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[希望のトポス]「小泉擬装改革」の対極にある日本の「優秀企業の条件」(総集編)
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投稿者 鷹眼乃見物 日時 2006 年 2 月 10 日 23:24:46: YqqS.BdzuYk56
 

[希望のトポス]「小泉擬装改革」の対極にある日本の「優秀企業の条件」(総集編)

[序論]

§ この記事は同じ表題の4回シリーズとして別板でUP済みですが、若干の加除訂正がありましたので、ここに『総集編』として纏め直したものを再掲します。ここから見えてくるのは、「ホリエモン事件」に代表されるような「悪質な擬装」(詐欺政治?))を度重ねることで善良な日本国民を深刻な自信喪失状態に陥れた「小泉擬装劇場」の罪の重さです。

§ 近未来の国家ビジョンが一切語られぬままの、およそ5年に及ぶ小泉政権下における日本人の自殺者数は述べ約15万人に達しており、その1/3(約5万人)が企業倒産・リストラなどによる個人的な経済破綻によるものだとされています。イラク戦争の民間人死者数が約3万人であること(http://www.iraqbodycount.org/editorial_aug0703.php?PHPSESSID=50e11c603202098c6684118434244107&submit3=Enter+Site)に比べると、この「小泉擬装劇場」の罪の重さが一層リアルになります。

§ ところで、日本の「優秀企業の条件」を分析してみると「小泉擬装劇場」の“処方の誤り”がクローズアップされてきます。我われはアメリカ流のコーポレート・ガバナンスなる“カルト的な呪文”に誑かされることなく、「日本の企業経営のあるべき姿と日本人の健全な働き方を実現するためのヒント」が我われ自身の経済活動の実績の積み重ね(歴史)の中にあることを再発見すべきであることが分かります。

§ なお、この分析作業へのインセンティブを与えてくれた“無用の人”様(スイス在住のビジネスマン)のレポート記事投稿(to 「toxandoriaの日記」、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/)へ、心から感謝の言葉を述べさせていただきます。ありがとうございました。

[本論]

§ 市場競争で「企業と日本社会の健全化」が実現できることを前提とする「小泉構造改革」が現在の景気回復をもたらしたという言説が破綻しつつあります。なぜならば、小泉内閣(小泉・武部・竹中自民党)が「小泉改革成功の象徴」として高く持ち上げた「ホリエモン」の破綻の闇(不健全な企業活動の余波)が果てしなく広がる一方となっており、更に国会審議でも深刻な「格差」の存在がクローズアップされるようになったからです。例えば、日本の全世帯の約1/4近くが「無貯蓄世帯」となってしまっており、「昨年12月の月間有効求人倍率が13年ぶりに1.0に回復した」という嬉しいニュースも、よく内容を確かめると、それは「正社員数が減り、パートが増加した結果として12月の求人倍率が1.0になった」ということであったからです。つまり、正社員が0.6倍で、常用的パートタイム労働者が1.41倍」という数字になっており、求人が増えているのは非正規雇用なのです。そして、13年前の1992年に比べると求人に占めるパートの割合は16.3%から31.8%に高まっているのです(詳しくは、下記の記事★を参照)。
★小泉首相の開き直り「格差論」/外道の喧嘩場と化した国会、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060202

§ このため、一部の報道によると、勝ち負けの「二元論」に楔を打ち込んで「改革の影の部分」が論点になりそうな風潮を変えたいという思惑から、小泉首相と猪口少子化相が「負け組み」を「待ち組み」というコトバに置き換えて流行らせることを着想したそうです。相変わらず姑息な手段で善良な国民を誑かすつもりのようです。そもそも、「小泉構造改革」が現在の景気回復をもたらしたという言説が誤謬のドグマであった可能性が大きいのです。少し過去に遡って確かめて見ると、2003年5月に「りそな銀行」へ公的資金が投入されてから株価が上昇傾向へ転じ始めていたことが分かります。この経緯から経済小説の巨匠・高杉 良氏は、竹中プランの無効性を指摘しています。皮肉なことにも竹中プランを180ー転換した途端に銀行株が買い戻され、そこから株式市場が上昇へ転じたということは、実は竹中プランが景気回復には無効であった(そもそも竹中プランが市場から信頼されていなかった)ことの証明になっている可能性があるのです(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060109)。

§ このような「小泉擬装改革」の誤謬のドグマの可能性に加えて、市場原理主義の時代に相応しい人事管理として導入が奨励された「成果主義」の問題があります。これとともに日本企業の特徴とされた年功序列賃金と終身雇用制を廃止する企業が増えたことは周知のとおりです。ミクロな視点で考えれば「成果主義」は個人へ強いモチベーションを与えて「やる気」を引き出す方法として、たしかに合理的な側面があります。ところが、一方では過剰な「市場競争の原理」が予期せぬ弊害を発生しているのです。その「市場原理の弊害」の実体は、「株の時価総額」の前提が「経営者によるエンドレスの賃金抑制意志」というモラルハザードをもたらしたということです。「株の時価総額」への傾斜経営が、実に様々な弊害をもたらすことは、目下、ライブドア事件(ホリエモン騒動)が証明しつつあります。また、この「経営者の賃金抑制意志」に基づく過酷なリストラの断行が、市場からの株価上昇の要求に応えるという「悪循環型の株価上昇パターン」が定着しています。

§ 一般に「成果主義の評価」は絶対評価ではなく相対評価で行われています。それは、喩えれば大学入試の難易度を表わすために使われる偏差値のようなものです。このため、自分がいくら目標達成のために努力しても、他に達成度の高い社員がいるとマイナス評価になる訳です。ここで注目すべきは、評価の基準が目標の「高さ」ではなく目標の「達成度」であるという点です。ここに「成果主義評価」の巧妙なトリックがあり、これを仕掛ける意図は「経営者によるエンドレスの賃金抑制意志」がもたらしているのです。そして、この「経営者の賃金抑制意志」を後押しするものが「市場の要求」、つまり「株の時価総額」なのです。しかも、近年はほぼ一定枠の賃金総額の下で「成果主義」の評価が行われる傾向があります。このため必ず一定割合の社員層が低い評価を受けることになります。かくして、一企業内で「勝ち組」と「負け組」の「格差」が生まれるのです。他方、過酷な仕事を成し遂げた経営者は株主傾斜型の経営に徹することで時価総額の高騰に連動して評価が上がり高収入が約束されることになります。この結果、経営者層のみならず、ごく一部の「勝ち組」を除く社員層の間でも深刻なモラルハザードが広がり始めています。ここに見られるのは、まさにライブドア事件のコピー版であり、「ホリエモン現象」の日本全体への拡散です。

