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靖国と天皇制(日々通信 いまを生きる)【オリンピックだ、ライブドアだ、の騒ぎの陰で日本は大きな曲がり角を危険な方へ】
http://www.asyura2.com/0601/senkyo19/msg/765.html
投稿者 gataro 日時 2006 年 2 月 18 日 11:16:49: KbIx4LOvH6Ccw
 

第194号 2006年2月18日 靖国と天皇制
>>日々通信 いまを生きる 第194号 2006年2月18日<<
http://tizu.cocolog-nifty.com/heiwa/2006/02/194_200618__6437.html から転載。


靖国と天皇制

戦場の兵士たちは天皇陛下万歳といって死んで行ったのだから、靖国は天皇が参拝されるのが一番だと麻生外相が言った。
これは、最大の戦争責任は天皇にあるという意味だろうか。

戦争裁判では、天皇は起訴をまぬがれた。
天皇が訴追されなかったのは、戦後の日本の支配に天皇を利用することが必要と考えられたからであろう。
靖国史観はこのような勝者による政治的裁判の正当性を否定する。
そこで当然天皇の戦争責任が問われなければならないが、靖国史観はこの戦争そのものを正当化して、天皇の責任も問わないのである。
天皇は民族の自衛のためにたたかった崇高な戦争に敗れた悲劇の人ということになる。
それなら、当然、勝者によってで裁かれなければならない。そうして、はじめて本当にあの戦争に全責任を負う天皇としての職責を果たしたことになる。
あの裁判を否定する人たちは天皇が裁かれなかったことをも不当と思っているのだろうか。

しかしまた、天皇は平和主義で戦争に反対だったが、東条以下におしきられた不幸な人だという考えもある。

この場合、天皇の意に反して戦争に突入した東条以下は、天皇を利用して、日本に破滅をもたらした逆賊ということになる。
天皇を平和のシンボルとしてほめたたえるのはこの見地に立っているのであろう。
それなら、天皇は東条以下を民族の英雄として祀る靖国に参拝することはできない。
現に、天皇が靖国に参拝しないのはこのような見地にたつのであろう。

2月15日の産経新聞は、安倍官房長官、麻生外相がそろって「国内法では、A級戦犯は犯罪人ではない」との見解を示したと伝えている。
http://www.sankei.co.jp/news/060215/morning/15pol002.htm

産経は次のように記している。

<岡田氏が「日本国として、東京裁判を受諾している以上、そのことに拘束されるのは当然だ」と主張すると、安倍氏は、ため息をついて「岡田先生は何かまるでGHQ(連合国軍総司令部)側に立っておっしゃっているように聞こえる」と答弁していた。>

東京裁判は勝者の裁判である以上、日本人としていうべきことはあるだろう。しかし、敗者として日本はそれを受諾したのであり、戦後の日本はこの事実から出発しなければならない。それが日本人の立場なのだ。

批評家や歴史家はそれをさまざまに論ずることができるだろう。しかし、一国の官房長官であり、外務大臣である者は、この事実から出発しなければならない。

日本がポツダム宣言を受諾し、東京裁判の結果を受けいれたという事実の上に戦後の国際機構はつくりあげられた。これを否定するとすればそこに重大な問題が発生することは避けられない。それだけの覚悟があって、安倍官房長官閣下は発言しておられるのだろうか。小泉総理大臣閣下は靖国に参拝しておられるのだろうか。

日本はまだ日本の戦争を侵略戦争戦争として否定する国連を中心とする戦後体制を否定してはいない。日本はその軍事力強化をさえ、国連への協力という名目にしている。

国政に責任ある身が職責を忘れて国家間の約束やとりきめを無視し、主観的な心情を吐露する発言をくりかえすところに日本のわけのわかぬ危うさがある。

勝者による戦争裁判を否定するとして、それなら、日本人はあの戦争をどう総括するのか。中国やアジアに対して日本人としてどう向き合うのか。靖国参拝について他国があれこれいうべきでないという小泉首相の主張が日本人の多くに受けいれられているとは驚くべきことだ。相手の立場に立って考えることのできないゆがんだ自尊心ばかりが目立つ。そこには論理もなければ節操もない。

