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□死亡した野口氏 エイチ・エス証券での役割 [ゲンダイ]
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【この会社の人と事件】
2006年2月3日掲載
死亡した野口氏 エイチ・エス証券での役割
ライブドア事件の闇
沖縄のカプセルホテルで死亡していた「エイチ・エス証券」の野口英昭副社長。野口氏はエイチ・エス証券で、どんな役割を果たしていたのか。
野口氏は明治大学経済学部を卒業後、「国際証券」(現三菱UFJ証券)に入社。2000年に「オン・ザ・エッヂ」(現ライブドア)のナンバー2だった宮内亮治前取締役にヘッドハンティングされて移り、オン・ザ・エッヂのマザーズ上場の中心的役割を果たした。
上場後はライブドアの金融子会社である「キャピタリスタ」(現ライブドアファイナンス)の社長に就任、宮内前取締役の右腕として活躍していた。その後、2002年6月、エイチ・エス証券の公開引受部の部長に転じている。
エイチ・エス証券は99年1月、旅行代理店「エイチ・アイ・エス」の沢田秀雄社長が買収した証券会社。旧社名は共立証券である。当初は個人や法人向けのリテール業務をしていたが、インターネット取引などもスタートした。
「しかし沢田社長が考えていたほど儲からなかった」(事情通)
そこで、沢田社長が目をつけたのが、M&Aなどの投資銀行業務や企業上場で実績のあった野口氏だった。将来の役員含みで公開引受部部長に迎えたという。野口氏が沢田社長の絶大な信頼を得たのはスカイマークエアラインズの売却のときだ。
「沢田氏は本業の旅行業務とも抵触し、経営が難しかったスカイマークの売却先に頭を抱えていた。この売却先であるゼロを連れてきたのが野口さんだった」(事情通)
しかも野口氏はそれまでエイチ・エス証券では実績のなかった企業上場を複数実現。さらに、エイチ・エス証券の子会社「日本M&Aマネジメント」の社長に就任して投資事業組合「JMAMサルベージ1号投資事業組合」を設立。エイチ・エス証券に収益をもたらした。
こうした実績に、沢田氏は古参の役員たちの反対を振り切り、野口氏を入社1年後の03年6月に取締役に就け、05年6月副社長に抜擢した。
沖縄に飛んだのはライブドア強制捜査の翌々日。「沖縄にはエイチ・エス証券の仕事とは別に野口氏が上場を手掛けた企業があった」(証券業界事情通)という。【松崎隆司】
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