§ ごく新しい事例をみることにします。5.46%の株式を取得して筆頭株主となった村上世彰氏が率いる「投資ファンド(村上ファンド)」がデパート「松坂屋」に対し、経営陣と従業員による事業買収(MBO/マネジメント・バイアウト)を提案していることが2月2日明らかになったと報道されました(2/3共同通信、http://www.gamenews.ne.jp/archives/2006/02/8235mbo.html)。この共同通信の報道(ただ、この記事は、急遽、一両日中に消去されてしまったようです)によると、この「投資ファンド(村上ファンド)」は「松坂屋」がこのMBOに応じられぬなら全従業員を解雇するよう迫っているそうで、その真の狙いは「銀座・松坂屋」が立地する土地など優良資産の有効・高度活用をアピールして「株の時価総額」を煽ることにあるようです。ここで見られるのはホリエモンに劣らぬハイエナ活動であり、まさに日本の株式市場のバクチ場化現象です。

§ ここでは優良企業としての「デパート・高島屋」の経済文化価値、従業員とその家族の立場などへの配慮、伝統企業の地域社会との繋がりなどの付加価値は悉く無視されています。そこで高く評価されるのは「小泉=竹中ハゲタカ組」が崇める「カネ」の力、言い換えれば「株の時価総額」の大きさだけです。しかし、ひたすら株の「時価総額」を上げることだけに傾く経済活動は健全な資本主義の姿ではないと思われます。このようにして、日本の経済システムと株式市場のバクチ場化が進む一方で、同じく一般企業の「時価総額経営化」(株主重視型経営への転向)の進展とともに吐き出された(リストラされた)多くの失業者たち、増加する一方の非正規雇用者(パート、派遣、アルバイト)たち、就職できない多くのニート層の若者たちなど、いわゆる「陰の部分」がますます拡大しつつあるのです。この現状に照らすと、「小泉=竹中ハゲタカ組」が信奉する「トリクル理論」(詳しくは、下記の記事★を参照)も破綻していることが分かります。いくらなんでも、これからの日本人は、「負け組み」や乞食化した貧困層が「勝ち組」(富裕層)から「おこぼれの施し」(trickling-down raindrops)を受けるか、あるいはネットトレーダーにでもなって一発逆転に起死回生を賭けながらギャンブラーのように生きるべきだというつもりではないでしょう。
★「神憑る小泉劇場」と「ホリエモン」が煽ったトリクルダウン幻想
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060122

§ 最近、スイス在住のビジネスマン“無用の人”様からスイスの労働環境に関するコメントを頂きました。それは、同じグローバリズムと新自由主義思想の洗礼を受けながら日本とは異なる「経営と働き方の姿」(契約概念に徹した労使関係、十分に柔軟な労働市場、個々の徹底したリスク管理意識など)を垣間見ることができる貴重なレポートです。日本とは根本的に異なるセーフティネット条件、伝統的なキリスト教社会に根付いた自由主義のあり方などがあるので、一概に日本の現状と比較することはできません。しかし、このレポートの中で“無用の人”様がご指摘のとおり、我が国の場合は“日本人としての長所を十分に活かす形”で「仕事と生活の形」を変えてゆくことが肝要だと思われます。これこそが、「日本の改革のあるべき姿」だと思います。このため、先ず、以下に「“無用の人”様のレポート」を転載します。次いで、経済産業省・情報経済課の新原 浩朗課長(経済学博士)の「日本の優秀企業三十社」を対象とした「優秀企業の条件についての研究」(http://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/niihara/01.html)を参照しつつ、現時点における「日本の優秀企業三十社」の特徴を抽出し、私見もまじえながら、これからの労働環境のあり方などについて展望を取り纏めてみます。

・・・・・・・・・・

「“無用の人”様のレポート」

本稿の目的、

スイスにおける、仕事をめぐる、environment(法規、慣行、トレンド等)、 日本とは異なる社会の労使関係を描写し、それを通じて、市場経済のガ−バナンスを、それなりの想像で透視できるようレポートを作成すること

ただ、ここ10年ほど、新自由主義にもとずく「グロバリゼーション」,「株主の利益優先の考え」が「多少」それを変えたことを付加します、それについては、最小限の言及にとどめ、別稿に譲ります

レポート作成者は、スイスの金融機関のIT,EDP部門に2社、都合、17年在籍、金融機関以外を含めると、20年以上の海外職歴、今は、グローバルプレーヤーではない銀行のEDP部門で糊口をしのいでます、

本論、

1)基本的な労使のスタンス、

自由な個人と、法人との、「契約書一枚の関係」です、その関係が、30年、40年続くときもあれば、3ヶ月の試用期間に、契約解除されうる、景気が悪くなれば、「人員整理」を含む再建策がとられる、

それがだから、普段、雇用者も無理なことは言わない、被雇用者が週40から42.5時間の労働をすれば充分、(説明不可の)「残業の多さ」は、中間管理職、または従業員の「質」の悪さと推測されること多し、

時間が過ぎれば、ゲームオバー、誰にも命令されない、「聖域のプライベート時間」の開始である

仕事仲間と「つるん」で、飲み歩いているような姿は皆無

会社の仕事は、人生の、「一部分, しかしとても大切な一部分」に過ぎない、この考えが基底にあるとおもう 

2)柔軟な労働市場

自分が仕事を始めた会社が、30年も40年も利益を出し続けることができない、時に、傾くこともある、それを前提に「仕事社会」が成り立っていると思う、若人に、普通は、中卒後に「仕事」の教育をうける (将来アカデミックな仕事をしたい子には「普通科」がある、ただし少数)

Aparenticeshipの名の下に(日本では徒弟制度などと訳されているが「カビの生えた」訳、しいて言えば、職業教育制度)で職業人としての教育を体系的に受ける、「銀行屋」を一例にあげる、

中卒者は、どこかの「銀行」と契約を結び、週に二三回、学校で一般教養、簿記をまなび、週に二三回その銀行で、実務を学ぶ、三年後、州の試験に受かると、一人前の銀行員として通る、この三年間、小ずかい銭以上の給料が出る、親の負担は交通費ぐらいか?

