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(回答先: 治維法・特高・憲兵による弾圧 治安維持法と特高警察(1) 【太平洋戦争下の労働運動】 法政大学大原社会問題研究所 投稿者 愚民党 日時 2006 年 5 月 01 日 20:27:22)
日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
The Labour Year Book of Japan special ed.
第四編 治安維持法と政治運動
第一章 治維法・特高・憲兵による弾圧
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-116.html
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第一節 治安維持法と特高警察(つづき)
その他の戦時弾圧法規
四一年三月に公布され五月から施行された「国防保安法」は、戦時下の国防上、外国にたいして秘匿することを要する軍事・外交・財政・経済などに関する重要な国家機密を保護するために制定された国防保安に関する一般法であり、政治的・思想的弾圧の手段として利用された。同法によって、刑法に定められた以外に特別に重い刑罰が課され、またそのために刑事訴訟法に規定する以外の特別の刑事手続が規定された。
四一年一二月の開戦直後に制定された「言論出版集会結社等臨時取締法」は戦時特別立法の一つとして、集会・集団運動・結社・出版等を行政官庁の許可制とし、それぞれの違反行為に厳罰をもって臨み、また時局に関する「造言飛語」「人心惑乱」行為を処罰するものであり、政府は各部面で自由に取り締まる権限をにぎることになった。同法の審議にあたって、一議員から「むしろ戒厳令を奏請し、これを適用する方が適当ではないか」と質問がでるほど苛酷な内容のものであり、たとえば「造言飛語」「人心惑乱」の事項を流布したものは懲役刑にされたが、その内容がたとえ事実で、確実な根拠にもとづくものであっても処罰されることになっていた。
四二年二月に公布された「戦時刑事特別法」は、戦時下の治安犯罪などにたいしきわめて重い罪を課するとともに、戦時下の刑事手続について特別の取扱い(同第二九条よって後述のとおりゾルゲ事件は上告棄却となった)を定めた特別立法であり、「戦時に際し燈火管制中または敵襲の危険その他人心に動揺を生ぜしむべき状態ある場合」の放火罪、「戦時に際し国政を変乱することを目的と」する殺人罪、戦時下の騒擾罪・公共防空妨害罪・公共通信妨害罪・ガス電気利用妨害罪・重要生産事業遂行妨害罪・生活必需品買占罪・往来妨害罪・住居等侵入罪・飲料水に関する罪などが、最高死刑・無期以下の懲役となった。つづいて同法の改正案が四三年一月から三月にかけて第八一回議会で激しい論議の対象となり、貴族院では委員会八回・小委員会二回のあと法相の特別言明があって可決され、衆議院では委員会一二回、懇談会四回のすえ、東条首相みずから委員会と本会議で濫用せぬよう万全を期する趣旨の特別声明があってようやく可決となり(反東条派約三〇名反対)、三月から施行された。改正は四ヵ条の追加であり、国政変乱目的の傷害・逮捕・監禁・暴行・脅迫罪を死刑・無期以下の懲役・禁錮に、騒擾その他治安を害すべき罪の実行についての協議・煽動を七年以下の懲役・禁錮としたが、とくに問題となったのは同法第七条の四の「戦時に際し国政を変乱しその他安寧秩序をびん乱することを目的として著しく治安を害すべき事項を宣伝したる者」を同じく七年以下の実刑に処するという「宣伝」行為処罰の規定であった。私有財産制度の否認もこの「安寧秩序びん乱」になることとされ(四一・一〇・二三、東京控訴院の河合事件判決)、「治安を害すべき事項」とは「国家社会公共の法的安全を害するおそれある事項」で、出版法規における「朝憲びん乱」「政体変壊」「安寧秩序びん乱」なども含まれるものとされた(四〇・一一・一四、大審院判例)。
特高警察
特高の歴史は、鮮血にまみれた人権じゅうりんの罪悪史であったが、「治安維持」の取締りにあたった特高警察は、いわゆる大逆事件の翌年、一九一一年に内務省がそれまで高等警察事務の一部であった危険思想取締りのため枢要地にとくに専任警部を配置することを勅令で決定し、大阪府に警察部長直属の高等課別室(翌年特高課に昇格)を、また警視庁の官房内の高等課を分課して社会運動の取締りだけを担当する「特別高等課」を設けたことに始まるものであり、一九一三年の警視庁官制の改正によって、特別高等警察・外事警察・労働争議調停の三部門を担当する課として明確な地位を獲得した(武野武治・赤枝清「特別高等警察史」、潮流、一九四六年四月号)。その後、日本共産党創立の翌年、一九二三年には主要九府県に特高課が創設され、つづいて一九二八年の三・一五事件のあと、残りの全府県に特高課が設けられ、また主な警察署に特高係が配置され、ここに全国的な特高組織網が確立し、思想警察を全国的に統轄する内務省警保局保安課は拡充強化された。府県の特高課長は警察部長とは別に直接に中央の保安課長と結びつき、府県特高課長の任免だけは内務省の保安課長(保安課長のみは勅任官)の人事に一任され、内務省の機密費も保安課長から直接に特高課長に工作費として送られていた(杉本守義「特高警察の組織と運用」、ジュリスト、一九五二・七・一五および八・一号)。(特高警察系統図)
