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横浜日記」(45)その3―「ウィ・シャル・リターン」
http://blogs.yahoo.co.jp/humemoto2005/34992443.html
「横浜日記」(45)その3 06・4・26 梅本浩志
<「ウィ・シャル・リターン」>
自民党の歴代政権、特に小泉政権になってからの対米一体化路線は非常に積極的なもので、小泉の掲げる「改革路線」は、その対米一体化路線を積極的に推し進め、補強し、同路線に合致させることを目的とし、意識したもので、それだけに小泉はしゃにむに突き進んできたのである。決して米国から強いられて面従腹背の嫌々ながらの服従でもなければ、見せ掛けの協力姿勢でもない。日本の官僚階級を主人公とする階級社会の利益を守らんがための能動的で積極的なものだった。
それが政治権力を獲得し、一定の利権を確保する野心的政治家たちの利害と一致していただけの話である。総理大臣のポストを手に入れた政治家が、まず最初に行うことが、訪米して米国の大統領に挨拶し、お墨付けをいただくのはそうした事由によるものだ。
海外派兵や軍事基地の提供は言うに及ばず、共謀罪や教育基本法改悪の強引極まる成立、その先に見える憲法の改悪等々の突っ走り、そしてなによりも憲法より上位に位置付けて超憲法的な存在に位置付けている日米安保条約の積極的な運用の強化など、あるいはこうした新体制に合致させるための経済政策や財政・金融政策の「改革」や経済システム全般にわたるレッセ・フェール政策の実行やグローバリゼーション化など、全ては日本の自民党政権側の積極的な意思と意志に基づいていることがいまや明らかである。
そのような自民党政権側の発想、考え方、政策の根底に横たわる最大の関心事が軍事的なものであることは否めないであろう。確かに現在の日本の軍事力は世界有数のものであり、核兵器以外の最新兵器はほぼすべて持っているものと見られ、その核兵器も劣化ウラン弾など持っていないと断言できるのかどうか。
しかし現代の軍事戦略において核への幻想は多大なるもので、北朝鮮やイランなどの狂気じみた核武装への取り組みがそのことを裏付けている。だから海外に巨大な経済的権益を所有し、世界中に生産施設、市場、資源地を確保し、東京に国際金融センターを持っている日本が、世界に自己の意思と意志を貫徹させ、利益を確保し続けるための、相応の軍事力が必要だという思いが日本の国家権力と経済界を支配するようになったのも当然といえば当然である。その相応の軍事力が原水爆の保持つまり核武装であることは、誰が見ても分かることである。
ところが日本は核武装ができない。資金力、科学技術力、原発運転経験などからいって、日本が核武装することはいとも容易(たやす)いことである。しかしそれができないのは、被爆国体験からの反核感情が根強いからというより、むしろ米国がそれを許さないからである。米国がもっとも恐れるのは、日本の軍事国家化であり、日本が核武装して発言力を強化することである。米国とは別の意見を発し、行動する日本ほど米国の国益に反するものはないからだ。永遠に従順で現金自動支払機であり続ける日本こそ米国の「ナショナル・インタレスト」(国益)に合致するものなのである。
その利益は同時に日本の歴代政権の利益と合致してきたのである。バブル経済崩壊でおかしくなった日本と米国の関係を修復する役目を担って登場した日米安保体制中興の政権が小泉政権であったのである。かつては「日米友好が大切だ」と言っていた小泉が、やがて「日米同盟が最も重要だ」と言葉を変えたのには、そうした歴史的な背景と状況が存在していたのである。
米国が日本を大切にし、日米安保条約を遵守する姿勢を保っているのは、あくまで日本が米国にとってのいい子である限りにおいてであって、日本が一人前の国家として立ち居振る舞う国家、つまり米国から距離をおいて独自に発言し、行動し、深い洞察と高い見識から行動することによって世界から評価される知的国家になってもらっては困るのである。
特に資本主義的に発展著しく、政治、経済、軍事等のあらゆる面で力をつけてきて、独自路線を歩み、アジア諸国への影響力が大きく、米国にとっての強大なライバル国になりつつある中国に接近されて、米国に対するブロックを組まれることだけは、なにがなんでも阻止しなければならないのである。これを裏返して言えば、アメリカにとって日本は、対中経済権益の防波堤なのであり、対中軍事戦略の橋頭堡なのである。その限りにおいて米国は日本を防衛するポーズを見せているのである。
そうしたあらゆるバランスの上に立って、現在の日米関係、軍事バランス、経済体制が仕組まれているのである。自民党政権を中心とする日本の支配体制側はこうしたことをよくわきまえていて、そうして形成されている状況を逆手にとって、政治戦略を構築し、政策を展開しているのだ。
それは一言でいって、米国の核の傘に進んで入ることによって、日本の支配的な階級の利益を防衛し、対外発言しようとするものである。米国という虎の威を借りて、身をこなそうとしているのだ。だから自民党政権側が日米安保条約を積極的に遵守するばかりか、逆に拡大解釈までして、海外に派兵したり、武器輸出を緩めたり、国内の政治社会体制を急激に反動的方向へ変えて、遂に憲法を変えるまでになったのである。