その後、興味、仕事におおじて、語学を勉強したり、簿記を勉強したり、商業専門の大学に行ったりして、給料を、キャリアを上げていく、なるべく労働市場の要請に見合う、勉強をする、芸ではなく、「労働市場の価値」が身を助ける そして、A社からB社に移っても、年金当で不利になることはない、ただしこれができるのも45歳ぐらいまで、それ以降は、かなりな専門性、管理者としての経験がないと難しい、履歴書がきれいに見えるような、転職、そして時折、国家試験の資格取得をすると、良い職にありつける

柔軟な、労働時間、たとえば、短大や専門学校のようなものに行きたいとする、自分の仕事量を、60%とか80%に減らす、一時、給料は減るけど、その「元」は数年後必ず取れる、

ボーナス、年休は、労働量におおじて、六掛け、八掛けになるだけ、

会社によって異なるけど、たいていは、リフレッシュ休暇を取得可能、前にいた会社では最高六ヶ月の無給休暇を五年以上(?)の在籍の条件で、権利として認められていた、

つまり、「会社」、「仕事べったりにさせないような」システムがある、あまりよりかかれすぎても困る、仕事のしすぎで病気などされたら、医療コストが上がるという深慮遠謀あるのかもしれない(笑)

3)個人主義利己主義、自己防衛の思想 

世の中が、自分のそれぞれの利益を主張することで成り立つ、そしてその利益が競合するとこは、話し合いで決めるというルールがある、自分の権利は徹底してまもる、マネージメントは、「自由な経営権」をより自由に行使しようとし、被雇用者には、労働法、保険法、各種を援用して、自分を守る、損のないようにする、ただし、双方その「権利」の裏側には、「義務」という言葉が書かれてある

自分の「利益」を「意見を」「丁寧なことば」で言い表す訓練ができている、

だから、あまり我慢しすぎて、刃傷沙汰になるということも(ほとんど)ない

ついでに言うと、会議等で、興奮しながら話すなぞ、「完全な」マイナス評価、仕事熱心なぞと取られること皆無、

「有休」全部とるのは当たり前、欠員が一人出れば仕事が遅れる、病気になったら「自分の判断」で出勤、欠勤を判断する、健康管理は「自分自身の判断」の領域、三日以内の病気は、医師の診断書なしで病欠扱いとなる、有休とは別立て、

先日、トナーを床にこぼしてしまった、たまたま仲のいい掃除の人たちがきたので、クリーナーをかけてくれるように頼んだら、、ここの床は、水曜と金曜だけクリーニングします、今日はしません、微笑をもって答えられる、「気配り」、「おもいやり」「ただで仕事をする人」なぞないのです、

ここで、着目していただきたいのは、カロウシもなければ、有休未消化もない、ただし、仕事仲間と「つるん」で、飲み歩いているような姿もない

こういう環境で「利益」を出しているのである

結語

みな、「ひょっとしたら自分に不利になるかもしれない不安定な自由」と 「仕事の責任」とのはざまで仕事しを、そして日々の暮らしを営んでいる、ようにおもわれる

だから、夏なぞ、早めに仕事を始めて(六時半)、仕事が終わったら(職場によっては、三時半、四時)、川に泳ぎに、テニスに、「夕方文化」を楽しむ姿は、それなりの「自由社会」を満喫している姿を映す

ですから、これらの「仕事の形」「文化の背景」のバックグラウンドを捨象した,一部海外勉強組の「向こうではこうやってる、日本は甘い」式の説法に必ずしも同調できないものがあります、日本人(社会)の長所をいかすかたちで、みずから「仕事の形」「生活の形」を変える事が肝要だと思います、「学卒者」が家族をほっぽりだして夜の8時まで仕事をしている姿は、「自由社会」にそぐはない

夜8時のオフィスは、掃除の人たちと、IT屋の世界です

長くなりました、どうもありがとうございます、

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§ 経済産業省・情報経済課の新原 浩朗課長(経済学博士)の「日本の優秀企業三十社」を対象とした「優秀企業の条件についての研究」(http://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/niihara/01.html)という論文があります。その詳細は、原文で読んでいただくとして、この中から「日本の優秀企業三十社」の特徴を抽出して、多少私見も加えながら要点を纏めてみます。 [研究の前提になる問題意識] 1990年代以降のアメリカ型経営の導入で、昨秋以降において漸く日本企業の回復傾向(日本景気の回復傾向)が見られるようである(*注)が、本当に日本企業の経営力が強化されたのかという点については疑問が残る。それはさておき、一定の特徴的な要素を切り口として「日本の優秀企業三十社」を選び、これらの企業に共通する特徴を抽出した。

(*注)既述のとおり、現在の景気回復傾向が「小泉構造改革」の成果であるという点については疑義がある。

(アメりカ型経営の特徴)

§ アメリカ型経営で前提となるのは「株主重視」ということ。つまり株主から調達した資金(直接金融による調達資金)を使って最大限の収益を上げることが主な目的となる。従って、「売上」や「経常利益」よりも「ROE(株主資本利益率)」や「EVA(経済付加価値)」に代表される経営効率の追求が重視される。このため、「成果主義」の人事管理と「リストラ」(不採算部門の撤収と不要人員の削減)が徹底して実施される。要するにアメリカ型経営のコーポレート・ガバナンスでは「株主」が最大の統治権を持つ最上位に立つ。このため「株価の時価総額」が重要視される一方で、各企業の構成員(社員など)は末端に位置することになる。これらの要素を具体的に整理すると下記のようになる。

