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温故知新 −ビル・トッテン−
2006/02/09の紙面より
http://www.nnn.co.jp/rondan/tisin/060209.html から転載。
先月からライブドアの一連の騒動が連日紙面をにぎわしている。小泉首相、竹中大臣などが日本にも本格的なM&A(企業の合併・買収)時代が訪れたとして持ち上げ、出馬を要請した時代のヒーローは、こうして同じメンバーから奈落の底に落とされたといえる。
歴史もう一度精査
ネットとメディアと金融のコングロマリット(巨大複合企業)を目指すといって、外資の資金を利用して一方的に外資が得をするような取引でニッポン放送株を取得し、また有人宇宙飛行の実現を目指すと豪語した堀江氏だったが、それを支えたライブドアの時価総額自体がいかさまだった。
江戸や昭和の時代を賞賛するとたちまち反論が寄せられるが、私は盲目的にすべての過去を賛美しているわけではない。見直すべきことも数多くあるし、今のほうが優れていることもある。しかし、今、われわれがすべきことは、良いことも悪いことも含めて過去の歴史、特に近代日本のあり方をもう一度精査することだ。
三十三歳の堀江氏のとった行動は彼自身のアイデアではなく、投資家と呼ばれる人や平成の経済システムがもたらしたものであり、昭和の時代に日本をけん引した経営者であればライブドアを経団連へ入会させたり、ましてや選挙に担ぎ出して応援するというようなことはなかったはずだ。
私が日本で起業した昭和四十年代、企業の役割とは国民の幸福につながる製品やサービス、雇用を提供することであった。そして社会の公的費用を賄うための税金は、全国民が同じように負担するのではなく、支払い能力や社会から得る経済的利点に応じた税額を支払う仕組みだった。そして米国では当然の行為とされた「暴利をむさぼる」ことは、昭和の時代においては卑しむべきこととされていたのである。
富にゴールはない
平成時代になり、これらはすべて打ち破らなければいけない日本の悪い慣習だとされ、資本家は自らを富ませる個人的な道具として政府を利用し、政治家はその資本家や権力者を利用する一方で国民の大半を犠牲にする意思決定を行ってきた。資本を投資することで利潤を生み出した堀江氏、そしてそれを利用するために選挙に担ぎ出した自民党、これらは平成日本を象徴している。
資本家が資本からの利益を最大限にするために奮闘してきたのは今に始まったことではないが、経済全体が資本家に支配されるようになったのは石油という安くて豊富なエネルギーが使われるようになった百五十年ほど前からである。多額の投資をして作られた生産設備は、人間の手よりずっと安価に大量の製品を生産した。これによって機械がスキルを持つ労働者に取って代わり、経済は資本家の貪欲(どんよく)を満たす道具に成り代わった。
その資本家が求める富や権力には決してゴールがないというのは、堀江氏の行動や言論を振り返っても分かるだろう。その欲求を満たすためにも、人々に必要以上のモノを買わせるために宣伝広告を行うPR産業やメディアがますます重要になっているのである。
「基本条件」の変化
しかし世界や社会はそこで生存する人々、すべての生き物のものである。われわれがすることはすべて、自分が死んだ後にも他の人やこれから生まれてくる人に影響を及ぼす。安い豊富な石油を使ってわれわれはあまりにも自己中心的に生産、消費、そして廃棄してきた。そして子供や孫の分まで資源を使い生態系を破壊してしまった。ライブドアやその他の不正や経済ニュースに隠れて、まだイラクで戦争が起きていること、またイランへの制裁が行われれば原油価格は一バレル=百ドルにも高騰するだろうという報道は日本の人々にはほとんど伝わってはいないが、これらは大きな構図においてすべてつながっている。なぜなら石油高騰は大資本による大量生産、大量消費、大量廃棄の終えんを意味するからだ。
広告収入で経営がなりたっているテレビや大新聞が報道しなくとも、自民党が上手にPR会社を利用してアピールしても、さまざまなことが明るみに出てきたことで徐々にではあるが多くの人が気付き始めている。エネルギー資源という現代の基本条件が変わるのであれば、歴史を正しくとらえ過去に学ぶことは退行ではない。ライブドアが行き過ぎた資本主義の形である拝金主義の行き着く先を象徴しているのであれば、おのずと日本が取るべき方向は見えてくるだろう。(アシスト代表取締役)
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