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(回答先: 朝敵・国賊に組する売国奴・ユダヤ奴隷に、“天誅”の一撃を! 女帝問題に関しての 新世紀人様 の覚醒に祝意を申し上げます。 投稿者 救国の草莽の志士 日時 2006 年 2 月 06 日 15:25:16)
「証言:近代天皇制は海賊某の孫大室寅之祐を明治天皇にすり替えた大陰謀で成立した」
日本人が知らない近・現代天皇制の驚異の真相が暴露された!
証言: 近代天皇制は海賊某の孫大室寅之祐を明治天皇にすり替えた大陰謀で成立した
−大室寅之祐の弟の玄孫 地家[Jike]やすまさ氏 が証言した:
☆(1)http://tatsmaki.at.webry.info/200511/article_5.html
☆(2)http://tatsmaki.at.webry.info/200511/article_4.html
☆太田龍氏(作家)「時事寸評」の記事3件もある。参照:
http://www.pavc.ne.jp/~ryu/cgi-bin/jiji.cgi
「大室寅之祐は本当に南朝の子孫か」
太田龍 時事寸評 更新 平成17年10月22日
この内容は、前記地家氏の証言と重なっている。
「長島銀蔵著「皇統正史」(昭和41年自費出版)を発見する」
太田龍 時事寸評 更新 平成17年10月24日
この本の要点は、次の通り。
(1)南朝の皇統は、現在の熊澤正照王(寛道王)まで続いて居り、
(2)北朝は滅亡して居る。
(3)従って、そのあとの北朝天皇は偽朝であり、足利系天皇である。
(4)熊澤大然尊憲王は、明治四十一年、十一月二日、第一回の上奉文を明治天皇に上奉した。
(5)明治天皇は、明治十年に「大政紀要」を出版されて、南朝正統とした。
(6)更に、明治十年元老院発行纂輯の御系図では、貞成親王の父は不詳、と明記してある。
(7)熊澤大然尊憲王の上奉文が各界に伝わると、大きな波紋を引き起こし、
(8)遂に国会に於る大問題と成り、
(9)明治天皇の裁決によって、南朝正統と決定され、 (10)時の桂内閣は瓦解した、
(11)しかし明治天皇が間もなく崩御、そのため南朝熊澤天皇問題は事実上封印された、と。
○ここでの問題は、北朝が断絶してそのあとは足利系天皇である、と言うこと。
○明治天皇が、公式発表の如く、北朝孝明天皇の皇太子、と言うことであれば、当然、南朝正統論で行けば、明治天皇は、偽天皇である、と成るであろう。にも拘わらず明治天皇が、南朝正統論を裁決された、とは何を意味するのか。
○長島銀蔵著は、孝明天皇父子弑逆問題も、長州大室天皇家大室寅之祐スリ変え明治天皇問題も、全く視野の外に置いてある。しかし、ここには、鹿島著にも引用されて居らず、各種の南朝史論にも述べられて居ない、基本的文献と事実が集大成されている。
「皇統正史の著者、長島銀蔵とはどんな人物だったのか」
太田龍 時事寸評 更新 平成17年10月25日
○この「長島銀蔵」と言う人は、明治34年(1901年)〜昭和59年(1984年)静岡県富士宮市に生まれ、横浜瓦斯科学工業社長など、多額納税者として昭和21年5月から、22年5月まで一年間、貴族院議員。昭和25年、参議院全国区から当選、とある。
○長男が戦死。昭和22年11月、日本遺族会理事長。
○長島銀蔵氏は、もっぱら、熊澤天皇家についての研究であって、愛知県豊川市 三浦天皇家とは接触が無いようである。
○南朝の一皇統が、今の福島県に移られたこと、そしてある時点で、足利幕府の南朝系を根絶やしにしようとする迫害政策のために、熊澤姓を名乗るに至った経緯が、前出「皇統正史」には詳述されて居る。
○前出、長島著によれば、足利義満は、自己の息子を天皇にすると同時に、持明院統(北朝)の血統を全部殺害した、と成って居る。従ってこの説によれば、足利義満とそのあとの時代に北朝の血統は絶え、足利義満の血統が北朝と成った、と言うことに成る。
○応仁の乱の頃まで、南朝は健在であり、それから足利将軍六代義教が、南朝の血統を根絶せよ、との方針を打ち出したと言う。
