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諸君5月号の西岡治秀記事
http://www.bunshun.co.jp/mag/shokun/
を巡って
ペンネーム西岡治秀とは?
>「西岡治秀」でググっても、何も出てきません。「西岡秀治」でググると、何人か関係のない人の名前が出てきてしまいます。
> 西尾幹二 西
> 藤岡信勝 岡
> 八木秀次 秀
> 宮崎正治 治
だそうです。
http://www.e-towncom.jp/iasga/sv/eBBS_Main?uid=5428&aid=2&s=1280
西尾幹二氏以外の幹部がついに口を開きました。
「つくる会」――内紛の一部始終〉について 【遠藤浩一覚書】
http://blog.so-net.ne.jp/endoh-opinion/2006-04-01
当欄では、「つくる会」のことにあまり触れたくないのだが、やはり一言しておく必要があると判断した。
『諸君!』五月号に、「西岡治秀」なる人物が、つくる会「内紛」の“詳細”について書いてゐる。その見方はかなり一方に偏してゐるのだが、幹部でなければ知らないやうなディテールが書き込まれてゐて、よく取材してゐるなあと、ひとまづ感心した。ただ、不思議なことに、事前に僕のところには一度も取材はなかつた。そのためであらう、直接僕の発言等に言及した箇所はない。
ストーリーに偏向があるとはいへ、一つひとつの事実は、まあ、こんなものだらう、さう思つて読み進むうちに、喉に小骨が引つ掛かるやうな違和感といふか、不快感が身体の中を駆けめぐり始めた。文中、「A氏」といふ人物が登場するあたりである。
西岡氏が「A氏」と名付けた人物は、@つくる会の主要メンバーで、A二年前の会長選びで「藤岡氏よりも八木氏が会長になった方が世間に対する訴求力がある」と述べ、B西尾氏に「扶桑社の編集者が先生を批判していますよ」と「耳打ち」し、C昨年十月、八木氏に対して「つくる会のイメージは西尾、藤岡両氏のキャラクターもあり、あまり良くない。ついては、八木さんが先頭に立ってつくる会による独自の出版、PR活動をして、イメージ向上を図ったらどうか」と勧め、D西尾氏に対して「八木氏は、創設者である西尾、藤岡両氏を追い落とそうとしている」と告げたといふ。Dの教唆を得て西尾氏は、「これは八木氏によるクーデターであると認識し、藤岡氏とともに八木氏への攻撃を開始した」といふのが、西岡氏の見方のである。その通りだとすれば、「A氏」といふのはとんでもない人物である。
読んでゐるうちに、この「A氏」といふのはいつたい誰だらうと、気になり始めた。これが事実なら、「A氏」の教唆が西尾氏を踊らせ、会を混乱に陥れたといふことになる。「A氏」の罪は小さくない。誰だ、この「主要メンバー」といふのは?
しかし、途中でハタと気付いた。この「A氏」は、僕のことを指してゐるんぢやないか。果たして今朝、Eメール・ボックスを開けると、ある知人から「記事中にあるA氏はあなたのことではないか」との指摘を含む便りがあつた。
「主要メンバー」といふのも漠然とした書き方だが、仮に副会長以上の執行部メンバーだとすると、今年一月までのメンバーは八木会長以下、藤岡、福田、工藤、遠藤各副会長といふことになる。福田、工藤氏は昨年秋に副会長に就任したばかりだから、二年前の会長選で八木氏を推した「主要メンバー」といへば、僕だけである。
しかし、仮に「A氏」が僕だとすると、Aについては微妙なズレがあるし、B〜Dに関しては完全に事実無根である。「遠藤」と実名を挙げてくれれば、ただちに『諸君!』誌に反論を寄せ、訂正を求めることもできるのだが、仮名で書かれると、対応に困る。しかし、中には、「A氏とは遠藤ではないか」と思ふ読者も出てくるだらう。現にそのことを指摘する知人があつた。
仮名で書かれた発言について自分ではないと反論するのも馬鹿バカしい話で、「過剰反応だ」と嗤はれるのがオチだが、今回の一連の経緯を振り返ると、事実とは全く逆のことが喧伝される場面に出くはし当惑させらるといふことが度々あつた。やはり、少なくとも「自分ではない」といふことだけは、はつきりさせておきたい。