警視庁特高課の人員は、三・一五事件のころは、特高係・労働係に内鮮係・検閲係を加えて七〇人くらいであったが、その年の八月の増員で一挙に三八〇名となり、一九三二年六月には「特別高等警察部」に昇格して機構を拡充し、従来の係は課に昇格して、特高課(二・二六事件のあと、左翼担当の特高一課と右翼担当の特高二課に分かれた)・労働課・検閲課・外事課・内鮮課・調停課の六課となった。人員のいちばん多い時には約六〇〇名であった。特高一課の主任警部は八名、特高二課は六名(はじめは二名)で、主任警部はそれぞれ五名の部下(警部補一名、巡査部長一名、巡査二名)を使って活動した。特高係官には「検挙取調」をする係官と「視察」する係官とがあり、要視察人一人ひとりについて指紋・写真・記事をカード化して絶えず整備しており、甲種要視察人(現に運動をやっている者)は本庁で、乙種要視察人(転向していた者)はそれぞれの住所の所轄署の特高係が視察した。そのほか、メーデーその他状況に応じて予備検束する要注意人をきめてあった。また、大阪府特高課ははじめ約五〇名、のち一五〇名に増員された(大阪府では一九四三年に警察部を警察局に昇格させ、その下に治安部を設けて特高課を包含した)。各府県も、それぞれ数十名の係員を擁し、また下部の各警察署は、大きい署で七〜八名、小さい署では二〜三名の特高係員をもち、各署の特高主任は警部補がこれにあたっていた(小林五郎「特高警察秘録」)。特高警察官は治維法の実施にあたる第一線の部隊として、豊富な機密費を使って、常時調査・視察・取締りを担当し、尾行・逮捕・拷問の技術を習練し、国民のあいだにスパイ網をはりめぐらし、治維法・治安警察法・行政執行法などによって苛酷な弾圧をおこない、共産主義者はもちろん、のちにはいっさいの民主主義運動をも徹底的に取り締まり労農運動内部の攪乱工作にまでのりだした。(注)岩田義道や小林多喜二をはじめ残虐な拷問によって殺害された者も多い。
(注)一例として、静岡県特別高等課編の「特高教範」(一九四三年六月)の中の「視察内偵入門」と題された章の一部を抜萃して紹介すれば左のとおりである(雑誌「みすず」、一九六一年四月号による)。
第五視察内偵の方法
一、機構及運用
(一)外勤情報警察機能発揮
(二)民間情報網の設定
(イ)各界に責任ある有力者を獲得すること
(三)特殊内偵線の設定
(イ)人または物に対し適格なる情報を入手するために設ける。特殊の工作と工夫を要する。
(四)尾行内偵
(五)張込内偵
(六)関係方面との連絡
(イ)憲兵隊 (ロ)鉄道、郵便局その他官署 (ハ)印刷所(謄写印刷所)常に連絡し、一部の余分を作ってもらう (ニ)書籍店(古本屋)各社書籍の売行状況 (ホ)各種団体等、なかんずく郵便局とはどうしても連絡が付かねば駄目である。
二、具体的方法
1 対象者の肩書や門構に恐れてはならない。(自分は陛下の特高警察官である)
2 対象人物の真意が何辺にあるかを引出すこと。(反って反対の主張をして見ることもよい)
3 視察眼を敏感、緻密にすること。(表面は見ざるが如く、或は特に注意せざる如き態度をとり、またとぼけることもよし)
4 人の前ですぐ手帳を出して記録せざること(関心あるが如く記録することも可なる場合あり、すなわち我に訴えるが如き場合)
5 大胆にして細心
6 左翼に対しては隠語または通称語を覚える
7 人情の機微を掴むこと
8 視察内偵は計画的継続的系統的になすこと
(一)右翼関係者(略)
(二)左翼関係者
彼等は物をいわぬ。従っていわしめて情報をとることは困難である。どうしても裏面内偵に重点が置かれねばならない。左翼人物は確信犯である関係で容易に転向するものではない。従って表面視察では駄目である。しかし、特に留意されたいことは、表面視察の状況を刻明に記録してもらいたい。何時誰が居たとか、何処で会ったとか、何処へ行っていたか等のことでよい。以下視察要領を掲げて見ると、(イ)熱意を持つこと、(ロ)内偵線を持つこと、(ハ)常時証拠品の蒐集に心掛けること、(ニ)証拠品及取調べに当りては、(1)証拠品第一主義で行くこと、(2)証拠品の湮滅を防止すること、(3)あせらぬこと、(4)証拠品は特高的に分析すること
日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動
発行 1965年10月30日
編著 法政大学大原社会問題研究所
発行所 労働旬報社
2000年2月22日公開開始
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