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(回答先: ありがとうございます 投稿者 Sun Shine 日時 2006 年 3 月 17 日 13:17:39)
ご指摘の通り、小生が敬愛しておる「現代の侍の木村愛二」先生のご先祖様は、Sun Shine様のご先祖の高杉晋作とは、正に敵であった、長州の下関の関門海峡を隔てた対岸の「小倉藩」小笠原藩の木村家老の子孫末裔であり、高杉晋作の奇兵隊が奇襲した「小倉攻め」に際しては、城下に火を放って山中に避難した幕臣小笠原家の大家老でありましたから、言わば、木村愛二氏とSun Shine様は、先祖同士が第二次長州征伐の時の官軍と幕府軍の名立たる「小倉合戦」の仇敵でありました。まあ150年前Rのご先祖様同士の恩讐は超えて、幕臣の旗本「稲葉藩」の稲葉家の家臣で「鳥羽伏見の戦い」に初陣の16歳で初めて出陣して、長州軍の刀傷を負ったご先祖様を持つ幕臣の末裔の小生が間を取り持ちますので、面会されてご先祖様同士の恩讐を超えて、現代の共通の敵の反シオニズム戦線で共闘を組まれてみてはいかがでしょうか?
ところで、高杉晋作はフリーメーソンであったか否かという、末裔にとっては最重要な問題について言えば、同じ「吉田松蔭の松下村塾門下生」とは言っても、久坂玄随・吉田利麿・桂小五郎と並ぶ松下村塾四天王の中心人物で塾生を束ねる立場にあった高杉晋作が、「西欧列強の手先のグラバーの犬」と成り下がった「長州忍者」の内でも最底辺に位置した「下忍」だった下賎の百姓の伊藤博文などとは、全く異なります。四国連合艦隊に下関砲台を攻撃・占領され、その講和交渉に急遽駆り出されて、彦島の租借の要求を突きつけられた際にも、アヘン戦争後の上海を見学した時の中国人達がホンコン等を奪われて植民地にされていた様子を自分の目で見て、それが高杉晋作の明治維新の草莽の決起の原点でもあったことから、断固としてその要求を蹴り、皇祖皇宗以来の日本の歴史をとうとうと並べたてて、煙に巻いて彦島租借を諦めさせたという、稀代の英傑であり、ロスチャイルドの極東代理店ジャーディン・マセソンの日本長崎出張所長のグラバーに金で買われて、卑しくもその手先としてキング提督の駆逐艦に乗せられて「孝明天皇」「睦仁天皇」の二人の天皇を暗殺したフリーメーソンなどとはわけが違います。吉田松蔭先生の薫陶も、伊藤博文程度の松下村塾の末席を汚す下賎のチンピラには行き届かず、後には、両天皇を暗殺後に、自分の力士隊という第二奇兵隊の部下の隊士だった「大室寅之祐」と「睦仁天皇」とを摩り替えて、明治維新の大義を裏切り、捻じ曲げ、「西洋追随型」の明治政府をでっち上げたという「大罪」は、吉田松蔭・高杉晋作・勝膿舟・西郷隆盛・坂本龍馬らの志した「明治維新」をフリーメーソンに売り渡した歴史上の最大の汚点となって、日本の近代史を歪めて裏切ったのでありました。ただ、「功山寺の決起」後に長州藩の俗論党を駆逐して、藩論を「倒幕」にまとめた直後に、勝海舟ー西郷隆盛の呼びかけに応えて慶応元年二月中旬から三月初旬に長崎の上野彦馬の写真館に「倒幕派」の結成の為に「オランダ系米国人で派遣されてきた宣教師英語
教師フルベッキを囲んだ記念写真の直後には、高杉晋作もグラバーに直接海外渡航の斡旋を依頼したのだが、薩長軍に最新式武器装備を手配していて、第二回長州征伐で幕府軍との内戦による日本の戦火による征服と植民地化を準備していたグラバーに、その薩長軍の中心的担い手として期待されていた高杉は、海外渡航の希望はかなえられなかったのであり、手下の部下の伊藤博文や井上馨のようなフリーメーソンになる「機会」も与えられなかった。
「オランダ系米国人で派遣されてきた宣教師英語教師フルベッキを囲んだ記念写真
http://www.asyura2.com/0406/idletalk10/msg/503.html
ちなみに、この写真は後の明治の元勲達や薩長土肥の「開国倒幕派」の結成の記念写真だが、その仕掛け人は、勝海舟であって、世に誤解されるかも知れないように、決してフリーメーソン「グラバー」ではない。この集合写真の真中のフルベッキの斜め前には、後に明治天皇に擁立しようとしていた「玉(ぎょく)」の「大室寅之祐」少年(「睦仁天皇」と摩り替えて明治天皇としてでっち上げた)写っている。
しかしながら、この記念撮影の中心人物だった、師弟関係になっていた、勝海舟と西郷隆盛の両雄の「江戸城無血開城」で、フリーメーソン「グラバー」が企図していた、江戸の火の海の内戦の危機は回避された結果、「日本植民地化」と「グラバーが日本の内戦用に用意して買い占めていた米国の南北戦争終了後に不要となったスペンサー銃やゲベール銃らの武器が不要となり売れなくなった結果、買い占めていたフリーメーソンの武器商人グラバーは破産に追い込まれた」という歴史があった。「フリーメーソン」は利用しつつも、結局「勝海舟と西郷隆盛という両英雄の愛国者」の仕掛けにマンマと嵌って、グラバーは破産させられ、日本の植民地化も失敗したという訳だ。日本には、偉大な英雄が国家危機の時には、このように出現する。近世には「徳川家康と天海大僧正こと明智光秀」。近代には「勝海舟と西郷隆盛や吉田松蔭と高杉晋作らの明治維新の英傑」らである。これから迎える、今回の第三の国家・民族危機にも、またもよ、こうした英傑が出現するyぷ期待したい。
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