§ また、その他のアメリカ型経営の特徴には「執行役員(Chief Executive Officer)」と「カンパニー制」がある。「執行役員(CEO)」は、取締役の決定に基づいて業務の執行に専念する役割であり、役員という名がつくが取締役・監査役などとは異なる。日本にある従来の役職名で言えば支配人(取締役と部長職の中間)に相当する。「カンパニー制」は、社内分社制の仕組みであり、各事業部門をあたかも独立した会社のように分け(擬制資本を設定し)て、事業を運営する仕組みである。ヒト、モノ、カネの経営資源を各「カンパニー」に配分して「独立採算」意識を徹底するとともに「権限」を大幅に委譲する。

(経営分析で使った指標)

「ROE(株主資本利益率)」(Return on Equity/資本効率を見る指標)
・・・税引後利益を株主資本(自己資本)で割った数字。株主資本がどれだけ効率的に使われているか(資本効率)を見ることができる。ただ、株主資本が異常に小さい場合も、この数字は高くなる。従って、REOは自己(株主)資本比率(総資本(=自己資本+他人資本(負債))に対する自己資本の割合)など財務体質の安全性を測る指標と合わせて見る必要がある。

「総資本経常利益率」(収益性を見る指標)
・・・総資本に対する経常利益率の占める割合。 この比率は、どれくらいの元手で如何に効率よく利益を稼ぐことができたかという投資効率を判断する基準となる。

「自己資本比率」(株主資本比率/安全性を見る指標)・・・自己資本を総資本で割った数字。自己資本は返済の義務がないため、この数値が高いほど安全性が高くなる。

「経常利益額の推移」(企業の成長性を見る指標)「EVA(経済付加価値)」(Economic Value Added/資本コストを加味して収益性をより厳しく見る指標)
・・・この概念に最も近いのは、いわゆる付加価値(粗利益)である。しかし、EVAは[粗利益-(支払利息+配当)]で定義されることから、予め資本コスト(支払利息+配当)を差し引いた付加価値を意味する。

「日本の優秀企業三十社」は、主にこれらの要素に着目しながら過去15年間の経営的な数字を追跡し、詳細な分析を加えて抽出したものである。また、最終的にリストアップした企業三十社については経営トップ及び様々な関係者へのヒアリングが実施されている。

(日本の優秀企業に共通する八つの特徴)

(注)各項目の下に、■で具体例を示した。

(1)特筆すべきは、これら優秀企業のトップが押し並べて「説明能力が非常に高い」ことであり、その裏付けとなるのが彼らが「明快な経営ビジョン」を持っていることである。

(2)たとえ所属する産業自体が古くても、企業によって「優秀なビジネスモデル」は成立している。この意味で「固定観念」が害になる。

(3)内需に依存する企業は弱く、貿易で国際競争にさらされる企業が強いという常識も通用しない。ここでも「固定観念」が通用しないことが分かる。

(4)トップ自身が「自社の取り組むべき事業範囲」を明確に認識している。逆に言うと、優秀企業のトップは自分が理解できない事業は決して手がけない。別に言えば、優秀企業の経営者の頭の中は明快なコンセプトの塊であり、そのコンセプトが取り組むべき事業範囲の絞り込みに役立ち、かつトップの現場感覚が非常に優れている。

■マブチモーター
http://www.mabuchi-motor.co.jp/ja_JP/index.html
・・・町工場から創業したマブチモーターは、ただ一種類の商品である小型モーターにすべての努力を傾注しつつ世界相手の専門店になることを目指し世界シェアの50%以上を占有する企業に発展した。

■シマノ
http://fishing.shimano.co.jp/
・・・アウトドアで使われる最終消費財で、それなりの極限的な性能と高度な金属加工技術が要求され、他企業がまねしにくい分野に事業を絞り込んだ結果、売上の7割弱を占める自転車部品を筆頭に釣具・ゴルフクラブなどが大きな割合を占めている。1960年代に確立した冷間鍛造技術(常温で金属を変形する技術)などの金増加工技術への信頼が厚い。

■ホンダ
http://www.honda.co.jp/
・・・自動車のデザインが歴代社長の決定事項となっている。伝統的に、ホンダは現場、現実、現物の「三現」をトップが体感している。いわば、ホンダは「世界規模の中小企業」に徹している。

■信越化学工業
http://www.shinetsu.co.jp/j/
・・・化学産業分野で、デュポン、ダウケミカル、BASF、バイエルに次ぐ世界第五位の株価時価総額を達成した。今や、信越化学工業は世界トップクラスの高機能素材メーカーであるが、事業をシェアトップの領域に集中するとともに、金川千尋・社長が内容をすべて掌握できる範囲に事業規模を納めている。卓越した経営者である金川社長は社内電子メールを使わず電話で会話する。また、成否を問わずリスク判断の最終責任はトップの社長が取ることになっている。ここに見られるのも優れた現場感覚と「大きな中小企業」という独特の経営感覚である。(5)トップが自分の頭で「因果律」的に考え抜ぬく力量がある。「因果律」的にとは、別に言えば「机上の空論ではなく、現実的な論理でものごとが考えられる」ということである。無論、これは知識を詰め込むだけの頭の働かせ方からもほど遠い。また、これら優秀企業のトップは「常識」、「通説」、「他社の成功事例」を無批判に受け入れることはしない。

■セブンイレブン・ジャパン
http://www.sej.co.jp/index.html
・・・鈴木敏文会長は、“我われは現場にいるのだから、顧客のことだけを考え自分で仮説を立て、それを実行で検証することが仕事だと、断言する。1973年、米国サウスランド社と契約してコンビニ事業を始める時には慎重論が大勢を占めたが、電機などの輸出産業を例示して反論した。これら日本の輸出産業が勝ったのは、規模ではなく生産性であり、生産性を高めれば小規模店舗でも勝てるという「現実的な論理」(因果律)で日本初のコンビニ事業を開拓した。

