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(回答先: 原爆症認定 全員が勝訴 / 被爆者救済拡大に道 / 大阪地裁 国基準・審査を批判 / 集団訴訟初判断(しんぶん赤旗) 投稿者 gataro 日時 2006 年 5 月 13 日 13:55:18)
原爆症認定訴訟:大阪地裁・原告勝訴 あの日から61年、9人に一筋の光
◇つらい人生、朗報聞けるとは…
「被爆者に、ものすごい勇気を与える」−−。被爆者9人全員について、原爆症認定の申請却下処分を取り消した12日の大阪地裁判決。国の認定審査の在り方を批判するなど予想を上回る画期的な内容に、法廷内外では原告や支援者らが歓喜の声を上げた。原爆投下から61年。高齢化が進み、言葉では言い表せない、つらい日々を過ごしてきた人たちに一筋の光がさした。
「こんな朗報を聞けるとは。涙が止まりませんでした。後に続く被爆者もいけると思う」。判決後の会見で、原告の小高美代子さん(81)は晴れやかな表情を見せた。
1945年8月6日、爆心地から約1・9キロの広島市猿猴(えんこう)橋町(当時)の親せき宅で被爆した。その時、20歳。おなかには5カ月の長女がいた。ガラス片が突き刺さった背中を血だらけにしながら、約4キロ離れた知り合いの農家へ避難した。
道のりは「生き地獄」だった。手足に皮膚をぶら下げて逃げ惑う人々、「水をください」とすがる女学生……。しかし、手を差し伸べる余裕はなかった。自身も約8年後、背中に石が乗ったようなひどいだるさ、吐き気に襲われた。いわゆる「原爆ぶらぶら病」だった。
友禅の絵付けを始めた夫と68年、京都に移り住み、仕事を手伝ったが、横になっていて「怠け者」としかられることも。後に夫は被爆者の実態を理解してくれたが、小高さんは「この時期が一番つらかった」と振り返る。胎内で被爆した長女は体が弱く、45歳の時にがんで子宮を摘出した。
集団訴訟に加わったのは、ほぼ同じ被爆状況で、同じ甲状腺機能低下症の女性が原爆症と認定されたのに自分は却下され「切り捨てられた」と感じたから。裁判では車椅子で出廷し「苦しみを背負い、残りわずかな命と向き合って生きている被爆者を助けて」と訴えた。
夫は既に亡くなり、今は京都市内で一人で暮らす。語り部として被爆体験を話すが、あの道のりで「何人も見殺しにしてしまった」という思いは消えない。一方で「あの人たち」から「もっと伝えろ」と言われているような気もする。だから「国は被爆の実態を分かって」と死ぬまで叫び続けるつもりだ。【牧野宏美】
◇東京原告団らが街頭で支援訴え−−有楽町
東京地裁で同様の訴訟を起こしている原告団や支援団体のメンバーら約50人が12日夕、東京都千代田区のJR有楽町駅周辺で支援を訴えた。原爆症認定集団訴訟・東京弁護団事務局長の中川重徳弁護士は「大阪地裁は国が原爆症を認めなかったのは間違っているとした画期的な判断を下した。被爆者の裁判を応援して下さい」と通行人らに訴えた。【岩佐淳士】
◇きょう被爆者110番
原告を支援している日本原水爆被害者団体協議会は13日、「被爆者相談110番」を開く。東京の電話番号は03・5842・5655。
◇野宿者住民登録認める判決も−−西川裁判長
原告全員の却下処分を取り消した西川知一郎裁判長(46)は東京地裁判事補、最高裁調査官などを歴任。大阪地裁では04年、大阪府能勢町のごみ焼却施設のダイオキシン汚染を巡る訴訟の裁判長を務め、和解を成立させた。今年1月には、大阪市北区の公園でテント生活をする野宿者の住民登録を認める判決を言い渡した。【前田幹夫】
毎日新聞 2006年5月13日 東京朝刊
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20060513ddm041040148000c.html
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