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キリストにおいては何故、ユダでなければならなかったのか? 『ユダ書』解読進む。(その2)
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投稿者 新世紀人 日時 2006 年 4 月 19 日 13:30:48: uj2zhYZWUUp16
 

これは、4月8日の投稿の続編と考えて頂いて良い。

今回は「キリストの最後の計画」について三島事件との共通性も絡めつつ探ってみようと試みるのである。

いきなり問題の中心に突入して論じてゆく。時間の無駄を私は嫌うからだ。

◎「キリストが死ぬつもりであったのならば、ユダを巻き込む必要が果たしてあったのか?」と私は疑問に思うのである。

キリストが死を願い、その事により、自らを「献げ物」とし、人々の贖いを望んだのであれば、
1.自ら一人でローマ当局に出頭すれば済む事である。(そこで「私がお尋ね者のイエスです」と言えば済む事だ。)
2.又は、生活困窮者を誘い込み、彼または彼女に自らをローマ当局に密告させればよいのだ。そうすれば、生活困窮者は賞金を得て生活が助かるのだ。

ところが、これらの自然な方法を採用することなく、ユダを誘い込んで密告させたと言う事であれば、そこにはそうしなければならない理由が存在した筈なのだ。
「最大に信用の置ける、信頼できるユダ」でなければ務まらない計画が潜んでいたと考えるべきではないのか?
ユダであればこそ秘密を守り得て、任務をまっとう出来る程の難しい計画が潜んでいたのではないかと考えるのだ。
高弟を密告者に仕立て上げる事は、例え二人がグノーシス的思想を持っていたにしても余りにも不自然ではないか。
ユダは三島を介錯した弟子とは与えられた意味が違うのだ。世間からユダは裏切り者と考えられ、三島の弟子は忠臣と考ええられるからだ。

そうするとやはり、
「キリストの処刑」という虚構を創出する事が行われたのではないのか?
キリストは潜伏・亡命し、ユダも実は潜伏・亡命をしたのではないのか?
ユダヤの地は地続きであるから、何処へでも容易に逃亡できるのだ。

マタイ福音書では、ユダの自殺が書かれている。それによれば、(賞金の)銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだとされている。
では、ユダ福音書に書かれている「ユダの言い分」は何時の時点?でユダから語られたものなのか?
銀貨を返してからかなりの間生きていて、その間に言い分を語ったのか?
それにしてもユダ福音書の中ではユダの言い分がはっきりと述べられていて、それに従う信者達もいたのであろうから、そこから考えると「ユダの自殺」も怪しくなってくる。
新約では、「ユダの自殺」について詳しく書かれているわけではない。
むしろマタイ自身が真実を知っていて、虚構の「ユダの自殺」を書いた可能性もあるのだ。マタイ福音書では「ユダの自殺の目撃者」が語られているわけではないのだから、証人は居ない事になる。
であれば、マタイは虚構作成へのかなりの協力者と言う事になる。

では、キリストが虚構を必要とした理由は何であったのかと問えばそれは、
キリストが自らを、人々にメシアとして認めさせてその事により、
来るユダヤ国家の滅亡とローマの解体から産み出されるところの
人々の生活の混乱と無秩序と絶望から
希望と秩序が回復されることを願う為のものであったろうと推測するのである。
キリストは、始めからこの様な計画を持ってはいなかったであろう。
しかし、当時のユダヤ社会はキリストを受け入れず、一方で政治状況は破滅へと進んでいった。
キリスト自身の身も危ういものとなっていた。
其処において、ただ身柄を拘束されて処刑されるに至れば、
「彼の目指した目標」は達成されなくなってしまう。
そこで、
元々の「彼が目指した正統的で基本的な宗教改革」は止むを得ず諦めて放棄し、
「大衆向けの分かり易い便宜上の教義」を創り上げ、
それがローマ地中海世界に広がる事により人々が救済される事を計画したのではなかろうか。
そのせいであろうか、キリスト教の教義は、
大衆向けの分かり易い深みのないものになってしまっている。
しかし、本来のキリストの姿は学識深く修行を積み重ねた人物の姿であったに違いなく、彼の体系的な思想展開が語られた書物が出されても不思議はなかった筈である。
しかし、当時の状況はそれを許さなかった。
「キリストの再臨」とは、
来るべき「世界の平和的安定的秩序の回復」と解してよいだろう。
彼は、人類歴史への透徹した予見能力を備えていたと考えてよいだろう。それは修行によって得たものであった筈である。
彼はその様に予見出来たからこそ、大衆救済の便宜的教義を編み出して弟子達にそれを伝える使命を与えたのであろう。
であれば、キリスト教の教義の骨格はキリスト処刑の時点で既に整えられていた事になるのではないのか。

