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特集WORLD:この国はどこへ行こうとしているのか−−青木茂さん
◇ドン・キホーテよ、もう一度−−元サラリーマン新党代表・青木茂さん、永田町を離れても
◇ここであきらめるか怒るのか、今が境目だと思うんです。目を覚ませ
東京都世田谷区の住宅街。小田急線の駅から延びる狭い通りを、どこかで見かけた和服姿の老紳士が歩いている。「僕は洋服が嫌いでね。ボタンをかけるのが面倒なんですよ。着物なら帯を締めるだけで済むでしょ」
とはいえ、自宅を訪ねたこの日は背広をお召しになっていた。「だって、写真を撮られるんなら正装をしないと。家内にしかられちゃう。あ、ネクタイはかんべん。普段、家じゃあパジャマでうろうろしているんです」
青木茂さん(83)。元祖・新党として一世を風靡(ふうび)したサラリーマン新党(83〜92年)の元代表である。永田町を去ってはや14年。果たして、小泉純一郎首相が引っ張るこの国に、何を思っているのか。
●投げやり
「いや、思うも何も、僕はこの世の中に疲れ果ててしまっているんですよ。人間って怒り過ぎたり、あきれ過ぎたりすると疲れちゃう。80歳を過ぎるとね、人生の終えん。だから、この国の行く末なんてもういいやって」
そんな、いきなり投げやりな。何に怒り過ぎたので?
「何って、多過ぎて。まずは小泉さんね。自衛隊のイラク派遣だけじゃない。官から民へってのはいいんだけど、国の命運を左右する改革の旗印が郵政民営化って、ばかばかしいと思いませんか。官僚の天下り先を増やすだけですよ。なのに雪崩のような勢いで自民党が勝ったでしょう。小泉チルドレンなんて奇妙な人まで国会に出て来てね」
昨年9月の衆院選。国民は「改革」を唱える小泉首相に喝さいし、自民党に単独過半数の296議席を与えた。「菅君(直人・元民主党代表)だって、あんなきわどい選挙をするなんて。僕は夢にも思いませんでした」。そう、一方の民主党は惨敗だった。
「まあ、政策の良しあしは別として、カリスマ性というか、小泉さんの持つ『強さ』へのあこがれみたいなものがあったんだね。まるで昭和初期。あのころ、『ヒトラーでもレーニンでも誰でもいい。この窮状をどうにかしてくれ』って、月刊誌で読んだ記憶がありますよ」
英雄待望論。二つの時代に共通するのは混とんとした社会にあって、お上任せの風潮か。だが、野党は国民に針路を指し示せなかった。「で、郵政だけで小泉さんが勝っちゃった。僕だけじゃない。みんな、この国に対して投げやりになっていませんか?」
●不公平税制
「給料日の怒りを国会へ」「あなたの1票が、軽いサラリーを重くする」−−。こう訴えて、青木さんが大学教授のポストを捨てて参院議員に初当選したのは83年。新党は当時の比例代表で200万票を獲得した。だが、党の結成までには十数年の「準備期間」があったという。
「60年代の終わりに、僕は国立大の教授会で奨学金の委員会の委員長をやっていた。奨学金といったら貧乏で優秀な若者でしょう。貧乏って、客観的に判断するのは所得税額です。ところが調べてみたら、豪邸に住み、高級車を乗り回している医師や中小企業の社長の所得税の負担が少ないこと。実際には、低所得のサラリーマンの方が金持ち扱いされて高い所得税を払わされていたんです」
日本は高度成長期に入り、住宅難と物価高にあえいでいた時代。「それで不公平税制はおかしい。サラリーマンの必要経費を認めろ、住宅減税をせよって論文を書いたら、『学者は偉そうに言うだけでけしからん』と」。青木さんの考えに賛同し、立候補を勧める有権者の投書が月に3000通も届いたそうだ。「諸君、サラリーマン新党の結成準備にかかれ」と書いた雑誌も登場した。
「押し切られたわけです。大阪の化粧品会社のサラリーマンがやって来て『選挙を手伝う。会社を辞める』って。本当に辞めちゃいました。準備期間といっても資金集めです。比例名簿10人分の供託金4000万円」。カンパが多く寄せられるほど、有権者は国への怒りに満ちていた。
●濁濁あわせ
新党は、86年の参院選でも1議席を獲得。「今思えば、僕はドン・キホーテでした。『昔・陸軍、今・大蔵(現財務省)』と言われた巨大勢力に槍(やり)一本で立ち向かったんだね。国会の『辞書』に無党派層としての『サラリーマン』という言葉を刷り込んだ自負はありますよ。ある時、石原慎太郎さんが議員会館の部屋にぶらりと来て『都市新党を作りませんか』と。いいですねって答えて、ハハ、それっきりです」
