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http://tizu.cocolog-nifty.com/heiwa/2006/03/198_200623___9254.html
卒業式のシーズンが来て、また日の丸君が代による処分が問題になっている。
今度は君が代斉唱に生徒が起立しなかったということで、教師が処分されたという。
毎年3月、4月にはこういう事件が相次いでおこる。
なんと憂鬱なことだろう。
私は声を出して「君が代」を歌うことができない。
いま、私が高校教師をしていたらどうなったか。
私の掲示板に「国歌」が歌えないのは日本人じゃない、そんな教師は日本を出て行けなどという落書きがあった。)
都教委の処分に「再発防止研修」というのがあるそうだ。
昔は、<精神練成>などと言った。
軍隊では<性根を叩き直す>といって殴ったり蹴ったりした。
いまは、何で教師の精神を矯正しようとするのだろう。
「吾輩は猫である」に、奥山の猿は鎖でつながれているが、教師は月給でつながれているという言葉があった。
「私の個人主義」には、昔は権力で人間の精神を支配したが、いまは金力で支配するという言葉がある。
漱石は権力と金力による人間支配を問題にした。
権力と金力は国家の名において人間を支配しようとする。
国家とは権力と金力が人間を支配し、従属させるための仕組みであり、イデオロギーなのではないか。
国家の名はいまの支配者に都合がいいように、個人の自由と権利を制限するためにつかわれるのである。
権力による人間支配に賛成するものはあるまい。
金力による人間支配も同様だ。
しかし、国家のためといえば、個人の自由の制限、さらには個人の幸福を犠牲にすることも容認される。
国家は個人の自由を拡大し、個人の幸福を増進するためのものであっていいはずだ。しかし、このような場合は国家主義とは言わないようだ。
日の丸君が代問題から進んで、いま、国会で教育基本法の改訂が問題になっている。現行憲法の精神にもとづき、基本的人権を軸にした今の基本法を、愛国心を重視したものに変えたいというのである。
愛国心を重視する教育とはどういう教育か。
いま、国を愛するとはどういうことか。
なぜ、いま、教育基本法は改訂されなければならないか。
それらのことを、具体的に、いまの状況で考えたい。
だれも自分の生まれた国を愛しているにちがいない。
WBCで日本の勝利を日本人の多くは自分のことのように喜んだと思う。
外国から日本に帰って来て、日本語が自由に通じ、自分の心が自然に通じると感じられるときの喜び、祖国に帰って来たと強く感じる。
私は尾崎秀実さんはだれよりも強く日本の未来を憂え、日本はいかにあるべきかを考えていたと思う。
しかし、彼は日本の国法によって死刑とされた。
治安維持法は国体の名において、平和と民主主義を求め日本の未来のためにたたかう多数の人民を検挙し、拷問し、投獄し、死にさえいたらしめた。
いま、君が代斉唱に反対する教員が教員として不適格として処分され、反日的と非難する声までが聞こえはじめている。
私が心配するのは、過去の日本、いまの日本(政府)を批判するものが反日として否定される傾向が強まることだ。
愛国心や国家主義の強調は、過去を美化し、いまの日本の政体を絶対化することになりやすい。
いまの日本はそのような傾向を急速に強めているのではないだろうか。
愛国主義の問題は日本だけの問題ではない。
それ以上に9・11以後のアメリカの問題だと思う。
アフガン戦争からイラク戦争へ、国民を戦争に動員するために、愛国主義があおりたてられた。
日本のナショナリズムもこのアメリカの動向と無関係ではないと思う。
日本だけが悪いのではないのだ。
日本は正しかったのだ。
次第にエスカレートする戦争肯定の勢いは、アメリカの戦争肯定の論理に励まされているのではないだろうか。
アメリカの対イラク開戦から3年たった。
犠牲もふえ、経済的負担も耐えがたくなって、アメリカはなんとか撤兵したいのだろうが、イラクの情勢はそれを許さない。
その上、撤兵すれば、ブッシュ政権、ネオコン勢力の存在理由はなくなる。
アメリカは進むに進めず、退くに退けず、まさに進退窮まって、うろうろしている。
この戦争は多くのことを教えてくれた。
いまはもう軍事力による世界制覇の時代ではなくなった。