ちなみに、戦前に共産党が治安維持法により弾圧を受け、非合法化されたあと、共産党の支持者達は「日本国内のどこかに必ず党中央が秘密に活動をしていて存続している筈だ」と考えて希望を持ち続けていたと書かれたものを読んだ事がある。
この事に似たこととして私が考えるのは、使徒たちが熱心に布教に走る事が出来たのは、「復活」実は「生存」への確信がごく一部の使徒達の心の中に存在したせいではないだろうかと言う事だ。

[キリストが湖面を歩いた事]について

4月15日の東京新聞に興味深い記事が載っていた。
フロリダ州立大学のノフ教授が、
地学的分析から割り出して、キリストの時代のガリラヤ湖の表面が氷結した可能性が有ることを突き止め、
「キリストは氷結した湖面を歩いたのではないか」との趣旨を含む論文を提出したところ、キリスト教原理主義者達からの嫌がらせのメールが多数送られてきたとのことであった。
真面目な研究に対して心無い反発の発生だが、この問題については、
もっと簡単な解明も可能であると思う。
先ずは、キリスト以外にも弟子達も湖面を歩いたと書かれていないことを考慮しなければならない。
氷結していたのならば、弟子達もキリストと共に歩いたであろうからである。
であれば、「キリスト一人の行い」が書かれていると考えて良い。
キリストは、
「川渡りの術」を習得していてそれを披露したものと思われる。
これは、恐らく「木場」で披露される「一本丸太乗りの技」に近いものであったろう。
つまり、一本の短い丸太または板を両足で漕ぐように操って、推進力を得て舵きりも行い、水面を渡り、流れに乗りまたは遡るものであったと考えられる。
その様な昔の術が木場に形を変えて伝えられているのであろう。
昔は修行僧や高僧や伝道者には旅行が伝道や修行の為の絶対に必要とされ、従ってその為の技も必要とされたのである。
橋や渡し船の無いところでも泳いで体を濡らすことなく川を越える術も彼らは体得していたと思われる。
この技は両足を使って、丸太と言う「道具」を使ってではあるが水面を移動するのであるから「歩く」と表現してもそんなに遠い表現ではないと考えられる。

このようにキリストは修行を積み重ねた指導力を備えた人物であったであろうから、医術や薬物調合術や読心術も備えており、病人を癒したり、瀕死の重病人に息を吹き込む事もできたであろう事は不思議ではないのだ。
キリストの人物像を探ってゆけば新約の不思議な記述とされる事の多くは解明できるであろう。

ちなみに、三島由紀夫事件はキリストの処刑によく似た事件であると考える。
三島のこの行いに、「グノーシス的思想」を見出す。
「死して生きる」と言うものである。
彼の目指したものは、勿論のことであるが「人々の贖罪」ではない。
目指したものは、「死して生きる事」即ち、
「国を護る魂となってあの世から国を護る事を目指したもの」であったろう。
これは武士道の生き方の完遂を目指したものと考えられる。
彼は最後は「武士として死ぬ事」を選んだものと考える。
預言者としての死を目指したものではないだろう。
三島はキリストの様に政治状況から追い詰められていた。
彼は、当時の政治状況と自らの資質、能力を考え合わせて、
「自らの肉体を滅ぼし、護国の魂となって国を護ろう」としたのであろう。
グノーシス思想に重なるものである。
森田必勝と盾の会員達をユダや他の使徒達と重ね合わせて見る事も出来る。
http://www.st.rim.or.jp/~success/mishima_ye.html
http://www.kokubou.com/document_room/rance/rekishi/seiji/mishima_geki.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%B9

参考↓
http://library666.seesaa.net/article/16249333.html
http://library666.seesaa.net/article/15177110.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%86%E3%81%AE%E3%83%A6%E3%83%80
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%82%A2
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hd/a6fhd821.html

[あとがき]キリスト像について語るには、本当は旧約の特に創世記の記述に絡む重大な問題が関係してくるので、今回はこれについて言及できなかったが多忙な中に機会を見つけることが出来れば言及したい。

キリストの思いも三島の思いも「生きている」との実感である。

 
 2 81 +−(『90』)

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