だが、サラリーマン新党は92年に姿を消す。「だって、また4000万円も集めるなんて無理ですよ。家族が路頭に迷っちゃう」。青木さんは江田五月(民主党参院議員)、菅の両氏に請われて社民連から立候補したものの、落選。引退した。
「政界をのぞいた立場で言わせてもらえれば、あそこは清濁じゃなく濁濁あわせのむ所です。今も、変わらない。本当は平凡な小泉さんを周りが大きく仕立て上げている。虚像だね。ポスト小泉争いの人だって、結局は小泉さんに媚(こ)びを売ってね。中曽根(康弘)さんまでだったかなあ、総理らしい総理は。政策の良しあしは別としてね」
●2・26事件
ところで青木さん、お酒は? 「全然だめ。瓶ビール3分の1で真っ赤になっちゃう」。じゃあ、たばこは? 「……さっきから、死ぬほど我慢してるんです」。実は私も吸いますが−−。
「おい灰皿、灰皿」。青木さん、妻淑子さんに声をかけたが、「ここ(応接間)はやめて。空気が汚れます」と止められた。「年を取ると権力は男から女に移るんだな」。普段は書斎で1日20本。実は青木さん、煙をくゆらしながら、約1年をかけて「2・26事件」を舞台にした小説を書き上げたばかりである。
「あの青年将校たちが目指した昭和維新は、基本的には資本主義とマルクス主義の精神を合わせたものでしたよ。大企業の資本金に上限を設け、大土地所有も制限する。そして疲弊する農村を救おうと。共産主義ってのはプロレタリア独裁と私有財産の禁止って点を除けば立派だと思います。資本主義も、もうけのためなら何をやってもいいという思想に歯止めをかけるべきでしょう。当時も今も日本は道徳喪失ですよ」
あの事件を機に、陸軍では皇道派が粛清され、軍の実権は東条英機首相ら統制派に移った。そして戦争が始まり、青木さんも学徒動員で旧満州(現中国東北部)へ。「日中戦争は、完全な植民地支配でしたね。僕はたまたま命を拾いました。けど、死んでいった人は皆、犠牲者ですよ。第一の責任者が東条。彼を靖国神社にまつっちゃいけないんです。まつるなら東条神社を作ればいい。だから小泉さんは靖国に首相として行くべきではないんです」
●不安、不安、不安
右翼ではない。だが、愛国者である。「どうせ僕はそう長く生きない」と言いながら、日本の行く末が気になる。そして怒っている。「お陰でぼけない。うれしいことです」と話す淑子さんを無視するように、青木さんは続けた。
「小泉さんは国民を愛していないよね。国民を愛するって、価値観の問題なんです。この国は『国体』が逆なんですね。順序がひっくり返っているんですよ」。民主主義の基本は、国民−企業−政府の順序だという。「ところが、小泉さんの政治は、まず政府にとって良いことから始まり、企業に良いことのおこぼれだけが国民に回ってくる」
景気が上向いてきたとはいえ、サラリーマンの定率減税は廃止され、消費税増税論議にも拍車がかかる。「これだけ膨らんだ国の借金って、小手先の改革じゃどうにもなりませんよ。小さなインフレを意図的に起こして調整しようなんて無理なんです。待っているのは強引な増税しかないですよ」
なのに国民に怒りがない。「萎縮(いしゅく)しちゃってるんです。生活への不安、老後の不安、憲法改正の不安……。不満があっても、けんか相手が分からない。野党がだらしがないからね。ほら、もうすぐ『風物詩』が始まるでしょう? 予算消化の道路の掘り起こし。あれも慣れちゃって、誰も文句を言わない。仕方ないやと思ってね。自分の国なんですよ。ここであきらめるか怒るのか、今が日本の境目だと思うんです。若者よ、早く目を覚ませ」
青木さん、深くため息をついた。やっぱり、怒り過ぎて疲れ果てたのか。「もう一度、ドン・キホーテが現れないとだめなのかなあ」【根本太一】
■人物略歴
◇あおき・しげる
1922年、愛知県豊橋市生まれ。東京帝大商科卒。愛知教育大教授、大妻女子大教授を経て、83年から参院議員1期。「サラリーマンは永遠に不滅です」(ビジネス社)、「勝者に論理あり敗者に美学あり」(中央経済社)など著書多数。
毎日新聞 2006年2月10日 東京夕刊
http://www.mainichi-msn.co.jp/tokusyu/wide/
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