■ヤマト運輸
http://www.kuronekoyamato.co.jp/
・・・小倉昌男社長は、常識を疑い、役員たちの反対を浴びながら宅配便を現実的に成立させるシステムを考え抜き、「宅急便」を確立した。なお、二代目である小倉社長は、就任直後に結核療養を余儀なくされ、復帰して間もなく、今度は静岡運輸へ出向となり、労務管理から現場作業までの経験を積むことができ、結果的に経営の基本を具体的に習得した。つまり、机上の空論(論理)ではなく、現実を支配する「因果律」を身につけた。

■花王
http://www.kao.co.jp/
・・・後藤卓也社長は、社員に「資本コスト」の意識を持たせるため日本で初めてアメリカ生まれの経済指標、「EVA(経済付加価値)」(Economic Value Added)」を導入した。また、後藤社長の持論は「知識は知識として、それよりも自分自身の頭で考え抜くこと」の重要性を信念としている。
(6)優秀企業のトップには、「主流」を批判できるだけの貴重な経験(周辺部署や子会社などでの)を積み重ねた人が多い。言い換えると、彼らはそのキャリアの中に「傍流の時代」を持っており、たとえ創業者の一族であったとしても普通の意味でのニ・三世とは違う。

■キヤノン
http://canon.jp/
・・・日本では、一般の会社がアメリカ型の「カンパニー制」を導入しても「持株会社」の社長にお伺いを立てるばかりの「ひらめ社長」(二つとも目が上についているゴマスリ)が多いが、「キヤノン改革」の場合は始めから“自分の頭で考えるカンパニー社長のための人材育成”が目標とされた。御手洗富士夫社長は、同属出身ながら入社5年目でキャノンUSAへ出向し、以来23年間に及びアメリカで過ごすという、いわゆる傍流組の社長就任であった。このため、客観的な観点から思い切った不採算部門(パソコン。ワープロなど)の整理を断行し、キヤノンを利益体質の企業に変貌させることができた。

・・・御手洗社長の成功の元は、外から会社を客観的に眺める体験をしたことで「会社の裸の事実」を冷静に認識できたところにある。従来の企業は、自社内のどこかの部門での「撃墜王」(卓越した業績向上の達成者)を経営層へ参加させるという人事が一般的であったが、それは「名選手=名監督」という固定観念に嵌っていたことを意味する。これからの時代の帝王学には、「主流」を批判できるだけの慧眼を身につけさせる意図的な「傍流経験」を加えるべきである。

(7)優秀企業のトップは「危機をチャンスへ換える不屈の精神」を身につけている。彼らは、追い詰められた時にこそ新たな方向性を発見して、それを千載一遇のチャンスとして活かしている。

■マブチモーター
http://www.mabuchi-motor.co.jp/ja_JP/index.html
・・・日本製の金属玩具の塗料に含まれる鉛がアメリカで問題となり、創業3年目(1957)に存亡の危機に遭遇した。当時、マブチモーターは玩具用モーターに100%依存していた。もし、ここでモーター以外の事業へ多角化したら現在のマブチはなかった。しかし、馬渕健一社長(創業者)は、そのようには考えず、多角化ではなくマブチのモーターを活かす「多用途化」へ活路を開き、そのカギが機能の強化と低価格化であることに気付いた。その結果、「ヘアドライヤー、ビデオデッキなどのローター、電気髭剃り」など凡ゆる生活用具分野等の用途へマブチモーターの需要を広げることに成功した。

■ヤマト運輸
http://www.kuronekoyamato.co.jp/
・・・宅急便前夜のヤマト運輸は存亡の危機に瀕した会社であった。それは、初代社長が“トラックは近距離小口輸送のためのもの”という固定観念に囚われていたため、高度成長期の長距離輸送の時代に乗り遅れたからである。このため、小倉昌男社長が仕事を引き継いだ時は倒産の危機が見舞おうとしていた。が、小倉・新社長は「個人小口輸送」という全く異質のマーケットに目を向けることで、この分野の創始者となり、会社の存亡の危機も乗り越えることができた。

(8)優秀企業のトップは「身の丈に合った成長を図り、事業リスクを直視する」という経営方針に徹している。総じて、これらの優秀企業は「資本市場に邪魔されない自律性を有している」が、これは「キャッシュフロー管理」の問題であり、言い換えれば、それは「収入−支出」で算出される現金の収支のことである。売上拡大(売掛金拡大)で見かけ上の利益が出ても、その売掛金(債権)の回収が伴わなければ経営の中は火の車ということもあり得る訳で、資金が手元に残らなければ黒字倒産である。つまり、キャッシュフロー重視の経営では、できるだけ多くの資金を手元に残すことが目標となる。ここから「売上規模拡大至上主義」の誤り、「売上と仕入れのバランス」の重要性、「将来のキャッシュフロー見通しと設備投資のバランス」の重要性などの経営的な観点が生まれる。

■キヤノン
http://canon.jp/
・・・御手洗富士夫・社長は、就任時に打ち出した「改革プログラム」の中でキャッシュフロー経営を唄った。当時は、投資総額が1,300億円あり、減価償却は800億円であった。そこで御手洗社長は、500億円の利益があれば、純利益と減価償却だけで投資が全部賄えると考えた。キヤノンの場合、この500億円の純利益を経常利益に換算すると約1,000億円になることを確かめた上で、この1,000億円の経常利益を稼ぐことを当面の目標として、早くも1996年にその目標を達成した。

