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天皇は基本的にA級戦犯合祀には反対だった?
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投稿者 木村愛二 日時 2006 年 4 月 10 日 16:39:52: CjMHiEP28ibKM
 

下の方に、昭和天皇の激怒説があるが。

天皇は基本的にA級戦犯合祀には反対だった?

http://deadletter.hmc5.com/blog/archives/2005_01.html
January 31, 2005
「不敬」であるのは誰か?
[ Thinking ]

昭和天皇が靖国への参拝をしなくなった理由を知っているだろうか。ちなみに僕が知っていたのは、A級戦犯が合祀された事がきっかけだということだけだ。

僕のそのことについての理解は、天皇による、国内、諸外国に政治問題を引き起こすことを怖れての、自主規制、或いは宮内庁など周囲の人間が進言を行った上での自粛なのではないか、ということだった。ところがどうもそうではなく、天皇自身がA級戦犯合祀に反発した為に参拝が中止された、という話らしい。

ちなみに「昭和天皇独白録」なるものをさらっと読んでみたのだけれども、意外にも「天皇は単なる神輿ではなかった」というのが僕の印象だ。少なくとも天皇が戦時指導者たちの主張にただ振り回されていただけの人物、というようには思えなかった。彼は時に戦時指導者、後にA級戦犯とされる人たちに対して、国の行く末を誤らせたと厳しい批判を行っている(もちろん彼らの暴走を止められなかったことについても、全ての責任は自分にあるとして終戦直後はそれを免れるつもりもなかったようだ)。彼はある意味でナショナリストだったのだ。

従って天皇は基本的にA級戦犯合祀には反対だった、というわけだ。では合祀を強力に後押ししたのは誰なのか。歴史学者の秦郁彦は「厚生省引揚援護局」の旧軍人グループと、靖国神社宮司松平永芳の役割が大きかった、と主張している。

「引揚援護局」は形式上は厚生省の一部局であったのだけれども、局長のみがキャリアで(しかも腰掛け的存在)、実質面を旧軍人グループ、しかも東京裁判史観否定派のイデオロギーを代弁する勢力に牛耳られているような部署であったそうだ。彼らは1959年のBC級戦犯の合祀がすんなりと通ってしまったことに味を占め、A級戦犯も、と意気込んだのだ。

一応ここで靖国への合祀までの事務的な流れを簡単に説明しておく。(1)厚生省(引揚援護局)が、保管されている戦没者カードと靖国神社による「合祀基準」と照合・選別して所定の「祭神名票」に書きこみを行い、(2)それを靖国神社へ送付する。(3)神社側は「霊璽簿」にそれを写し、さらに「索引簿」を作成した上で遺族に通知する。(4)年2回の例大祭の前夜に合祀の儀式を行う…という流れだ。

注目すべきなのはこの中の「合祀基準」だ。これは、戦前では陸軍が、戦後は靖国神社が審査し、天皇に裁可を貰い決定に至る、という形を取っていた。要するにA級戦犯合祀を行うには天皇の了解を取り付けなければならなかったということだ。

1966年引揚援護局はA級戦犯の「祭神票」を靖国神社に送り付けた。しかしこの当時の宮司、筑波藤麿は、天皇家や宮内庁内の空気を知っていたが為にそれに配慮し合祀を差し止めた。事態が急変したのは、その筑波宮司が急逝し、後任の宮司に東京裁判否定派の松平永芳が就いてからだった。1978年松平は宮司預かりとなっていたA級戦犯合祀を行うことを決意し、合祀者名簿を天皇のもとへ持って行く。それを受け取った徳川侍従次長は、天皇の意向に基づき相当の憂慮を表明したが、松平はそれを無視し、独断で合祀を強行してしまう。結果、昭和天皇はこれに反発し、以降靖国参拝は取り止めとなってしまい、今に至るというわけだ。

この秦の主張が正しければ、天皇が靖国参拝を行わないのは、国内、諸外国の情勢に配慮した結果ではなく、ナショナリストであるが故、愚かな戦時指導者たちの罪と自らの責任の自覚故の自主的な決断であり、東京裁判史観批判派はそれを無視した「不敬」の徒、ということになる。天皇は靖国に参拝「出来ない」のではない。東京裁判史観批判派に反発して「しない」だけなのだ。

ちなみに現在、A級戦犯のような単なる「氏子」」を擁護し、神道における「最高祭司」たる天皇の決断を批判する、「不敬」の輩は確実に増加しつつある。小泉純一郎は参拝しないことを「死者にムチ打つ行為であり、日本人には馴染まない」として間接的批判を、石原慎太郎に至っては「天皇は参拝すべき」と直接的批判を行っている。「日本=天皇」という保守派の図式からすればなぜ、こういう人たちが「保守派」を名乗れるのか、名乗ることを許されているのか、僕には想像もつかないのだけれども。

(追記1)
ちなみに。平和主義で知られるクエーカー教徒でもあったエリザベス・バイニング女史の薫陶を受けて育った今上天皇に、靖国参拝を期待するのはさらに望み薄だと個人的には思うので、あの「米長邦雄」のように恥をかきたくなければ、保守派はこの問題については口をつぐんでいた方が利口なのではないか。まあ余計なお世話かもしれないが。

(追記2)
岡崎久彦「靖国参拝 「大戦」切り離しては?」について補足(「gachapinfanのスクラップブック」でもコメントさせて頂いたことだけど)。岡崎は「三木総理が私的参拝と言った結果、天皇参拝の公私の別が議論の対象となって、行けなくなってしまったのである。」と述べ、昭和天皇がA級戦犯合祀がきっかけで参拝を取り止めた、という説を「俗論」としている。結論から言えば、岡崎説こそ俗論のそしりを免れない、ということになる。

昭和天皇が三木の「私的参拝」の年以降参拝していないのは事実だ。が、昭和天皇が毎年参拝していたのなら「それ以降行かなくなった年に何があったのか」は問題になるだろうが、天皇の参拝は元々「数年毎」だった。従って「それ以降行かなくなった年」の話をいくら列挙しようが、殆んど意味は無い。というかそもそも、三木の「私的参拝」が議論がされていたその数ヵ月後の秋の例大祭に、天皇は堂々と参拝してるんだが、それは無視ですか、そうですか。(4.20)

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