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□機運あって熱気薄い改憲/岩見隆夫 [毎日新聞]
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060503k0000m070148000c.html
記者の目:機運あって熱気薄い改憲=岩見隆夫(特別顧問)
先週、熟年男女の集まりで、改憲問題を聞いてみた。
「さあ……」
と答えをにごした人は一人もいない。改憲8、護憲2の比率だった。世論はかなり熟している、という印象だ。
しかし、そのことと実際に改憲作業が進むこととは必ずしもイコールではない。新・新憲法が生まれるかどうかは、ときの首相と国民の間に、改憲パッション(熱意)の強力な共振が不可欠だ、と一政治記者としてかねがね思ってきた。とりわけ、首相の決意である。
しかし、この5年間、小泉純一郎首相と世間の双方にパッションが乏しく、改憲の流れができつつあるように見えながら、はずみがつかなかった。小泉は郵政民営化の一点に情熱を注ぎ、改憲問題などはついででしかなかったからだ。
田中政権の末期だから、30年余も前のことになるが、畏敬(いけい)する保利茂(のち衆院議長)にインタビューしたとき、保守本流の核心は何か、と問うと、保利は、
「まず新憲法の精神で政治を運営していくことだ。それにサンフランシスコ平和条約、日米安保条約、この3本柱で吉田(茂・元首相)さんが戦後の新しい日本の骨格をつくった。安保改定がされたが、骨格は変わらない。鳩山、石橋、岸、池田、佐藤、田中にしても、少しもゆらいでいない」
と答えた。
つまり、吉田政治の支柱は明確な護憲思想である。田中角栄以後の歴代首相も、このレールを踏みはずすことはなかった。だが、吉田批判の鳩山一郎、岸信介、中曽根康弘の3首相は、同じレールを走りながらも、改憲を主張した。なかでも、岸はパッションが強く、かつて岸は私に、
「国に元首がないんだ。こんなことはないですよ。これは国の基本である。次に国防だ。少なくともね、防衛に当たっている自衛隊が憲法違反の疑いを残すような現在の規定を改めなければいかん。それから二院制、むだですよ」
とぶった。先の自民党の新憲法草案には元首と一院制は入っていない。
だが、岸に代表される改憲論はタカ派による戦前回帰とみられ、世論の多数派が同調しなかった。従ってパッションの共振がない。
いつのころからか、改憲論議からタカ派色が薄れていく。私も40年の政治記者生活のなかで、護憲論から改憲論に変わった。内外の情勢と国民意識の変化につれて、保利が言う3本柱の老朽が目立ち、時代にそぐわなくなったからだ。
意識の変化とは何か。そろそろ戦後的なものに別れを告げ、すっきりした自立国家になりたいという欲求の高まりだと私は思う。
「アメリカの51番目の州だ」
と自虐的に言う自民党リーダーがいる。それほどではないとしても、占領期の残滓(ざんし)を感じているのは確かなのだ。
しかし、改憲というテーマは、いまの政治と国民にとって荷が重い。それは、自民党の憲法草案作成過程で、前文の中曽根私案に盛られていた「和を尊び」の文言を、小泉が削除するよう指示した一件に象徴されている。
新・新憲法を練り上げるのに、<和>という日本的理念をどう位置づけるか、自民党に合意がない。ことほどさように、戦後の私たちには、大切なことを突き詰めて考える習慣が失われていた。
従って、21世紀の日本もぼんやりしていて像を結ばない。デザインする構想力と決意がまだ乏しいからだ。憲法の新条文を書こうにも、基本理念が揺れているのである。
とはいえ、多数派の改憲志向がはっきりして、機運は生まれてきた。いまも護憲論者の宮沢喜一元首相は10年前、
「変えるための国民的なエネルギーを思うと、そういう努力はあまり有益ではないという気がする。つまり、改正のためのコストを払って得るベネフィット(利益)は、実はそれほどないんじゃないか」
と語っている。機運はあっても、この宮沢の改憲消極論を退けるだけの熱気はまだ醸成されていない。
しかし、改憲論議は精力的に進めるべきだろう。論議を通じて、望ましい<わが祖国>の姿が見えてくるはずだからだ。数年前、後輩記者と議論した折に、
「国家なんていりませんよ」
と言われて驚いたことがある。護憲よりも、この若い層の新たなアナキズムが改憲を邪魔するかもしれない。私は国家主義者ではないが、国は愛(いと)しいもの、と思っている。そうでなければ、改憲のパッションは生まれないし、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の日本優勝にあれほど感動するはずがない。(敬称略)
毎日新聞 2006年5月3日 0時09分
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