■任天堂
http://www.nintendo.co.jp/
・・・任天堂は巨額の現金を手元に抱えているので、しばしば金融機関や経営コンサルタント(これら専門家を自認する業界の中に如何に詐欺師的、又はいい加減な輩が多いかは、銀行の不良債権問題や耐震強度擬装事件を回顧すれば分かる)から、任天堂は「資本効率の重要性」が分かっていないと批判された。しかし、これは山内 溥・前社長の自社に関する「独特の事業リスク感覚」がもたらしたものであった。つまり、山内 溥・前社長には「ゲームソフト産業は見込み生産なので、不安定な需要から派生する開発・製造リスクが常に付き纏う」という信念があった。そして、これは1982年の「アタリショック」(アメリカのゲーム業界を席巻していたアタリ社の突然の倒産)で見事に実証された。また、任天堂はバブル期にも一切「財テク」には手を出さなかった。娯楽の創造は特異だが、「財テク」は特異分野でないことを自覚しているのである。

(9)優秀企業のトップは「経営者は、持続性のある規律的で個性的な文化を自社の事業の中に埋め込むべきだ」と考えている。言い換えれば、これらの優秀企業には「経営者と従業員の双方を律する文化的な伝統」が存在する上に、使命観や倫理観といった「カネ」以外の規律が存在するということである。

[結論]

(1)「事業領域(ドメイン)を矢鱈と拡大せず、真面目に自分の頭で考え抜き、愚直なほど自分で理解できる範囲の仕事に限定しながら、それに情熱を傾けて取り組んでいる」という点に、優秀企業のトップの特徴が見られる。

(2)優秀企業のトップは、このような愚直さの上に「明快な経営ビジョン」と「非常に高い説明能力」を持っている。

(3)産業分野の新・旧の別、ハイテク・ローテクの別、内需・外需の別などで企業の成長性を論ずる「常識」は、一種の「固定観念」に過ぎない。

(4)優秀企業のトップは、徹底した「現場主義者」であり、「机上の空論(=論理)」に遊ぶことなく現実社会(自然、文化、伝統、習慣、ヒト、カネ、モノ、人的ネットワーク、地域社会など)の「因果律」を大切にしている。

(5)優秀企業のトップは、「主流」に甘んじることなく、むしろ「主流」を厳しく批判できる「傍流の目」を持っている。

(6)優秀企業のトップは、「危機をチャンスへ換える不屈の精神」を身につけている。言い換えれば、それは徹底した「プラス思考」である。

(7)優秀企業のトップは、「身の丈に合った成長を図り、事業リスクを直視する」という感性を身につけている。言い換えれば、それは「徹底したキャッシュフロー管理」による経営であり、「バブル志向」、「売上至上主義」、「株の時価総額主義」、「野放図な設備投資拡大」などとは一線を画しながら徹底したバランス経営を行っている。

(8)優秀企業のトップは、「市場」による規律よりも「自社の企業文化」による規律(ガバナンス)の方を重視している。それは、企業人としての一種の「使命感」でもある。

(9)日本企業に経営戦略がないという“アメリカかぶれ”の政治家・官僚・学者・企業家・経営コンサルタントらの批判は間違いである。欧米式であるか、日本式であるかではなく、要は以上の(1)〜(8)の日本型経営の原点を見据えることである。そうすれば、そこから日本社会のあるべき活力源の姿と光が見えてくる。
§ 次に、先に掲載したスイス在住のビジネスマン“無用の人”様の「スイスの労働環境についてのレポート」と照らしながら「所見」をまとめてみます。「スイスの労働環境についてのレポート」はスイスの企業で「働く人々の意識と働き方の特徴」をクローズアップしたものであり、一方、新原 浩朗課長(経済学博士)の「日本の優秀企業三十社」を対象とした「優秀企業の条件についての研究」は「日本の優秀企業三十社の経営者層に属する人々の意識の特徴」を抽出したものです。すると意外なことに、スポットライトを当てる対象は異なりながらも、日本人とスイス人(そこには欧米人に共通する、ある種の望ましい性質が存在すると考えられる)の根本的な意識の違いが明瞭に浮かび上がってました。

[所見]

●以上の[結論]の中で(1)〜(3)は、「日本の優秀企業の経営能力」の本質的な特徴だと思われます。特に(1)の「明快な経営ビジョン」を持つということが最も重要で、このことは国家経営にも通じる問題です。その意味で、小泉首相が未だかつて一度も「日本の将来ビジョン」を明快に語れないのは、日本国民にとって悲劇的なことです。なぜなら、日本が進むべき方向が見えぬままに、この5年間を我われは無為に過ごしてしまった可能性があるからです。

●特に、経営が上手く行ってない企業であるのに、トップであるワンマン型社長の頑迷固陋さが災いして、取り巻き連中や社員の多くが“絶対に我が社は潰れない”と信じ込まされている企業は危ないようです。「頑迷・頑固一筋の小泉政権」に引きずられる日本は、この種の病気を患っているようです。

●現代は、アメリカ型経営が普及しつつあるためコ-ポレ-ト・ガバナンスと呼ばれる資本市場からの規律(資本市場が企業に及ぼす「カネ」の大きさを基準とするガバナンス・パワー)が重視されています。言い換えれば、それは企業に対する「株式市場の評価」を最重視するということです。しかし、決してそれで十分ではなく、これら優秀企業は「企業の使命感や倫理観という『カネ』以外の文化的規律」を確実に持っており、これが会社と社員の双方を結びつける紐のような役割を担っています。これは、「小泉構造改革」(小泉=竹中コンビ)がホリエモンを最大限に持ち上げて“市場競争で「企業と日本社会の健全化」が実現できる!”と絶叫したにもかかわらず、「ホリエモン」の実像が露呈して日本国民の多くが翻弄されていることを想起すれば理解できるはずです。

●また、注目すべきは、これらの優秀企業では、少々事業が傾き給料がカットされたとしても、優秀な人材が恰も今や沈もうとする船から逃げ出すネズミのような行動をとることはあり得ないということです。つまり、これらの会社の「企業統治」(コーポレート・ガバナンス)では、外在的な「統治制度」よりも企業文化に裏付けられた個々の社員たちの「使命感」の方が上位に位置づけられています。これらの優秀企業のビジネス・コミュニケーション活動の現場では、絶えず「語用論」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%9E%E7%94%A8%E8%AB%96 )的な作用のプロセスの中で新たな意味づけが続けられており、それが積み重なることで一種の「文化的拘束条件」が生成される訳です。そして、これこそが「企業文化」や「企業の伝統」と呼ばれる「内発的な規律」(内発的なガバナンス・パワー)となるのです。 また、ここには別記事(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060129)で述べた「dynamo-objective coupling」の作用に通じるものがあります。

