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政治的問題についての発言は慎んでほしい−。被爆体験を修学旅行生らに伝える長崎の“語り部”に、長崎市の外郭団体「長崎平和推進協会」がこんな要請をし、波紋を広げている。今の政治問題を排除して、どう核兵器廃絶、平和の大切さを訴えるのか。被爆六十一年の現地を訪ねた。 (竹内洋一)
「国民学校三年生の夏休みでした。爆心地から四・四キロ離れた防空壕(ごう)の前で遊んでいたら、突然、私の周りが真っ白になった。体の左側がめちゃくちゃ熱かった。一体、何が起きたのか分からないまま、とにかく防空壕に飛び込み、ほかの人を踏み越えて一番奥まで一目散に走った」
元小学校教諭の山川剛さん(69)は十一日、長崎原爆資料館で、福岡県嘉麻市から修学旅行に来た小学五、六年生計九人に、「一九四五年八月九日」を話し始めた。
爆心地のすぐ近くで被爆した女性についての紙芝居も交え、原爆の悲惨さを説いた。話は体験談だけにはとどまらなかった。
「長崎の原爆と二十一世紀に生きる自分がどう結びついているのか、考えてみてください。ただの昔話ではないんです。『戦争になると、最初の犠牲者は真実である』という言葉があります。これは今でもそうなんです。イラクに大量破壊兵器があるとアメリカは戦争をやったけど、今になって大量破壊兵器はなかったと言っています」
一時間を超える講話の間、子供たちは真剣な表情で山川さんを見つめ、話に聞き入った。
元小学校教諭の森口貢さん(69)は同日、福岡県築城町の小学六年生十五人が泊まる長崎市内のホテルを訪ねた。国民学校で使っていた教科書を示しながら戦時中の生活を語った。当時の防災ずきんも持参し、児童にかぶってもらった。
森口さんは講話の中で三枚の子供の写真を見せた。最初は日本軍の侵略で両親を失ったという中国の子供、次に長崎の原爆で家族を全員失ったという少年、三枚目は米軍が投下した劣化ウラン弾の放射線の影響でがんを発病したというイラクの少年。そして最後にこう問いかけた。
「この三人の中で誰が一番かわいそうかな。同じでしょ。戦争では一番弱い子供が犠牲になる。イラクは今の話です。六十年前の話がイラクで今も続いてしまっている。日本が将来、戦争する国になるのか、平和な国になるのかは、みなさんが大人になったら、自分で決めるんですよ」
“語り部”たちのこうした講話は、年間千件前後にもなり、多くの子供たちが彼らの体験談に触れる。この二人を含む被爆者三十八人が長崎平和推進協会の継承部会に所属、活動を続ける。波紋は同協会が彼らに示した一枚の「要請書」から広がった。タイトルは「より良い『被爆体験講話』を行うために」。今年一月二十日の同部会総会で配布された。
■改憲、靖国…『政治的問題』
文書は「国民の間で意見の分かれている政治的問題についての発言は慎んでいただきたい」として、▽先の戦争に係る天皇の戦争責任▽憲法(九条等)の改正▽イラクへの自衛隊派遣▽有事法制▽原子力発電▽歴史教育、靖国神社▽ 環境、人権など他領域の問題▽一般に不確定な内容の発言(例・劣化ウラン弾問題)−の八項目を列挙した。
これらの問題について質問があった場合も想定し、「国民全体で考えることなので、国会などで論議して欲しい。皆さんも学校や家庭でみんなと一緒に考えてみて下さい」という「回答例」まで示した。さらに「協会から派遣されていることを自覚」するよう被爆者に求めている。
この基準からすれば、先に挙げた二人の講話は「好ましくない」ということになるのだろうか。
■『思想縛らぬ』 でも撤回拒否
同協会事務局によると、被爆体験講話について昨年四−十二月に実施した学校へのアンケートなどで、「被爆体験を主にしてほしい。ほかの話をされると長崎まで来た意味がない」「教育の中立性を保ってほしい」などの苦情が少数ながら寄せられていた。
多以良光善事務局長は「協会は公益法人であり、中立性が求められる。こうした苦情も踏まえて事務局で作った内部資料のうち、一枚だけが一人歩きし、誤解されている。被爆者の思想・信条を制約する意図はない。協会の見解と誤解されなければ、被爆体験に加えて政治的問題に対する個人の考えを話していただいてもいい」と説明する。
さらに「文書の表現に配慮の足りなかった部分もある。この問題を何とか早く収束させたい」と話す。では、要請を撤回するのか。多以良氏は「継承部会や理事会で議論する問題だ。ここまで波紋が広がった以上は、事務局では判断できない」と言葉を濁す。
協会側の姿勢に納得しない被爆者や市民、教師らは市民団体「被爆体験の継承を考える市民の会」(代表・舟越耿一長崎大教授)を設立、三月十三日に発言自粛要請の撤回を求めた。協会は同二十七日に文書で回答したが撤回は拒否。市民の会は反発を強めている。
舟越氏は「協会の本音は反政府的な発言が気に入らないということだろう。撤回させるまで活動を続ける。そして、どうしたら六十一年前の被爆を後世にうまく伝えられるのか、みんなでオープンに議論できるようにしたい」と話す。
一方、最初の被爆地・広島市の外郭団体「広島平和文化センター」は「当方から被爆者に講話をお願いしている。話の内容に規制は特にない。証言される方にお任せしている」(啓発担当者)という。
広島市立大学広島平和研究所の浅井基文所長は「被爆者が原爆の悲劇を再び招きかねない問題に対して、いろいろな考えを持ち、語りの中に盛り込むのは、思想・言論の自由で当然だ。それが結果として特定政党の主張と一致したとしても、協会の中立的立場や公的性格とは何ら矛盾しない」と指摘、その上で長崎の現状を懸念する。
「不偏不党や中立性を名目に、公的性格を持った機関が被爆者の発言を抑え込むのは、長崎でなくても許されない。ましてや『ノーモア・ナガサキ』を根本政策にしている長崎では絶対に許されてはならない。長崎の自己否定になってしまう」
前出の“語り部”、山川さんは発言を自己規制するつもりはない。「被爆体験だけを話す人もいる。それを決して非難はしない。人それぞれでいいと思う。ただ、私は今と切り離して歴史を学んでも、物知りになるだけだと思う。被爆体験を語り継がなければならないのは、世界に核兵器がまだ三万個も存在し、現代でも長崎の再現が十分あり得るからです」
森口さんの思いも重なる。「原爆と今のつながりを話さなければ、単なる昔話で、平和講話にならない。それをやめろと言うのは、平和についてしゃべるなという意味に等しい。これくらい、いいだろうと我慢してしまったら、知らないうちに日本がもっと危険な方向に行きはしないか。だから、どうしても許すわけにはいかないんです」
長崎平和推進協会 1983年に任意団体として発足し、84年に財団法人になった。運営費の85%を市が出資し、2003年6月までは長崎市長が会長を務めた。被爆者の体験講話のほか、軍縮問題の専門家を招いた講演会や、原爆資料館などでガイドをする「平和案内人」の育成に取り組んでいる。
<デスクメモ>「被爆体験のない人に何が語れるのか」。被爆者からそう言われたら反論は難しい。だが、戦争の残酷さを次世代に継承することは、どの世代も負う課題だ。それには体験者が語る不条理を、自分が生きる時代の不条理と重ね合わせ、「自分の問題」と考えることだろう。体験者がいつまでもいるわけではない。 (鈴)
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