○しかし南朝系の一部は、熊澤家としてずっと続いた、と。
○これに対し、南朝三浦天皇家の方は、熊澤天皇家に比べると細々とした感じだ。
○長州の大室天皇家については、その系図は現在に伝わって居ないし、
○幕末、大室弥兵衛の代で血統は断絶し、その二人の息子(虎吉、庄吉)は、実は、地家作蔵の息子である、との説があり、○この説では大室天皇家は、絶えて居る。
○大室寅之祐=明治天皇。この人物は、実は、地家作蔵の息子。
○して見ると「熊澤天皇家」の方が、まだしも実在の天皇の血筋である、との見方も成り立つ。
[論評] 前田 進
上に紹介した新しい真相暴露の情報からして、天皇家の血統は北朝系も南朝系も途絶えていることが分る。北朝系の実体は足利系である。
さらに、薩長は北朝系(公式発表)の孝明天皇を殺害したあと、南朝系と判断したものの実は海賊某の孫だった、勇壮・頑強で左利き、疱瘡でアバタ面、達筆だった大室寅之祐を、孝明天皇の殺害された(別の説:比叡山へ僧として追放された)息子で、女官らとの遊びに余念の無いひ弱で右利き、種痘で顔にあばたがなく字が下手だった「攘夷・佐幕=親徳川」の息子睦仁とすり替えた。そしてその大室寅之祐を明治天皇にでっち上げて絶対主義的天皇制の権力に就けた。だから現在の天皇家は南朝系の天皇家とも血統がなく、虚構の天皇家である。−まだ究明が続行されなければならないが、ひとまずそうした結論になる。
明治維新は、英国の経験に従って「大政奉還・薩長同盟」の戦略論者だったロスチャイルド支配下の英国フリーメーソン(下から3番目の第3階位)の商人(大手商社ジャーディン・マジソン社代表)、トーマス・グラバーが、英国大使パークスとの協働で坂本龍馬、伊藤俊助(博文)、桂小五郎(木戸孝允)、高杉晋作、小松帯刀、五代才助らを指導、支援して実現した。
グラバーの進言でパークスが指導して勝海舟と西郷隆盛の江戸城無血開城が実現した。
坂本龍馬の「船中八策」と「新政府綱領八策」、それに従った明治政府の「5ヶ条の誓文」はグラバーの指導の成果だった。明治政府は国辱を認めず、面子を重んじて控えめに、グラバーに勲二等旭日重光章を授与した。
明治維新の5年前1863年にフリーメーソンのマークを冠して新築された長崎のグラバー邸には、彼ら明治維新の志士らの名を挙げて、グラバーが彼らを庇護して明治政府の実現に力を添えた、と明記してあり、邸内屋根裏の隠し部屋がやっと現代の1987年に発見された。(参考文献:鬼塚五十一「世紀末666の大陰謀」廣済堂1992)
こうして、フリーメーソンの指導と援助で明治の絶対主義天皇制が成立した。
徳川慶喜は暗中模索状態で、王政復古を目指す薩長との妥協に走って、重職勝海舟のトロイの木馬的役割を許した。慶喜らは「大政奉還・慶喜首相」構想を提唱したが、英国フリーメーソンの指導と英軍艦の利用、銃砲支援を受けた薩長連合軍に力及ばず敗北した。慶喜はフランス・フリーメーソンの後押しで徐々に天皇制廃止・共和制樹立に目覚めたようで、維新後には、天皇を絶対君主とする明治憲法に対抗して共和制憲法草案を作成したが、後の祭りだった。
その結果朝鮮植民地化、日本が宣戦布告なき卑劣な奇襲攻撃で始めた日清、日露戦争の勝利と、自由民権運動の弾圧、人民の搾取・収奪と暴虐支配で強行的な資本蓄積を実現して日本帝国主義が成立したが、日帝はやがて米英帝国主義と対立しながら中国侵略と太平洋戦争へと暴走して壊滅的敗北を喫した。
太平洋戦争では「鬼畜米英撃滅!」が主要スローガンだったが、戦後は掌を翻すように、長期政権だった吉田茂が「日本はアメリカの妾だ」と言明して米国フリーメーソンに忠誠を誓った。戦前は日英同盟だったが、戦後は米日主従同盟になった。
小泉もその路線を継続発展させて、米国フリーメーソンの代理人ブッシュらキリスト教原理主義のカルトでネオファシスト一派の「ネオコン」のグローバルな軍事戦略「先制核ハルマゲドン」* に日本を組み込んで、平和憲法改悪、米侵略戦争への加担路線で、売国・亡国の途へ進んでいる。
*http://tanakanews.com/e0721secondcoming.htm