●資本家としての本来の役割を自覚する経営者が多いことも、これら優秀企業の特徴です。それは、長期的な成長、持続的な社会貢献のように巨視的な目で自らの企業活動を見つめ続けるという良き伝統が、個々の企業のあるべき方向を律するとともに社員一人ひとりに対しても、それが規律的な感覚を与えていることが窺えます。例えば、トヨタ自動車ほどの巨大企業でさえも、どこかで、創業者である豊田家が見ているという独特の企業風土的な感覚が、社の規律に大きな影響を及ぼしているのです。

●近年は、社員に対してストック・オプション(http://www.tohoku.meti.go.jp/shinki/FAQ/stockoption.htm)の権利を与えて社員にモチベーション(動機付け)を与えようとするアメリカ型経営が流行しています。しかし、この手法が危険なのは、「ゼニ・カネ」だけでインセンティブ(誘引・刺激)を与えると、どうしても「自分さえ良ければ、自分が所属する部門やチームはどうでもよい」という「利己主義の発想」が根付いてしまうことです。また、経営者自身が、この発想に取り憑かれればアメリカのエンロン事件(http://www.rieti.go.jp/jp/papers/journal/0211/bs01.html )や渦中の「ホリエモン事件」の二の舞です。

●“無用の人”様の「スイスの労働環境についてのレポート」で観察されるスイスのサラリーマンたちの意識の特徴は健全な「個人主義」です。無論のこと、スイスには日本と根本的に異なるセーフティネットがあるという条件下のことですが・・・。ところで、夏目漱石の文学の真髄は「利己主義」と「個人主義」の相克を乗り越えるところにありますが、明治時代の日本人に限らず現代の多くの日本人も「利己主義」と「個人主義」の違いを理解することが苦手のようです。人間の成長プロセスで見ると「利己主義」→「個人主義」へと、自律的な方向へ自我が深化・熟成することが知られています。このことからすると、欧米人は「大人」で、大方の日本人は未だに「子供」だということになるでしょうか。

●参考までに、現代的な意味での「利己主義の典型」と考えられるアメリカの女流作家であり政治思想家でもあるアイン・ランド(Ayn Rand、本名Alisssia Zinovieva Rosenbaum/1905-1982)の「客観主義哲学」のエッセンスを以下(◎)に転載しておきます(詳細は下記ブログ記事★を参照)。アイン・ランドの「客観主義」信奉者(カルト的な意味合いでランディアンと呼ばれる人)たちが、ネオコン一派やキリスト教原理主義者とともに世界の多くの声を無視して「イラク戦争」に踏み切ったブッシュ政権の「ユニラテラリズム」(米国一国主義)を後押ししています。 これは、まさに健全な「個人主義」の対極にあるもので、カルトというよりも、むしろ狂気に近いほどの自己中心主義(冷血な利己主義)ではないでしょうか。 ★「作家アイン・ランド、米国ユニラテラリズムのもう一つの『源流』」、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050326

◎社会など或る集団の上に立ち、人々の上に君臨する「共通善」なるものは「偽善」に過ぎない。

◎歴史的に見ると、平和主義・博愛主義・利他主義の宣言によって行われた革命の行く末は血の海であった。

◎他人に対して行い得る唯一の「善」は「触れるな!干渉するな!」ということである。

◎人類の歴史は、人間が独創(創造)したものを自然に対して付け加えることで進歩してきた ◎この人間の独創は“良きものを創造したい”と願う人間の「個人的欲望」から生まれる。

◎自己中心主義(徹底した利己主義)は「偽善に満ちた利他主義」より優れている。

●ごく大雑把に言えば、自律的な個人の尊厳は最大限に主張する一方で、他人の権利も対等に尊重するというのが「個人主義」の特徴ですが、ここで見た「日本の優秀企業のトップ」たちは、見事に日本的な「個人主義」を体現していることが窺えます。このように見てくると、やはり日本人の多くが幸せになれるのは、ここで取り上げた「日本の優秀企業の社長」さんたちのような価値観を持つトップ層が経営する会社で働けることだと思います。その時こそ、スイス在住のビジネスマン“無用の人”様が言うところの「“日本人としての長所を十分に活かす方法”で『仕事と生活の形』を変えてゆくこと」が実現するのだと思われます。

●しかしながら、アメリカの利己的な側面が強く出たイデオロギー(新自由主義思想)にかぶれた「小泉擬装改革」(小泉=竹中・詐欺改革)で5年間も振り回され貴重な時間を浪費させられたあげく、昨秋来の「ホリエモン騒動」(ホリエモン&小泉自民党の合作)で大方の国民が詐欺まがいの迷惑と被害を蒙ったことは腹立たしい限りです。つまり、昨年9月の総選挙の時に、あれだけ特別にホリエモンを持ち上げて、結果的に一般国民の株投資熱を煽った現実があることからすれば、小泉首相が2月7日午後の衆議院予算委員会で「図に乗るとすってんてんになるのが株式投資だ、だから国民はあくまでも自己責任で投資していただきたい」と述べたことは、まことにフザケた他人事のような話ぶりです。ホリエモンを巻き込んだ総選挙時のこの構図は、見方次第では「小泉・武部自民党が一般国民に対して罠を仕掛けた詐欺行為」です。

●また、2月7日には「政府・国土開発幹線自動車道建設会議」(国幹会議)で高速道路の整備計画9,342kmのほぼ全線の建設が決まっていますが、そもそも「小泉擬装改革」の目玉として位置づけられていた「高速道路改革」の検討は、小泉首相が「小さな政府」を宣言した2001年に開始しています。そして、昨年の秋に漸く「道路関係四公団」の民営化が実現したことになっているにもかかわらず、今回の高速道路の整備計画決定は、事実上、当初に計画した「高速道路改革」が失敗であったことを意味します。「小泉擬装改革」の実体は、かくの如しであり、同じく昨秋に大騒ぎした「郵政民営化」についても、その内実は胡散臭い限りです(詳細は下記ブログ記事★を参照)。 ★「『郵政焦点・総選挙』(付“飾り窓の女”)で何を隠蔽するのか?」、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050901