Bの西尾氏に「扶桑社の編集者が先生を批判していますよ」と「耳打ち」したのは僕ではない。扶桑社の事情に詳しい別の人物であらう。僕はむしろ、西尾氏の性格を忖度すると、氏にかういふ話が伝はらないはうがいいと思つてゐたし、そもそも扶桑社内部の事情を他者に吹聴するほど、同社の内情に通じてゐるわけではない。
Cにある、昨年十月、八木氏に対して「つくる会のイメージは西尾、藤岡両氏のキャラクターもあり、あまり良くない。ついては、八木さんが先頭に立ってつくる会による独自の出版、PR活動をして、イメージ向上を図ったらどうか」と勧めたのも、僕ではない。別の人物であらう。話は逆で、九月下旬だつたが、八木氏から「ある人から、独自の出版体制を構築することを提案されてゐる」と、こちらが聞かされてゐる。そのとき僕は「実現性の高い低いは別として、選択肢としては残しておくべきでせうね」と答へたと思ふ。
Dの、西尾氏に「八木氏は、創設者である西尾、藤岡両氏を追い落とそうとしている」と告げたのも、僕ではない。これも僕はまつたく逆の立場にあつた。僕は、一貫して「西尾・藤岡対八木」といふ構図になることに異を唱へ、抵抗してきたのである。
昨年暮れ、八木氏の変節を多くの理事が疑ひ始めたとき、ある会合で、西尾氏と藤岡氏に対して、「西尾・藤岡対八木といふ構図にしてはいけません。さうすれば左翼メディアのみならず、保守系のメディアだつて、老人が若い芽を摘んでゐると、批判にまはりますよ。八木さんの指導力には確かに問題はあるけれども、いま処理すべきは事務局長問題ただ一つです」と、かなり強い調子で主張し、西尾氏から「あなたはつくる会に愛情がないッ」と怒鳴られるいふことがあつた。この場面は同席した多くの方が目撃されてゐる。
二月の理事会でも、八木会長、藤岡副会長双方への解任動議の応酬に「動議を出すこと自体に反対」と発言したのは、僕一人であつた(双方の解任に棄権したのは福田、高森、遠藤の三名)。果たして、二月の理事会後の展開は、僕が危惧した通りになつた。
さらにいふならば、二年前の会長選びに際して、「八木氏擁立といふ選択肢もある」と、最初に提案したのは、確かに僕であつた。八重洲地下街の中華料理屋で西尾、八木、伊藤哲夫、そして僕の四人で会食した際に、「この際若い八木氏を会長にしたはうが世間に対する訴求力がある」といふ趣旨のことを言つた。しかしそれは、いろいろな人に会長就任を打診してそのたびに断られるといふ無様なことを続けるよりも、内部から若い八木さんを擁立したはうがいいのではないかと申し上げたのである。
西岡氏の記事は、一見事実のやうなことが羅列されてゐるが、それを紡ぐ過程で巧妙な捏造が織り込まれてゐる。「A氏」なる人物の「発言」も、おそらくその一つひとつは誰かが実際に言つたことだらう。しかし、一つの人格から出されたものではなささうである。少なくとも二年前に八木氏を会長に推した「A氏」なる人物と、昨年来西尾氏や八木氏にいろいろ耳打ちした「A氏」は同一人物ではない。
今回の騒動でも、さまざまな場面において、この手のアナウンスが行はれた。そして事態は悪いはうへ、悪いはうへと転がつていつた。ついに『諸君!』といふ一般メディアまで巻き込む事態になつてゐる。
もう手に負へないといふのが、率直な思ひである。
【既出】
西尾幹二のインターネット日録
産経新聞への私の対応
http://nishiokanji.com/blog/2006/03/post_305.html
寒波襲来の早春‐つれづれなるままに(一)
http://nishiokanji.com/blog/2006/03/post_299.html
つくる会顛末記
http://nishiokanji.com/blog/2006/03/post_298.html
【阿修羅直前スレッド】
「つくる会」の奇々怪々(続々々々々) 【Internet Zone::Movable TypeでBlog生活】
http://www.asyura2.com/0601/senkyo20/msg/733.html
投稿者 gataro 日時 2006 年 3 月 30 日 10:27:19:
(ここに、それ以前とのリンクあり)
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