国際紛争を解決する手段として軍事力に頼ることはできない。
いま、あらためて世界はそれを思い知らされた。
開戦3年というのは苦しいときだ。
日本の対中戦争はで言えば、1940年、昭和15年にあたる。
この前年、ドイツがポーランドに侵入して世界大戦がはじまり、その勢いはあたるべからざるものがあった。
日本は三国同盟を結び、やがて対米戦争の方向にふみ出す。
そして贅沢禁止令が出たり、劇場が閉鎖されたり、出版統制がおこなわれたりし、国民生活は日ごとに窮屈になっていった。
しかし、この1940年は神武天皇の即位を元年とする紀元二六〇〇年ということで、復古的な催しがさまざまに行われた。
元来はこの年東京でオリンピックが開催されることになっていたのだが、戦争のために中止されたのだ。
復古的な催しと近代的なオリンピックとが重なり合ったところにどんな風景が現出したかは興味あることだったが、戦争でそれを見ることができなかった。
このころから惟神の道(かむながらのみち)とかなんとかわけのわからぬ言葉が氾濫して、日本は途方もないところに進んでいったのだ。
新体制がいわれ、革新官僚といわれる連中がはびこり、政党は解散して大政翼賛会がはじめられる。
いま思えば、まさに興味つきない変化の時代であるが、当時の私は中学生で、ただ、夢中で生きていたばかりだ。
実は何年か前に、この激動の時代を生きる知識人の生活を作品化した「得能五郎の生活と意見」という伊藤整の作品について書いたことがある。
(「よみがえる『得能五郎の生活と意見』」 http://homepage2.nifty.com/tizu/tennousei/@tokunougorou.htm )
そのときも1940年という年の面白さを書いたつもりだったが、いまとなってはその時代把握は表面的だったと思われる。
イラク戦争が私たちの歴史認識を一段と深めてくれたのである。
また、永井荷風の「断腸亭日乗」にこのころのことがきわめて鋭く、また精細に書き記されている。
その抜粋を私のホームページに掲載したので参考にしていただければ幸いである。
http://homepage2.nifty.com/tizu/bassui/basu%20nagai%20a%20dantyou.htm
老人は現代に過去を見出し、過去に現代を見出して、どうしても回顧談になってしまう。
お許しねがいたい。
当時も、いろいろな世代の人々が入り交じっていたはずだが、若い私には何もわからず、それなのにすべてがわかったようなつもりになって天皇国家について論じ、戦争を論じ、世界を論じていたのだ。
世代論ということではただ一言、大政翼賛会をはじめた近衛文麿は当時49歳、東条英機は56歳、岸信介は44歳だった。
2・26事件を決行したのは20代の青年将校だったが、彼らは老年の英米派、自由主義派を殺戮し、しかし、彼ら自身は銃殺されて、軍の実権を握ったのは東条らであり、彼らが近衛をかついで戦争拡大の道を歩いたのだった。
いま私たちは歴史のどういう地点を歩いているのだろうか。
ときとして立ち止まり、可能な限り大きな視野で時代を展望してみることが必要なのではないだろうか。
私も風邪がながびき、ぼんやりとなすこともなく日を過ごした。
この頃、「出発はついに訪れず」「戦艦大和の最後」などについて考えることがあった。
彼らは、20歳代の初頭のときに生を終わっていてもすこしもおかしくなかった。長らえて、その死すべかりし日のことを記した。
これらの書がいま、あらためて新しい命をもって迫ってくる。
歴史ということ、青春ということ、人間のの生と死ということが、あらためていま、彼らからわずかに遅れて生き、その後の長い日々を生き長らえ、思いもかけぬ新しい激動の時代のはじまりの時代まで生きて、やがて、生涯のおわりをむかえようとする私に思い返される。
彼岸も過ぎて、いよいよ春は来た。
戸外に出歩くのもたのしい季節だ。
木蓮が大きな木いっぱいに咲いていた。よくもまああれだけの命がと思う。生命の氾濫を思わせる季節だ。
お元気でお過ごしください。
伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu
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