ブッシュら米国の日本乗っ取りを目指す「年次改革要望書」に従って、345兆円の郵貯・簡保の国民資金を日本長期信用銀行(現新生銀行)と同様に米金融資本に乗っ取らせる郵政改悪で、小泉はフリーメーソンへの忠実を実証した。これは、吉田、岸以上の祖国への巨大な裏切りになった。
だから先般の総選挙で日本人の多数が自民・公明に衆議院の2/3以上の多数を与えたのは、愚昧な自殺行為だった。自民党は、公明党の小泉靖国参拝反対を憲法改悪の障害と見て、民主党との大連立目標を公表して、執拗に亡国路線を推進中だ。
日本の支配勢力が今日、フリーメーソンの世界的な地球破壊・人類破滅の邪悪な犯罪路線に従っていることは、本質上明治維新以来変っていない。その抜本的一新が日本の活路の一つとなる。
古代史上の天皇家初代リーダーは、戦火から逃れたスファラディ系のユダヤ12部族中の難民第3部族の第3支族で、南西諸島伝いに鹿児島南端大隈半島の大根占近くに上陸して、長髄彦指導下の先住日本人の「耶馬臺国」を軍事侵略し、日向に本営を設けて北上、さらに東進して大和政権を樹立した。
中国人はそれを「魏志倭人伝」で蔑称して「邪」馬壹国と呼んだ。日本人は、侵略者を大王[おうきみ]、7世紀後半からは天皇という威圧的尊称で逆に崇敬させられて、支配され続けた。そうした国辱感が次第に薄くなった8世紀後半にやっと、占領支配者らは初代侵略軍リーダーを神武天皇と呼称した。彼らは侵略開始以来千数百年後の源頼朝時代にやっと、祖国防衛戦争を代々続けた東北地方を征服、日本中を統一支配できた。会津など東北地方の人民は、明治維新と2度抗戦して敗北したが、抵抗闘争の精神は受け継がれて生きている。 官製皇国史観は、日本侵略を「天孫降臨」神話のでっち上げで隠蔽した。「作る会」の歴史教科書も、その点でも売国的なものだ。歴史学会と、戦前からの共産党や左翼各派も、侵略を架空神話説で実際上隠蔽して事実上曲学阿権に陥ってきた。それらの歴史観と歴史書は抜本的に訂正と書き直しが必要である。 天皇家の血統はすでに途絶えているが、日本人は天皇制廃止によって初めて2千数百年の屈辱的な国辱から精神的・政治的に解放される。
参照:http://www.yu.to/tatsmaki/index0.html
宇宙管理界の1981年決定で天皇家は民間人化する運命にある。皇室典範会議の05.11.24の報告書が「女性・女系天皇容認、第1子優先」と発表したのは、それへの歩みにもなりうる。しかし報告書には、ブッシュとブレアらを代理人とし、小泉を通ずる米英のフリーメーソンの指導があるだろう。
地家氏の証言では、サッポロビール常務の橋本卯太郎と、前記海賊の孫大室寅之祐=明治天皇の弟庄吉の娘で卯太郎家へ女中に入った大室ヨネとの間に出来た息子だった、橋本龍伍(吉田内閣閣僚になった)の長男が橋本龍太郎元首相で、彼の第二夫人の娘和子の娘が、皇太子浩宮と雅子の内密の養子にされた天皇位継承順位2位の愛子である。
英国的な女王制にせよ、小泉がすでに事実上実証したアメリカ的な大統領制にせよ、いずれもフリーメーソンの金権支配体制である。そうした金権奴隷支配体制を廃絶する唯一の二者択一は、宇宙・地球管理界の指導下でのあらゆる生活分野での無償奉仕の社会への移行である。
天皇は、第二次大戦後今日に至るまで続いている反動と革新の激しい対立の結果、実際には国民統合の象徴ではない。現行憲法第1条も自民党改憲案第1条も虚偽、虚構である。地家やすまさ氏の証言によれば、昭和天皇裕仁は大室寅之祐の息子、大正天皇は庶民のリベラリスト大隈重信の息子だった。天皇家は全員カトリック信者で、心はアメリカ人だと米国では見られている。
これらの現実を直視して、そこから出発しなければならない。
まず自民党改憲案をまかり通してはならない。そして天皇制廃止を目指し、「人の上に人を創らず、人の下に人を創らず」の、真の万民平等、真の自由をもたらす万事無償奉仕の21世紀新地球社会の創造を目指すべきである。
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