麻生外相の天皇の靖国参拝論は日本の戦争責任の問題の根源にあるものを照らし出すことになった。その発言の意味は明瞭でないが、純粋に天皇の戦争責任を問うているのであるらしい。東条以下を合祀した靖国神社ではなくて、天皇も参拝できる機関を創設すべきだといっているようでもある。その真意は天皇が天皇のために死んだ兵士たちを慰霊すべきだというのであるらしい。

天皇が戦争の犠牲者を慰霊するというとき、戦争の犠牲者にはどのような人々が含まれるのか。それは天皇陛下万歳といって死んだ兵士に限るものではないだろう。サイパンや沖縄の犠牲者たち、原爆の犠牲者、空襲の犠牲者をも含むのであろう。さらには、アジア諸国の犠牲者、米軍の犠牲者をも含まなければならない。また、治安維持法の犠牲者や天皇を恨んで死んだ兵士、軍隊内の暴力で殺された兵士たちをも含むはずである。

日本国天皇は大日本帝国天皇の責任を自覚していないだろうか。それほど明確ではなく漠然とではあるが、多分それを自覚していると思う。沖縄に行き、サイパンに行き、広島に行って戦争の犠牲者の慰霊をしたいというところにそれはあらわれている。中国に行けば多分謝罪の意を表するだろうと思う。この責任を明確にすべきだと私は思う。責任を問うことは処罰とか処刑とかいうことを意味するのではない。法律的な問題ではなくて、倫理的に責任を自覚することが重要だと思うのだ。

倫理的な問題といえば、中国や韓国が求めているのも第一に歴史的認識の問題であり、日本が責任を自覚することを求めているのだと思う。村山談話を援用して小泉首相も責任を認め、謝罪もした。何回あやまれば気が済むのか、いい加減にしてくれという声も聞える。しかし、その謝罪にどれほどの真実があったのか。それはまさに心の問題であり倫理の問題なのだと思う。口の先でいかにうまいことを言っても心がなければ反感を買うばかりだ。心があれば行動に表れる。中国が行動で示してほしいとくりかえすのはそのためだ。一方で謝罪の言葉を述べ、友好を誓いながら、一方で靖国参拝をして、なぜ、それに反対するのかわからないという。未来志向で行こうと言って、過去の侵略の事実は忘れようという。そんなインチキが通用するはずはない。

安倍官房長官閣下はGHQ(連合国軍総司令部)の立場と日本の立場を対立させて、自分は日本の立場に立つかのような言い方をするが、その日本の立場とはどういうものか。日本の戦争を肯定するのが日本の立場なのか。アメリカの占領政策に問題があったのはたしかだ。しかし、それを言うなら、その問題点を明示し、アメリカ批判を行い、日本の立場なるものを明確に示さなければならないのではないか。なんとなく気分のようなもので動かされているのがいまの日本のように思われてならない。

このあいまいさは、万世一系の天皇、それも男系の男子の天皇の主張にまでおよんでいる。天皇制についてどれだけの認識があるのか。いま、日本に復古を実現しようとするのか。戦前を美化し、戦前に回帰しようとするつもりなのか。

オリンピックだ、ライブドアだと騒いでいるうちに、日本は大きな歴史の曲がり角を、とんでもない方向に急速に進んでいるように思われる。

今日、神奈川県庁内の記者クラブで記者会見をおこなって「在日米軍基地再編・強化に反対する神奈川大学人」の <県民のみなさんへの訴え>を発表した。全文を掲示板に掲載した。

暖かかったり寒かったりで気候が不順だ。しかし、こうして春が来るのだろう。皆さんからだに気をつけて、新しい春のためにご尽力ください。

 伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu

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