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(回答先: 『日本共産党』筆坂秀世/著(新潮社)2006年4月 投稿者 木村愛二 日時 2006 年 4 月 10 日 23:33:43)
心情として自己の正当性を主張するのは当然のことと思います。同じ立場に立たされると小生も筆坂氏と同様の行動をとるかもしれません。小生の知るところでは、日本共産党除籍後に筆坂氏が発表したものは、先の週刊新潮(だったように思う)に発表した一文、それに今回のもの、まだこの二作だったはずです。問題はこの次からでしょう。
はじめはニュース性もそこそこあって、除籍・離党の経緯やその瑕疵について取り上げてくれる出版社もあるでしょうが、そんなことでは彼の実力は試されません。逆説的な物言いになりますが、今までの二作は、彼の39年に及ぶ党活動があったればこそ、発表されたとも言えるからです。日本共産党という「呪縛」を離れた、「本物の自分」をどう発揮するか、彼の実力が試されるのはそこからです。これからはそうした方向での活躍を期待します。
いろいろの経過で離党、除籍、除名になった先輩文筆家は多数います。なかには単に「反日共」としてしか利用価値の無かった人もたくさんいます。筆坂氏にはそうした仲間にはなってもらいたくないと思っていますが、はたしてどうでしょうか。
小生は党を離れた後、文筆家となった人の中では、戦後予防拘禁所から徳田球一や志賀義男とともに出獄した山辺健太郎(http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/dglb/yamabek.html)という方が一番好きです。この人は確か日本共産党の中央委員・統制委員をかつて務めていたと記憶します。みすず書房の「現代史資料・社会主義運動」七巻、青木文庫の「日本にかんするテーゼ集」、岩波新書の「日韓併合小史」「日本統治下の朝鮮」「社会主義運動半生記」などの著作があります。
山辺健太郎氏のことを、マルクス経済学者の守屋典郎氏がこうふりかえっています。長文ですので抜粋します。
私が山辺健太郎君(1905〜1977)と最初に知り合ったのは1945年12月、日本共産党の第4回大会があり、そのとき私が再入党してからである。
…戦後の党活動で山辺健太郎氏と関わった事柄を述べている個所は省略…
しかし、一言すべきことは、彼は、党を出たのちでも、真面目なマルキシストとして、ことに朝鮮や明治初年の歴史についての実証的な研究は、余人にはできない業績をあげている。みすず書房の『現代史資料』の「社会主義運動」七巻の編集は、彼にして初めてできたことであった。彼は、この編集にあたって、客観的な態度を堅持しながら、党の運動に対立する態度は避ける注意を保っていた。たとえば、彼は、袴田里見の予審調書は知っていたが、この『資料』には載せなかった。それは、党を裏切る前の袴田の調書の運動にたいする悪い影響を考えたからである。
彼の人にたいする批判は鋭かったが、いいと思ったものにたいしては、私心なくこれを賞めた。たとえぱ、私のことにかんして恐縮だが、私の『日本マルクス主義理論の形成と発展』(青木書店、一九六七年)のなかで、福本和夫氏の理論を論評した部分について次のごとく書いているのを見出したときは、ほのぼのと彼の人柄に感心した。
「福本和夫がコミンテルンの批判をうけてからというものは、いわゆる労農派や『社会思想』による日労党系の人たちは二七年テーゼが福本主義だけを批判したように、つまり我田引水的にその内容を紹介していることはおもしろい。たとえば『社会思想』は『福本主義を清算せよ!』という題をつけて二七年テーゼを紹介している。しかし、福本主義の功罪ともに認めた批判は、さいきんになって守屋典郎の『日本マルクス主義理論の形成と発展』がはじめである。その意味でこの守屋の本はじっにりっぱなもので、当時の運動のなかで果した福本主義の意義とその影響についてはぜひ同書を参照ねがいたい。私はここで守屋の本に書いてない事実だけをすこし紹介したまでであるし(『現代史資料』(20)、「社会主義運動」(七)、みすず書房、一九六八年、解説、]]Yページ)。
山辺君が右の文章を書いたのちも、かなり長いあいだ私はこのことを知らなかった。私が知ったのは、この本の再版(一九七三年)を買ったのちである。
山辺君が党活動から離れ、その後奇狂な生活をつづけていたことは、多くの人が知るとおりである。しかし、彼にたいする好意と尊敬は党の内外をつうじて多くの人がもっていた。私は、彼のことを、「君は足袋職徒弟から飛び出したマニュファクチュア革命家だね」と言ったことがあったが、彼は、笑ってこれを受けいれた。その誠実な精神と労をおしまぬ手仕事的熱中は、彼のようなキャリアーをもったものからでなければ、もう現われぬであろう。彼が将棋や登山などで専門家的になっていたのも、同じ性格をもっている。
ただ、彼の本気違いだけは、多くの親しい友人たちも警戒していた。私は幸い、スコット・ニァリング『ドル外交』という本一冊だけですんだが、それだけの被害なら、まあ諦めるだけでいい。それより、彼の『現代史資料』その他の著作によって受けている恩のほうがはるかに大きいからである。(一九八○年)
以上、白石書店刊「日本資本主義分析の巨匠たち」の「第7章 ある社会主義者との交友」から抜粋。
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