殺することは、彼にとって必要だった。
井上中尉は、新婚早々に満州に出陣することとなった。新妻の千代子さんは、1931年12月12日、「出征する夫の手柄を期待し、後顧の憂えをなくし、戦場の夫を守る御霊となる」つまり、「家庭に心残り無く戦死覚悟で手柄を立ててください」と遺言して、大阪市住吉区の自宅で自害して夫を見送ったのである。
この不幸な事件は、軍人の妻の鏡として、新聞号外が出され、千代子婦人の母校は臨時休校で葬儀に全員参列し、生地の長滝村では追悼式を行い顕彰碑を建立した。
さらに、千代子婦人の自殺を契機に、大日本国防婦人会が大阪で結成され、戦場に行く夫を支える女性の銃後の士気が高められていった。烈婦の死で送り出された井上清一は、なんと中国人虐殺凱旋後に再婚し、広島暁部隊で中佐に昇進。その後、1944年8月、パーキンソン氏病で亡くなっている。息子は、広島で被爆死している。
さて、イラクその他の海外にて、夫が国際貢献されているであろう、自衛官の婦人に問いたい。
夫が家庭に心残り無く戦死覚悟で国際貢献をしてもらうために、自決も辞さない、愛国心にあふれた気持ちをお持ちなのか?
言うまでもないことですが、愛国心とは、「国を愛する心」などというあまっちょろいものではありません。
国体護持のために、命を捨てることであります。
posted by 死ぬのはやつらだ
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