そんな日本の思惑や姿勢が外国から見すかされていることは当然で、国連で常任理事国に立候補しても、アジア諸国で積極的に賛成して支援する国は1国としてなかったばかりか、米国の支持すら取り付けられなかった。さらに極東諸国との外交関係も破綻状態となってしまった。いまや自民党政権下の日本は世界中からバカにされているのである。
ではその米国だが、日米安保条約があるからといって、万一日本が軍事侵略された場合、日本をあらゆる犠牲を払ってまでして守ってくれるかといえば、そうでないことを日本人は肝に銘じておく必要がある。米国が対外的な軍事、外交を行う場合、それは歴代大統領が絶えず口にして止まない「米国の国益のため」なのである。決して相手国の人間を思いやって、犠牲を払ってまでして、行動するのではない。
そんな例はベトナム戦争、アフガン戦争、湾岸戦争、イラク戦争など枚挙に暇がない。それにつけても思い出されるのは、太平洋戦争中のダグラス・マッカーサーの言葉である。ただしこの言葉は敗戦直後、アメリカが頼りになる国であることの根拠として口伝えに流布された言葉で、実際にマッカーサーがそうした言葉を口にしたのか、またなにかの文献でそのようなことが書かれているのか、私は知っておらず、そのため不確かではあることを予め断っておく。
敗戦直後、連合国軍総司令官として君臨したマッカーサーだが、彼は太平洋戦争が勃発し、日本軍がフィリピンに侵攻して、フィリピン駐留の米軍が同国から撤退せざるをえなくなったとき、マッカーサーは「ウィ・シャル・リターン」と言い残して、去ったというのである。「アメリカは、一時撤退するが、フィリピンを見放すのではなく、巻き返して、必ずフィリピンに舞い戻ってくるであろう」という意味だと流布者たちは解説したものだ。アメリカはそれほど頼りになり、思いやりのある国だというのだった。
当時まだ年少だった私はこうした言葉の意味や狙いが理解できず、ようやく覚えたての言葉だった英語で「ウィ・シャル・リターン」という言葉がそのまま頭にこびり着いたのであった。だがいま思うと、この真偽のほどが分からない流布の言葉は、米軍の占領政策を容易なものとし、後の日米安保条約と日米地位協定の締結を地ならしするものだったことは確かである。
さて太平洋戦争中の「ウィ・シャル・リターン」はどうであったのか。日本軍侵攻の際にはフィリピンは戦場となり、占領中には住民たちは日本軍に再植民地化されて人権を抑圧され、米軍の再上陸と反撃の際にはまたもや戦場となり、住民は逃げまどった。米軍が解放者の顔をし、星条旗をフィリピン各地に立てたが、ただそれだけの話だった。戦後久しくフィリピンは米国の新植民地として、マルコス独裁政権下でフィリピン人たちは苦しんだのである。
同じような例は、ベトナム戦争でのサイゴン陥落、ソ連軍のアフガン侵攻時のオサマ・ビン・ラディンたちへの軍事支援、湾岸戦争当時におけるイラク・フセイン軍の毒ガス使用の容認等々、アメリカの身勝手さをわれわれはいやというほど見せつけられてきた。パレスチナ問題やインド・パキスタン核保有問題等におけるダブルスタンダードの酷さは、呆れるばかりである。
イラク戦争の際にも、核兵器を既に所有していると公言していた北朝鮮を放っておいて、大量破壊兵器は所有していないと再三にわたって弁明し実際に所有していなかったイラクを一方的に攻撃し占領した。北朝鮮は石油が出ず、一方のイラクは大産油国で、地政学的にもイスラム世界の中心に位置していたからである。フセイン政権がロシアとフランスの石油資本に急接近して、米英系の石油資本が追い出されそうになり、既得利権が奪われそうになったという事情もあった。これらはすべて、アメリカの国益のためだとする身勝手さから出たハチャメチャな行動だった。
そして国益に合わないと判断するや、さっさとそれまでの同盟国の事情などにはお構いなしに軍事侵攻地域から撤退したりして独自行動するアメリカである。軍事面以外でも、BSE(狂牛病)問題で安全性が確保されていない米国産牛肉の対日輸出半強制問題などで、その傲慢な考え方とやり方が露骨であることを日常的に見せつけられる一事をとっても、米国の国益至上主義は明らかである。
テロリズムに対する態度をとっても、米国はレジスタンス・ゲリラのテロは非難しながらも、特にイスラム系の人間に対しては少しでも容疑があると、片っ端から捕まえてきては現地の監獄にぶち込んだり、キューバのグァンタナモ基地内の強制収容所あるいは東欧諸国に密かに設けた強制収容所に送り込んで、裁判にかけることもなく無期限に勾留して、虐待や拷問を行うなど、国家テロリズムをほしいままにしている厚顔ぶりである。住民に対する無差別攻撃や劣化ウラン弾使用など目にあまる残虐行為である。
そんな米国が、日米安保条約を締結しているからといって、自己犠牲を払って、日本人を守るなどということはありないことは自明のことである。そんな米国のために、日本の歴代政権は米国に媚びを売り、涙ぐましいまでに尽くしてきたし、いまなお尽くしてやまない。それも進んで。喜々として。
おかげで日本は、半世紀以上前の1951年に独立したはずなのに、依然として軍事占領状態下に置かれたままで、日本国民は忍従に忍従を重ね、米国に軍事占領を続けてもらうために巨額の資金(税金)を供出している。そんな挙げ句の果てに「ウィ.シャル・リターン」などと言われて見捨てられては、これぞまさしく物笑いの種というものだ。
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