●小泉首相は今に至っても「明快な国家ビジョン」を国民へ示すことができていません。これは、小泉首相には「日本の優秀企業のトップ」の特筆すべき特徴である「明快な経営ビジョン」のような観念を持つ(=近未来の現実社会についての構想をつくる)資質が決定的に欠けていることを意味します。別に言えば、それが国家であれ会社であれ、トップに求められる資質で最も重要なことは「近未来について仮説をつくる能力がある」ということです。実は、このような能力は人間を含めた生き物にとって必須の基本的能力なのです。例えば、犬やネコがライオンと初めて遭遇したときでも彼らは「危ない!」というリスクを感じるはずです。この時、犬やネコは初めて出会ったのであるから未知の動物であるライオンの怖さは知らないはずです。しかし、彼らは本能的・直感的に「近未来の危機を仮説している」のです。これが動物一般の「リスク管理」の基本です。

●ところが、紛れなく人間であるにもかかわらず、どうやら小泉首相は、このように「動物的な意味での直感的仮説」すら立てられないようです。このため、バカの一つ覚えのように「靖国神社参拝」に拘ることになるのでしょう。別に言えば、これは健全なプレゼンテーション能力(分かり易く自分の考えを説明する能力)が欠けているということです。「国際舞台に出ると日本人は自分の考えを表明できない」と、よく言われることがありますが、これは「国際社会という場」において未来展望型あるいは双方交流型の「仮説」を構想することが苦手な日本人一般の弱点を突いたコトバです。この種の日本人は、未だに「利己主義」と「個人主義」以前の精神環境の中でまどろみ生きているのかも知れません。しかし、いやしくも組織のトップに立つ人間が「仮説」を立て、近未来と双方交流の世界を構想できないのは、その組織に「リスク管理」が不在であることを意味します。ましてや、一国を統べる立場の小泉首相が日本の近未来の「仮説の物語」をつくれないのは「国家リスク管理」の観点から忌むべきことです。このままでは、第二・第三・第四・第五の耐震強度擬装事件、ライブドア事件が起こり続ける懸念があります。

●我われ日本国民は、“市民社会における現実的な「因果律の連鎖」(自然・生命・文化のリアリズム)に関する「想像力」(=未来の社会についての構想力)を決定的に欠いた「父祖伝来のただ飯喰らい」である小泉首相ら「ニ・三世の世襲的寄生政治家」を恭しく日本のトップ(会社で言えば社長の座)に奉ることのバカバカしさ”をいい加減に自覚すべきです。今のところ、日本の未来はこのただ一点の改善にかかっていると言っても言いすぎではありません。このため、一人でも多くの国民が、それが自分自身に直結する緊急な問題であることに気付く必要があるのです。

●日本のトップ・リーダー層の人々(官民を問わず)も一般国民も、このような意味で一刻も早く健全な「個人主義」に覚醒する必要があります。日本人が立脚すべき共通の価値観は、新自由主義思想と「小泉&竹中・詐欺劇場」がもてはやす「狂気の利己主義」ではあり得ないのです。同時に、「小泉擬装改革」によって破壊された「セーフティネットと公共空間」については、日本の経済・社会の特性に合わせて再構築すべきであり、「小泉擬装内閣」が流行らせた「勝ち組」、「負け組み」などの言葉は熨斗をつけて「小泉&竹中・詐欺劇場」へ返上すべきです。ましてや「待ち組み」(小泉首相と猪口少子化相が考案)などという、どこまでも国民を小バカにした『オチャラケ言葉』は葬り去らなければなりません。

(補足)「経営コンサルタント」の問題

・・・我われは、しばしば「経営コンサルタント」の指南を受けて成功したという企業トップのコトバを耳にします。それは、企業規模の大小には無関係です。ところが、この「経営コンサルタント」の出自を調べて見ると興味深いことが分かります。それは、おおよそ下記(1)〜(5)のように分類できます。彼らの特徴は、一種のカリスマ風を帯びているということです。そして、彼らの存在は、例えば「耐震強度擬装」のような“事件”でスポットを浴びますが、普段は黒子役を演じています。

・・・恐らく、上で見た「日本の優秀企業のトップ」は、この種の「経営コンサルタント」とは無縁です。なぜなら、これらのトップには“愚直なほど自分の頭で考え抜き、自らの頭でつくった「明快な経営ビジョン」を持ち、身の丈にあった事業を実践できるという強靭さと強烈な責任感”を持ち合わせているからです。つまり、彼らは抽象世界の「論理」と現実世界の「因果律」の違いを理解しているのです。他方、「経営コンサルタント」が目を付けるのは「精神の弱さ」と「我欲」の虜となったトップたちです。

・・・下記の区分の中で特に危ないのは(2)、(4)、(5)です。不思議なのは、「政治家」くずれのコンサルタントが寡聞であることです。彼ら政治家は始めから信用がないのかも知れません。なお、経営トップに限らず、ニ・三世政治家や芸能人なども、この種の中で特に「(2)「宗教家」くずれ」または「(5)「詐欺師」くずれ(?)」に頼ることが多く、しばしば“神憑り”に誑かされて巨額の金銭的被害を蒙っているようです。しかし、世間体から彼らはそのことをあまり他言しません。無論、殆んどの「経営コンサルタント」は、高潔な倫理観と高い役割意識を持って真剣に仕事に取り組まれておられる方々であることを申し添えておきます。

(1)「学者・高級官僚」由来(技術系に多い)
(2)「宗教家」由来
(3)「税理士・会計士・法曹家」由来
(4)「経営者」由来
(5)「詐欺師」由来(?・・・由来ではなく詐欺師そのもの?)

(参考URL)http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/

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